Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

「桃太郎」から始まって

体調は不調。副鼻腔炎か風邪か花粉症なのか、洟ズルズル。
痰は絡む、喉はイガイガ、微熱は出る、突然の腹痛、
体重を右足にかけた途端、足の甲から脹脛、太股、
足の付け根へと螺旋状に昇るように走る痛み、
全身の倦怠感、更年期では済まない。


首・肩の痛みは呼吸を浅くさせる。鼻をかむと耳が痛い。
何だか頭の中から酸素が無くなって、酸欠になったような感じになる。
ボーっとして眩暈。パソコンの使いすぎで目は霞む。
いや、老眼のせい? ものを考えるのが鬱陶しい。 
書いた文章は消える。資料は読めない。
あれ、自分でも何やっているんだろう。


かろうじて家族と過ごしていると、別の自分に戻れるのだが
拗ねた娘と後を追う家人に追いつけず、とぼとぼ夜道を歩く。
発作的にもうどうでもいいか、笑顔になれない思う。
誰も彼も自分から遠ざかってどこかへ行ってしまう、
遠く離れてしまう。一人取り残されてしまう。
そんな思いの中にスーッと落ち込んでいくと、なかなか這い上がれない。
独りになりたい。痛みから逃れ、独りになりたいと思う。

更年期にやさしいCD?イライラ

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更年期にやさしいCD?沈みがち

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温かい布団もお風呂もあるのに、自分からそこに近づけない。
距離をとって離れていたい。そんな気持ちになるのは何故なのか。
自分が粉々になった感覚が薄れて、ゆっくりと一つにまとまるまで、
時間が欲しい・・・と思う。仕事や家族を離れて。


本日の御題。桃太郎。桃太郎を材料に、どう展開するか。
ももたろさん、ももたろさん、おこしにつけたきびだんご、
一つ私に下さいな。♪ さて、・・・。
桃太郎を心理学的に、か。民俗学的にじゃなくて。
不思議がありすぎるよね、昔話の世界は。


桃とは何か、何の象徴か。何故桃でなければならなかったのか。
おじいさんとおばあさんに子供ができなかったのは何故か。
何故、川から桃が流れてきたのか。
どうして、子供を授かったのか。
桃太郎が大きくなるまで、じじばばは元気に生きていられたのか。


桃太郎は何歳まで育てられ、幾つで鬼退治に行く気になったのか。
出かける時から、日本一の桃太郎ののぼりを持っているのは何故か。
どうして黍団子を作って持たせたのか。何故黍団子なのか。
犬・猿・雉はどうして黍団子を欲しがったのか。
どうして鬼退治の家来が動物なのか。
何故、犬・猿・雉でなければならなかったのか。
他の動物や、人間の家来では駄目なのか。


そもそもどこから鬼ヶ島の情報を仕入れたのか。
鬼とは何? 桃太郎とその周辺は直接その被害を受けたのか。
鬼ヶ島とは何の象徴? 戦うことに何の意味が?
もって帰ってきた宝物とは本当は何? それは何に使うつもり?
帰ってきた桃太郎はどんな気持ち、何をしたい、
これからどうする。

桃太郎の運命

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新桃太郎物語―生きる知恵と活力を育む

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鬼・雷神・陰陽師 古典芸能でよみとく闇の世界 PHP新書

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そんなことに考えていると、次第に気持ちが落ち着いてくるから不思議。
家や仕事の苛々やこだわりが、体の辛さや諸々の事が
消えていくように感じられるから、不思議。
架空の世界を覗いて、現実の中に帰ってくると、何だか景色が新しく感じる。
自分が鬼ヶ島に旅をした訳ではないけれど、
仲間と共に考えたり話し合ったりしているうちに、
仕事に向けてのアイデアややる気が少し復活する。


確かに、仲間は人間とは限らないのだろう。
携帯食料は握り飯ばかりではない。
黍団子を実際に食べたわけではないけれど、勉強するとお腹が空く。
朝感じなかった食欲が、戻ってくる。
突然襲ってくる虚しさや哀しさ、怒りや憤り、麻痺していた何か、
そういうものが解凍されてくる。


『ひとつだけの花』ではなけれど、「一つ私に下さいな」を
エンドレステープで繰り返しているような自分に気が付く。
その「一つ」は決して一つではありえない、たとえようの無いもの。
数えられない、無数の一つ。欲しいものがあり過ぎる故の一つ。
一つだけではなく、一つよりも沢山なのか。
一つさえあれば満足なのか。答えは出てこない。
人間って欲深いから。私も同様。


誰に向かって何に向かって、
「一つ私に下さいな」を言い続けるのだろう。
そして、私は自分で黍団子を作る事が出来るのか。
黍団子を持って旅する事ができるのか。
誰かに黍団子をあげる事ができるのか。
疑問は果てしなく続く。自分に限りなく問い続けたくなる。
ともすれば落ち込みそうになりながら、やめられない問い。


私は知っている。こんな風に考え続ける事ができなければ、
考える時間を持つことができなければ、私ではない。
そしてまた、知っている。こういう事を考えずに体で動ける、
理屈抜きにしなやかに動ける行動力、
もはや考える事を通り越して、必然性で当たり前に動く。
そういう世界に憧れているからこそ、
知識から知恵を、経験から学ぶ事を、
リメイク、リフレイミングする事を、意識するのだと。


考えていると、チラリと鏡に自分が映った気になる。
吸血鬼みたいに姿が映らなかった鏡に、映ったふりをしていたのか。
それとも少しは映るようになったのか。
桃太郎から始まって、鏡よ鏡。
本当に映っている私は誰?
見たい姿? 見たくない姿?
単なる「一つ私に下さいな」の延長?
エンドレスでメロディが頭の中に響く。

馬鹿の鏡 (昔話に学ぶ「生きる知恵」)

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ももたろう―だれでも知っているあの有名な

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こどもにきかせたい童話~桃太郎~(絵本付)

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