Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

思い出と共に南下

私情から離れ、割り切るべき仕事とはいえ、
自分のルーツの地を通り過ぎていくのに、ある種の感慨を抱く。
両親が仰ぎ見た山々や川を、自分も再び見ているのだと思うと、
やはり、そこはかとなく感じ入るものがある。
既に祖父母は亡く、両親の血筋に繋がる人々が祖先の地を守る。


親戚と言っても、伯父伯母・いとこはとこ達とて遠い人。
そこは地の利の無い、遠き故郷ゆえ、冠婚葬祭上のお付き合い。
それは致し方の無い事。それでもやはり、懐かしく思うのは感傷?
年のせい? 大学卒業以来、南下する旅。
また、1年半余り前、関東に居た頃を思い出させる旅。
仕事で通り過ぎるだけと言っても、思い出は尽きない。
本籍地のみで半世紀近く宮城県人2世で生きてきた、関西人。


大阪・兵庫・徳島・埼玉が今までの生活圏。
もっと広く言えば、関西・四国、関東。
ルーツの東北は、子供の頃の夏休みの場所。
物心付くか付かないかの記憶の彼方だ。
阿武隈川を渡しに載せて貰って、対岸に渡った事も、
白布(しらぶ)高湯の温泉で、木肌に寝湯を経験し、
蔵王のお釜を見た事も、遥か遥か遠い昔。
鳴子・遠刈田・弥治郎系などの伝統こけしに夢中になった頃。

かくれんぼにもってこいの、自分の背よりも高いトウモロコシ畑、
臨海学校の中高生に遊んで貰った、船越の海岸。断水の経験。
祭りの華やかさとはこういうものだと感激した、仙台の七夕。
背中に籠をしょって、祖母と蚕のための桑を摘んだ暑い日。
井戸で水を汲み、火吹き竹でかまどの前に座ったあの頃。
冬に訪れた経験はなく、楽しい夏休みと共に両親の故郷は在る。


祖父の危篤で一人で旅した東北本線
スイッチバックで待たされた駅。たった一人で眺めた5月の山桜。
大学卒業旅行を兼ねて、訪ねてまわった親戚。
東京から夜行で早朝の塩釜、松島。3月で2メートルの積雪の米沢。
雪景色の東北道を南下しながら、思い出だけが通り過ぎていく。

                 

宮城・山形とどんどん南下、福島、いわき。転勤1年目、正月休み、
ドライブしながらハワイアンリゾートにも行ったっけ。
栃木、那須高原、温泉、家族旅行の思い出。
千本松牧場での熱気球。
道はいつしか3年半住んだ埼玉県、川口ジャンクションもよく走ったなあ。
桜並木のたもとに住んだ草加はすぐ隣の市。三郷、八潮も懐かしい。
つくばエクスプレスで旅行の計画してたのに、行けずじまい。
銀座線、C2、荒川沿い、葛西臨海公園は引越し後、すぐ遊びに行った。
ディズニーランドには色々あって、小学校入学まで行けなかった。


そんなこんな思いで一杯になりながら、南下する。
仕事を忘れて思い出に浸る。
その夜、再び看護師と病院へ走る事もまだ知らず、
車中の私は思い出に浸る。
砂漠のような夜のリゾート地を、医者を求めて走り回る事も知らず、
ひたすら思い出に浸る。