Festina Lente2

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8月の古本積読書

親には夏休みの宿題はないが、(実はある)
子どもと同じで読みたい本は山とある。
仕事関係で読まざるを得ない本はともかく、読みたいが時間がない。
というか、読むのにもモチベーションが必要。
或いは、一気に読み通す体力的な読書力(集中力・読み取り能力等)、
それは、周囲の環境にも左右される。


気になることがあったり、細切れ時間を使う場合、
気合いを入れて読みたい本は向かない。
勢い息抜き読書は写真集だのエッセイ、漫画の類に流れてしまい、
小説でもライトノベルレベルのもので終わってしまう。
これではいけないとは思いつつも、眼鏡のせいにしたり、
要は今期が無くなってきたということか。


20代、30代の初め頃、年輩の先輩が「本が読めない」と嘆いていた、
あの心境がしみじみと身に染みてきた。
研究者ならばそれなりの職業意識で専門書の海を漕ぎ進むこともあろうが、
そういう「縛り」がない場合、趣味の読書で生きてきた人間は、
屋台骨が脆いと見えて、易きに流れる日々。
どんどん頭は「何も読まない、何も足さない」脆弱な脳細胞に覆われ、
シャーロックホームズのたまう「灰色の脳細胞」らしからぬ「ていたらく」。


出張帰りに古本屋で求めた本が、机の横に転がっていて、
なかなか読み進められない。1冊150円〜300程度で手に入れたお値打ち本。
なのに、このていたらく。ああ。
読書家の方々から見れば、この手の本が読めないで、
日々を過ごしてどうする?
かつての文学少女のなれの果てとは言え、情けない! と
お叱りを受けてしまいそうな・・・。
(日記をまめに付ける気力体力も失いつつある今日この頃)


せめて記録代わりに、購入したまま眠っている本達をご紹介。
あくまで古本屋で衝動買いの個人的趣味の本ばかり。
え、結局これも気晴らし本ばかりじゃないかって?
それはそうでしょう、学術専門書等は古本でもお高い。
掘り出し物に巡り会うのは、気晴らし本とで同様、「出会い」、
もしくは「偶然を装った必然」、又は「必然に見える偶然」が必要。
今月の5冊は、このまま来月に積み残しされそう・・・。

カッコーの巣の上を

カッコーの巣の上を

カッコーの巣の上を (劇書房BEST PLAY SERIES)

カッコーの巣の上を (劇書房BEST PLAY SERIES)

この本は、映画になっているから有名。でも、アマゾンで調べると表紙がない。
構想社本の初版は1986年、私の本は1992年の第3版だ。
高校生の時に見たこの映画の内容から受けた衝撃、
ジャックニコルソンの演技、その後、劇団往来で見た舞台。
思春期の私に一言では言えない大きな影響を与えた映画の、これが日本語訳の台本。
最近では別の出版社から、同じ内容で出ているようなので横に挙げてみた。


次に表紙、題名、訳者名とも見た瞬間、手に取ってしまった本。
全くの新品で、新刊情報やおまけの絵葉書まで入っているそのままの状態。
初版本、ただし、新刊の頃に帯があったのかも知れないが、それはない。
でも、私は蒐集家ではないからそこまでは気にしない。
訳があり、挿絵は英米木版画から選ばれており、むろん原文も載っている。
こんなに有り難いことはない。
ちなみに、私のマザーグース初体験は谷川俊太郎ではない。
小学館の少年少女名作文学全集のマザーグースの訳者は誰だっただろう?
入手した本はハードカバーだが、現在は文庫本で出版されている。

オフ・オフ・マザー・グース

オフ・オフ・マザー・グース


懐かしさに手に取った本。懐かしいのは筆者だ。
私のブログ名は彼のエッセイから覚えたラテン語からだから。
私が学生時代の初版本ハードカバー。
受験勉強をしていた頃は遠い昔だが、よくお目に掛かった記憶が。
その他色んな所でもむろん、彼の文章には目にするのだが、
こうやって改めて古書の匂いを嗅ぎ、古色蒼然と変色した用紙の中に、
並べられた文字を見ていると、今の本と明らかに違う気がする。
昔の本の「活字」体が、行間や頁に独特の雰囲気を与えている。
パソコン編集の明朝体とは、やや趣が異なる。
そんなふうに感じてしまうのは、思い込み?
ちなみにこのハードカバーも文庫本で手に入るもの。

日本の文章 (1979年)

日本の文章 (1979年)

日本の文章 (講談社学術文庫)

日本の文章 (講談社学術文庫)


同じ筆者のハードカバー。これは日焼けもなく保存状態良好。
帯まで付いているので、新刊状態で嬉しい。
年を取ってきたせいなのか、がっちりした表紙の、
つまりハードカバーの本が懐かしいというか、
手応えがあるというか、触感が何とも言えない。
読書という姿勢を作ってくれたのは、かつてこのハードカバー本だった。
ある意味、ハードカバーの本を手にすると、
本に馴染んだ頃の思い出が蘇る。
さて、この本は文庫は出ていないようだ。


最近、俳句関連の本を読もうかと思っているので、
この外山滋比古の本は意図的に手にしたものだが、
常に肩肘張らずに言葉に関する本を読みたい。
文庫や新書というものは手軽で鞄に入るので、
ついつい2,3冊持ち歩いてしまい重かったり、
汚したり傷めたりしてしまうので、私はカバーを必ず掛ける。
しかし、カバーは本来本の顔で面白い表紙だったりするので、
いつも隠していて申し訳ないと思うことは、つどつど。

絶滅寸前季語辞典 (ちくま文庫)

絶滅寸前季語辞典 (ちくま文庫)


この本は文庫で入手。ハードカバーはさぞかし面白いと思う。
続編もあるので見てみたいが、なかなかそんな時間は・・・。
自分が知っていても使わない言葉。
全く知らない言葉が沢山あり、とても面白い。
内容的にもどの頁からでも読めるので、便利と言えば便利。
これは結構ぱらぱらめくりながら気晴らしに読み進めている。

俳人漱石 (岩波新書)

俳人漱石 (岩波新書)


そして、最後はこれまた俳句関連。
この夏は仕事も含めてあれこれ学ぶ機会が多かったが、
俳句に触れる機会もあって、興味関心が傾いた結果、入手。
新書でも古本は安いし、これも帯の付いたままの新刊状態。
会話形式で俳句の内容を語るというもの。
筆者と漱石と子規という豪華メンバー!?
こういう手合いも斬新で面白いなと思い手に取った。


思えば長い文章の本は一つもなく、やはり短く読み易いものを
古本でも選んでしまっている自分が哀しい。
しかし、こういった類のものさえ読めなくなってきている、
時間を取って、腰を据えて、頭を空っぽにして読書を楽しむ、
そういうことが出来なくなってきている自分が哀しい。
どうにか読書の秋に向けて、この自分に「カツ」を入れたい。

漱石俳句探偵帖 (文春文庫)

漱石俳句探偵帖 (文春文庫)

回想 子規・漱石 (岩波文庫)

回想 子規・漱石 (岩波文庫)