Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

護摩木に託す

今年も節分がやって来た。恵方は南南東だそうだ。
コンビニでリラックマの方位磁石がついた恵方巻が売られていて
家人が早速買ってきた。安直な節分恵方巻生活。家族で3等分。
物も言わずにかぶり付く。安直なブランチ。
いやブランチ以前に、もうぜんざいを食べている。
先に神社にお参り済ませてきたもの。お不動様で護摩木を書いて、
竹筒に入ったお神酒も頂き、甘いもの食べて。


 


そう、足元の悪い今日。雨の中のお参りは大変。
用意する氏子も大変。でも、ほら貝は響く。
今日はここで節分だよ、おぜんざいのお振る舞いだよ。
行事を知らせるほら貝は響く。


  


いやあ、山伏だけが吹くものだと思っていたら、こんな使い方も。
ここには2つほら貝があるけれど、一つは音が出にくいそう。
娘は試しに吹かせて貰いました。
むろん綺麗なすぐに音は出ないけれど、瓶を吹いて音を出す要領で
2度目のチャレンジでは微かな音が響いた。よしよし。


  


昨年は退院後1年ということで、厄除けの護摩木を焚く炎が、
頼もしくもあり恨めしくもあり、心に思うことも多かったけれど、
穏やかな寛解が続けば安穏と過ごす事に慣れてしまい、
緊張感も無くお参りしている自分がいる。やれやれ人間って奴は。
それでも家族全員ちゃんと「ひとこと」ずつ、1人1本。
無病息災、心願成就、娘は白紙に何を書いていたのかな。


   
竹に入ったお酒は本当に竹と炭の味がして、鄙びたおつな熱燗。
炎が高く舞い上がると筒が焼けてしまうので、調整が難しい。
そろいのはっぴを着た世話役の人たちは、街中の由緒ある神社を
細々と守り続けている。まだここは世話役が多い方だ。
名水の湧く古来から名高い神社の脇に、お不動様が鎮座して、
こんな寄り合いの場が持たれている。


   


地域の行事、宗教的な行事など、何も経験した事なく育った。
せいぜい七五三どまりである。寄り合いや講など知る由も無い。
地車でさえも遠い。親が地元の人間では無い社宅の生活は、
ある意味切り取られた別世界。子供同士の情報は知れている。
親がシャットアウトしてしまえば、何も入ってこないに等しい。
今から思えば、随分閉鎖的な隔絶した世界。我が家という家庭環境。

  


親は親なりに大人の付き合いをしていたのかもしれないが、
子供の目には触れないように、というのが教育方針だったのか。
田舎の冠婚葬祭からは程遠い付き合いの希薄さは半世紀前から。
非社会的な家庭内環境。親が社交的ではなく、出不精。
物見遊山気分で出歩く事も無いというのは、ある意味刺激が無い。
毎年の帰省は、毎年同じ場所に行くということで、刺激が無い。
子供の私は田舎がある贅沢を理解できず、退屈だとしか思えなかった。


親に言わせればそんな余裕はなかったのだと言う。
出歩くほど余裕は無かったと。体力的にもというよりは金銭的にだろう。
そして今、高齢出産で一人っ子しか授からなかった私。
子供の頃、親と出歩いた記憶が希薄な私は、
逆に娘とどこかに出かけたくて、何かを観に行きたくて仕方が無い。


例えば、民俗学博物館の中の季節行事をビデオや本で調べるよりは、
本物を見せたい。たとえ昔と違う形になってしまっていても、
今残っている形で、私も一緒に見たい。
そんなかーちゃんです。
でも、保育園や小学校の1年みたいに鬼のお面があるわけでもなく、
用意してあったはずの豆まで見当たらず、黒大豆で豆まき。
緊張感に欠けた豆まきで終わった一日でした。(笑)

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