Festina Lente2

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記憶に残らない夏休み

娘はそれなりに予定に追われ、勉強に関係のない習い事に精を出し、
運動神経だけは似ないで、体力だけは付けて欲しいという親の思い、
通じているのかいないのか、「水泳」だけは元気に通って丸8年め。
保育園時代から、小学校6年間。あと半年して中学生になればどうするのか?
一緒に泳いでいた友達や先輩も、選手クラスではないので水泳は止めてしまった。
むろん娘も選手レベルではないのだが、バタフライが好き、平泳ぎは苦手、
等と無邪気に語ってくれた時代は遠くに去っていこうとも、
泳ぐ楽しさだけは忘れて欲しくないかーちゃん。
今は埋め立て地になってしまい、臨海工業地帯となってしまった海で、
又は東北の大震災で無残になってしまった海で、泳いだ幼少時の記憶、
浜育ちの思い出は夏の終わりにふと記憶の底から蘇ってくる。


なのに、自分の夏休みの思い出はさっぱりも記憶にない。
一体全体夏休みの記憶というのはどこへ行ってしまったのか。
全く頭の中に蘇ってくる気配のない、夏休み。
小学生の頃よりも、中学生の夏休みに至っては、
その断片すら思い浮かばない。


小学校3年生の時、毎日テレビとラジオでNHKの教育番組を見て、
学年に応じて観たその内容を記録に付けたのは覚えている。
我ながら真面目に取り組んだなという思いが、いまだに残っているから。
言うなればそれが達成感というものの幼い形だったのだろうか。
残念ながら、それ以外の学年での夏休みの思い出が蘇ってこない。


強いていうならば、1年生か2年生の時、絵日記に苦労した。
2年生と5年生の時、母の里帰りで田舎に行った。
トウモロコシ食べ放題、祖母と共に桑摘み、蚕の世話、鶏の世話、
蝉撮り、七夕祭り、そういったものは心に点滅するのだが、
色あせた写真、アルバムの1頁のようにぼんやりしている。
要は、非日常的な夏の思い出だったから記憶にあるのだろうが、
日常生活は、何一つとして思い出せない。


そういえば昆虫採集が得意で、バッタやチョウチョも難なく捕まえていた私。
せっかく標本を作っていたのに、飼い猫に食べられてしまい、
作品にならなかったことがあったが、あれはいつの夏のことだったのか。
そんな感じで、この時は動向という強い思い出がない。
娘の夏休みにしても、娘自身はどの程度記憶に残っているのだろうか。
ブログの記事にしているから日記の形で残っているものの、
親は3年生まで学童に娘を放り込んでいたし、(これは今でも後悔している。
1年生の時に止めさせて、習い事をもっと充実させるべきだった)
夏だからといって親は休みを取れるわけもなし、細切れの思い出ばかり。


夏休みの思い出。娘が私の年齢になった時、
一体何を思い出に残してくれているだろうか。
そして、どんどんぼけていく私が年老いた時に、
どんな思い出が心の底に残っているというのだろうか。
昔のことは思い出せるけれど、最近のことは忘れてしまうという記憶の仕組み。
本当に思い出せるのだろうか、初期の記憶は長期に仕舞っておけるものなのか。


日常に押し流されて、何だか記憶の引き出しがガタピシ
そんな私の夏が、今年も過ぎ去ろうとしている。
娘の小学校最後の夏休みも、過ぎ去ろうとしている。
明日は八月最後の日。葉月晦日(つごもり)。
毎年夏の終わりは大阪センチュリーフィルの応援も兼ねて、
野外ファミリーコンサートに出かけていたのに、
今年はそれにさえも行かずに終わってしまったなあ。

ピュアフル・アンソロジー 夏休み。 (ピュアフル文庫)

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おてんばちいちゃんの夏休み―こども土佐絵日記

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