Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

急病人と共に

公私共々病院に行くことは多い。どちらかというと、
自分も含めて家族の通院が主だが、
大阪の病院に関しては、余りいい印象が無い。
徳島・阿南時代は病人・家族として通院し易かった印象大。
大阪はどちらかというと、患者数が多いのだろう。
お医者さんも苛々殺伐としている感じが強い。
もしくは物凄く疲れ切っているという感じ。
待合室だって戦場のようだし、心が乾く感じ。


ところが仕事で出向いた先で、どうしても急患が出て
雪道を山から下ってふもとの町の中核病院へ。
これが昨夜の出来事。
片道40分と聞かされて、戻ってくるのは真夜中だと覚悟。
夜診どころか時間外。20時前だけれど、仕方が無いか。
色々思いを巡らしながら、看護師と共に乗車。
ライトに浮かび上がる「斎藤茂吉記念館」の看板。
できればこういう所へ行きたかったよ。
そんな気持ちを抱きながら、心は病院へ。


思いのほか早く到着。運転手さん、有難う。
綺麗な病院。そして患者が少ないのにびっくり。
大阪では考えられない清潔で、人の少ない病院。
夜、時間外ともなればこれが当たり前?
当直の先生も看護師さんも優しいこと。
とりあえず熱さまし、ゲット。だって私たちは投薬できない。
それにしても暖かく柔らかい雰囲気の病院。
どこがかと言うと・・・。

 


案内の字が大きい。入り口にドクターの顔写真。
自分のかかる科の先生の名前と顔、一目瞭然。
診察室・処置室の前、看護師、師長等の名前と顔写真。
いかにも「おらが町のお医者さん、病院」といった感じ。
会計前と診察室前の座る席は受付を挟んで直角に。
問診を書く台は円形。薄紫というか、淡いライラックが基調。


壁には地元の芸術大学の作品が幾つか。
中でも目に付いたのは、豆型の電灯。アットホームな感じ。
敷地内にある足湯のお知らせ。さすが温泉町の麓。
購買の前、レントゲン待合のちょっとしたテーブルコーナー。
良心的な価格設定の商品。
検査のためにどこに行くのか、一目でわかる足元表示。

 

先生も看護師さんも言葉穏やかで、落ち着いていて、あったか。
翌朝再び受診した時も、患者さんは少なく、丁寧な診察。
わかりやすい説明。ちょっとした要望・リクエストに
心安く応じてくれる臨機応変な対応。事務方との連携。
高齢者の多い土地柄とは思えないほど、人が少なく
落ち着いた待合の雰囲気が印象的だった。
「お土地柄なのね」とベテランの助っ人も笑顔。


てきぱきと動けたのは、というか、実際動いてくれたのは、
この手の仕事に慣れている医療方面担当の看護師さん。
私は付き添いと説明、情報・連絡係に徹することができる。
力量のあるパートナーのお陰で、安心して事に当たれる。
昨夜も今朝も、そして移動中も、移動後も安心できた。
感謝、ひたすら感謝。


移動後は本当にタクシーを飛ばしていく救急診療所のみ。
土地に抱える宿泊施設が大規模なのに、
大きな病院は夜、通りすがりのよそ者を受け入れない。
そんな余裕は無い。地元の救急に追われている。
インフルエンザはどうしようもないけれど、
門前払いが一番困る。通達でタミフルは貰えない。
看病や付き添いは、不安感を宥めることが主になる。


そう、そばに誰かが居るだけで、大丈夫なような気がする。
心配な気持ちを愚痴ってみて、甘えることで
不安感が幾らか減って、多少元気が戻ってくる。
熱が下がり、ご飯が食べられるようになり、
人といることが平気になり、歩けるようになる。
プロの技と言葉掛けの凄さ、心優しい対応を間近に見て
私自身が癒される今回の仕事。


真夜中の2時半。廊下を巡回しながら安堵のため息。
思っていたよりも、大丈夫、大丈夫。
怪我・不調を訴えてくる小さな余震は、
まだ取るに足らない。覚悟していたよりも遥かに小規模。
味方は想像以上に強力。だから、私はついている。