Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

ちりとてちんセラピー

本日世界女性デー。自分でミモザを買って飾った。
勉強会にもお裾分け。修了書を頂いて一区切り。
1年半、そして4月から新たに一歩前進・・・。
ひとまず仲間とはお別れ。皆それぞれの活動へ。
「皆それぞれ」と言えば、ああ、あと3週間。
残り僅かになってきた『ちりとてちん』に癒される日々。
見学したセットがテレビ画面に現れるたび、不思議な気分。
何と表現すればいいのか・・・。


しかし、この期に及んでも展開はなかなかハード。
紆余曲折、ドラマ・セラピーちりとてちん
見ているだけで色んな人の立場になり、感情移入。
その人の気持ちを味わい、切ない思いを我と我が身に。
ひたむきさに励まされ、声援を送り、共感し、涙が滲む。


一人一人、それぞれの登場人物に焦点を当て、
親子・きょうだい・友人・師弟等の人間関係、
家庭や学校生活・行事・家業・自分探し・修行・仲間・
失敗と成功体験・恋愛・失恋・大切な人の死と別れ・
親離れ子離れ・自立等、成長過程、人生のテーマ。
トラウマ、劣等感、焦燥感、ジレンマ・怒りや悲しみ、
感情豊かに演じられる日常生活の中で起こる
様々な問題に、思わず自分自身を投影してしまう。


脚本家はドラマの登場人物に愛情を注ぎ、
まるでファシリテーターのように一人一人を尊重する。
誰か一人だけに焦点を当てるのではなく、
関連する物事、人間関係、全てを巻き込んで、
一つのドラマに仕立て上げる。
エンカウター・グループが回を追う毎に深化し、
複雑に見えていたものがシンプルに提示される。
隠されていたものが露わになり、
先送りされていたものが、突きつけられる。


その機を逃さずに質問をし、問題を明確化し、
置き換え、リフレイミングする。
言い換えられ、納得するまで続く自問自答。
或いは人の言葉を素直に受け止める、
または勇気を振絞って自分の言葉を紡ぐ。
演出された癒し? 統合の過程?
観客は自分の持てる視点で、自分に可能な分析を行う。
従って、自分の望む物の見方から自分なりの解釈を導く。

ドラマセラピーのプロセス・技法・上演―演じることから現実へ

ドラマセラピーのプロセス・技法・上演―演じることから現実へ


そう、人は自分の見たいものを見、聞きたい声を聞く。
どれほどのものが意図され、用意されていたとしても、
自分の力で受け取れるものは、今の自分が理解可能なもの。
主人公が持っていて石ころだったものが、A子が持つと化石。
誰かが持っていて何でもないものが、自分には宝物。
世間では実によくある話。宝の持ち腐れ、あ、違う違う。


にほんごであそぼ』の「ややこしや」の世界でしたかね。
嘘がまことで、まことが嘘じゃの表裏一体。悲喜こもごも。
両親にも自分にもA子の家庭にも、親友順ちゃんにも、
言うに言えない物思いの日々がある。
自分だけが苦しく寂しく悩んでいる訳ではないと、
わかっていても、自分だけがかわいいのが普通の人間。


普通の人間が泣き笑いの中で生きている、当たり前の世界。
落語の世界。笑いで免疫力挙げているの? いやいや、
けれども、「泣くのは嫌だ笑っちゃおう、進めー♪」の
ひょっこりひょうたん島』の歌のように、
自分を励ましみんなを勇気付け、ポジティブになりたい。
できるだけ、物事の明るい面を見る強さを持っていたい。
(暗い面に心が持って行かれそうになる時は、特に)


最近は、話題の切り口・展開がどんどん深くなっていく。
秀臣さんが生育暦に絡んで、若狭塗り箸にまつわる
自分の気持ちを吐露した辺り、親子・夫婦の思い。
主人公役の家庭と師匠草若と兄弟子だけではなく、
親友順ちゃんやA子の恋愛・結婚・親子関係にも、
徒然亭を愛するご近所地元との関係にも
万遍なく話題が回って、スポットライトは舞台だけではなく、
客席をも照らす勢い。螺旋階段を回って挙がりながら、
統合を目指すピラミッドさながら。


特に草若師匠の死を前にして語られる、
弟子達一人一人のエピソード。
時間軸にのっとって過去から未来へ、回想。
走馬灯のようによぎる思い出、手放したくない落語、
まだまだ育て上げたい弟子達、磨き上げたい話芸。
人生に経験を散りばめる、塗り重ねる、研ぎ出して、
磨きをかける。


人が汗水流し種を蒔き、水を遣り育て、刈り取り収穫。
88回手間隙かけた米を一粒も無駄にせず、
その口元へ運び、作った人料理した人食べる人、
全ての人の思いを繋ぐ箸一膳。
人の居住まいを正し、気品を与える箸の扱い、
その上げ下ろしでお里が知れる。
「よう躾けはりましたなあ、きれいな箸の遣い方」


さて、嘘つきの鉄砲勇助こと木曽山君に贈られた正平の箸。
はてなの茶碗」程の値打ちが出るかどうかはともかく、
意味深なメタファーとして、物語を今週まで引っ張ってきた。
優等生の正平が心優しさの余り甘え下手で、
器用に何でもこなせるが故に、本当にしたいことができない。
そのジレンマを、「おかみ」として頑張る姉に対する愛情を、
切ないまでに描きあげたからこそ、木曽山君の愚かさが引き立つ。


ちりとてちんはセラピーだ、と改めて思う。
芸術は爆発だ、箸は人の人生そのものだ!?
箸の使い方、マナーには禁じ手が一杯。そう、嫌い箸の数々。
もしかすると、これって生活や性格、生き方そのもの、
色んな例に当てはまるよね、と考え出すと恐ろしい。
「箸に始まり箸に終わる」食事のマナー。
実は、生活・人間・人生全般を切り取って見せる。
恐るべきちりとてちん、箸の演出する世界。


心穏やかに、笑顔一杯で、背筋をピンと伸ばして、
美味しく食べ物を頂く。・・・お箸をきちんと持って。
考えてみると、簡単なようで難しい。
がつがつ掻き込むのではなく、しっかりと味わいながら頂く時、
居住まい正して食卓を囲む、家庭の品格、家族の絆、
共に在ることの素晴らしさ、箸を上げ下げする向こうに
そういうものが透けて見える。


移り箸 迷い箸 ねぶり箸 くわえ箸 指差し箸 寄せ箸
つき立て箸 拾い箸 叩き箸 渡し箸 揃え箸 涙箸 もぎ箸
かき箸 差し箸 噛み箸 振り上げ箸 押し込み箸 空箸
落とし箸 横箸 すかし箸 掻き箸 直箸
幾つご存知ですか? http://www.my-hashi.jp/chopsticks/index.html


自分が料理なら箸にどうして貰いたい?
自分が箸なら料理とどのように、コラボレート?
そう、箸をどのように使うかはその人次第、
箸を使う人間次第で箸の在り様は変わる。
箸の作りては世の中の酸いも甘いも噛み分けて、
人生を塗り込めて研ぎ出すわけか・・・。
こりゃ磨きを掛けるのも大変だわ・・・。


と、一人セラピーに向けて夜は更けて行く。
ミモザの下で自己カウンセリング。
思い出の「ちりとてちん名言セラピー」で悦に入る。


(オマケ)
磯七さんこと松尾貴史の前に並んで土下座し、
伏し拝んで謝り願い奉る草々・喜代美・木曽山。
「俺は一つでも落語が沢山聞けたら、それでいいねん」と
大阪を離れる予定の磯村屋さんが許すシーン。
娘は「この人が心の広い人で良かったね」としみじみ。
小2の娘に、心の広い聴き手が噺家を育てると看破され、
かーちゃん、心の広い親にならねば・・・と思った次第。

おとなの箸袋おりがみ

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究極のお箸

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