Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

研ぎ出せば輝くのか

ちりとてちん』の回も残り少なく・・・、もはや、研ぎ出しの時期。
今まで塗りこめてきたものが出て来る出て来る。
A子こと清海の塗った箸が研ぎ出しの秋を迎える。
思い出の石の輝きを封じ込めて、果たして如何なる模様に?
それを見守る、喜代美の両親。
人の成長には実の親子以外に見守る大人が必要だと、痛感。


親の悲願、常打ち小屋へ掛ける思い、親の心に思い至る小草若。
思い出の詰まった家・土地を投げ打っても・・・と別れを惜しみ、
一門の落語会に集まった人々、面々、まさに愛宕山ですね。
「その道中の賑やかなこと」淋しさの中の賑わい、
いつの間にか、他の一門を巻き込んでの青空一大落語会へ。
そこへ「ワシの力に頼らんでも、常打ち小屋ができたやないか」
悪役憎まれ役でやって来た会長、本日いいとこ取り。
草若の遺影と重なって映る会長の顔、この辺のカメラワークが憎い。


そう、特にアップが多かった訳ではないが、
こまめなカメラワークは登場人物の表情を一人一人捉えて、
その役柄・個性が生み出す思いをうまく観客に伝えていた。
演出の確かさに裏打ちされた演技指導、そして編集。
個性の異なる役者のチームワークを、徒然亭一門に仕立てる技。
公開セットで見たものが、同じものだとは思えない。
画面で生き生きと映し出され、活躍する小道具大道具。


何気ない道具・物がしっとりとした情景、物語の背景を形作る。
台詞のやり取り、何気ない間、チラリと見せる表情、目の動き、
編集されて磨き上げられ練り上げられて一つの台本が、
多くの人の手を経て、物語として輝きを放つ。
回を追う毎に塗りを重ね研ぎを重ね、様々な模様を見せる物語に。
無論、見る側の心、思い、生活を反映して相互作用で研ぎ出される。
一つの作品が、一つの終結に向けて仕上げに入ろうとしている。

経験と教育 (講談社学術文庫)

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素材Book 日本の文様

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何を埋め込み塗り重ね、研ぎ出すまで保ち続ける事ができるのか。
おそらく何事も経験、自分だけの経験。もしくは個人の歴史。
同様に家族としての、親子としての経験、歴史。
人との関係も、一時の激情も、愛情も友情も恋も憎しみも、
目にするもの音に聞くもの、手に触れるもの舌で味わうもの、
馥郁とした香りさえもが、五感の全てが塗り込められる。
どこからどんなふうに削り、研ぎ、模様を出すかは
その人次第、家族次第、人間関係次第、仕事次第、
あらゆるものに課せられた過程、未来への布石、
夢見る形、イメージ。


でも、現実は甘くない。壮大な明日へ至るまでの卑近な今日。
娘を音楽発表会の練習に送り出し、その合間に家事、
再び迎えに行きまじまじと顔を見れば、何か変。
前髪が!? 切り揃える為に伸ばして来た前髪が無い!!!
後ろは編み込んでいたのだが、
発表会の前に切るのを待てなかったのか、
・・・鏡も見ずに自分で落ちてくる前髪を切ってしまったらしい。
紙バサミしかないはずなのに。


問いただしたのに、知らないわからないとシラを切り通す。
このしぶとさは誰に似たのか? 
学校のプレッシャー? 明日の発表会のプレッシャー?
それにしても、嘘を付き、刃物を使って、
こともあろうに修正不可能な前髪・・・。
久々に、切れました。予定は未定。時には衝撃。
迎えに行った後、耳鼻科・美容室・買い物・食事のはずが。


行きつけの美容室にて、「切ったものは仕方が無いから」と
年配の店長さんに宥められる私。あやされたしなめられている娘。
情けない思いで一杯。編む気力も失せ、後ろ髪も尼削ぎに。
娘の前髪は伸びるだろう。けれど、娘が勝手にした事が、
自立の一歩だったとしても、私には衝撃の一歩。
何が娘の髪を親に内緒で切らせたのか? 


とーちゃんと来たら、がっくり来ている私に追い討ちを掛ける。
「刃物を持って自傷行為に走る、リストカットの前触れじゃないの?」
こういう瞬間、夫婦は最も遠い他人。何の助けにもならない。
親の関心を引きたかったのか、音楽発表会を前に
髪を綺麗に整え直すのがわかっていなかった筈は無いのに。
「髪が目にかかって来てうるさいから」それだけ?


忘れていた、自分では覚えていない昔の出来事。
小学校に上がる前の幼児の私は、母親の剃刀で
三面鏡を覗き込み、一心に顔を剃っていたのだという。
顔がどうなっていたか、その後親がどうしたのか、
詳しくは聞いていない。ただ聞かされたのは、
「親がすることを、どこで見て覚えて真似するんだかねえ」という言葉。
私は髪を自分で切ったりはしないのだが・・・。
何を見て、何を考え、髪を切ったのか。
娘は親の何を見て、何を考えて、鋏を手に取ったのか。


私にとって、娘の髪は特別。
親がしてくれたように伸ばし、梳き、梳かし、編み、
もはや失われた黒髪の時代をいとおしむ様に、
大切に大切に扱ってきた(つもりだったのだが・・・。)
髪は娘の髪であって、私の髪ではないのだった。
娘が自分で鋏を入れた髪。自分で扱おうとした髪。
今ひとたび尼削ぎにし、その後十分伸びてきても、
今までと同じように、私が編むことはないだろう。


春からは小学校3年生。自分で髪を編むといい。
自分で髪の手入れはできるだろう。
自分の歴史、家族の歴史、親子の歴史、
何を埋め込み塗り重ね、研ぎ出し、模様とするか。
少なくとも娘が自分で短くした前髪、
必要以上に短くした前髪は、私にとっては象徴的な出来事。
編んだり束ねたりを自分で行う以上に、
切り詰められた髪の向こうに、私は切り捨てられた感じ。
娘が経験を一つ塗り重ねるたびに、私はそれを受け入れられるかどうか
試される日々が始まる。


親が用意するのではない、髪。洋服、着こなし、物言い。
親の好みで動くのではない、意志、行動、生き方。
9歳の壁。親から離れる自我の芽生え。自己主張。
それが嘘やごまかし言い逃れではなく、
自らが欲する所に従ったことを明言できない限り、
かーちゃんは怒りや不安で、切れる。
多分、これから果てしなく切れて、再構築し続ける
親子の葛藤のほんの手始め。まだまだ先は長い道のりの。


自立と行動力は、反抗と反発、未知や創造への別の側面。
わかっていても落ち込み、切れる。
親として経験不足の、未熟な、一瞬一瞬の塗り重ね。
ちょっとした事が単なる悪戯や悪ふざけとわかっていても、
笑って見過ごす事ができない時があるように、
当たり前の成長、当たり前の変化に、出来事に、
がっくり来る。前髪事件にがっくり来る。
些細なことに思い入れ深過ぎる自分自身にも。


こんな今も積み重ねていけば、いつの日か輝くのか。
削り出せば研ぎ出せば、模様になっているんか。
艶を持って輝くものなのか。

亜麻色の髪の乙女?ハープ名曲集/ラスキーヌ

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