Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

守るも攻めるも

何をどう転んでもただの勤め人。できることは知れている。
しかし、同じ働くならば気持ちよく働きたいし、
経済効率一辺倒というわけではなくても、省エネは心掛けたい。
心身共に20代30代の若さや勢いで乗り切ってはいけない。
年齢が立場や役職を伴ってやってくる。
それが回りもちの役職であったとしても、代表で会議に出たり、
秘密裏に情報を受け取ったり、内々に打ち合わせをしたり、
それとなく配慮を要請したり、目に見えない仕事は多い。


若い頃は仕事の先が見えない。配慮の方向や影響がわからない。
仕事を覚えるのに精一杯で、一を聞いて十を知るなんて、とても。
言われたことだけを完璧にこなすことさえ至難の業で、
毎日が新しい経験で、経験を積み上げるのにすったもんだ。
今はそれさえも懐かしい気がする、年度末。
目の前に迫った来年度のことを、模索、計画、画策。
最近はメール一斉送信で、情報も早い。
ヒラにはヒラの情報網が暗躍して、悲喜こもごも。


何度か転勤を繰り返してこの年まで来ると、
顔見知りや噂、人づての情報とじか情報、直接間接入り混じって
受け入れ側は戦々恐々になったりする。
配置次第では、次年度予定していた仕事が飛躍的に進む、
もしくは諦めて次案、振り替え差し替え案で再構築。
そのせめぎあいの年度末年度始めに追われるからだ。


変われば変わるもので、
そういうものに無関係だと思っていた(思っていたい)のに、
その真っ只中で、調整しなければならない立場に噛んでいる。
何てこったいと思う。本当はやーなこったとも思う。
そんなふうに小賢しく立ち回れない自分とわかっていても、
ある程度、さくさくとこなして動けるようになっていて、
実際にはあれこれ動いている(つもりかな?)自分が、
お、頑張っている!?と思える時もあれば、
歳をとってしまったのねぇと感じることも。
我ながら、複雑です。

ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫―学術)

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ハイデガー拾い読み

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攻守という言葉があるけれど、なかなか積極的に攻めるのは難しい。
基本、私は守りの人だと思う。(逆に果敢な攻めと間違える人も)
できることできないこと、しなければならないこと、
分をわきまえること、積み重ねていくこと、
バランス、棲み分け、何通りも重なる役割分担、
そういうものをさらりと当たり前のようにこなしていく、
そんな器用さを持ち合わせていない劣等感に引きずられて、
ますます身動きが取れなくなり、墓穴を掘る。
若い頃、仕事に対するセルフイメージは、良くなかった。


最近、ようやく慣れと経験と開き直りがない交ぜになって、
「嫌よ嫌よも好きのうち」的な離れ業が出せる感じ。(笑)
仕事にある程度、割り切って距離を持てるうようになってきた反面、
妙なこだわりが増えたりする。遣り方に固執したりする。
立場が変わると、絶対にしたくないと思い込んできたことも、
止むを得ずと判断する羽目にも。
変われば変わるものだ。


守りを固めること、足場を固めること。
それが転じて、強力な攻めになるのだと思っていた。
頑なに殻に閉じこもるのではなく、オープンでありながら、
実はそれが守りに通じるというのは、度胸・度量がいる。
風通しの良い人間関係、チームワーク、上下。
組織自体に緩やかな自己規制があり、弾力がある。
また、自分も同様に柔軟で変化できる。
・・・理想は、そういうものだが現実は甘くない。


自然に変化するのか、意識的に変化するのか、
いやいや変化させられるのか、自ら変化を勝ち取るのか。
一見流されるように見えながら、起死回生のチャンスを狙い、
虎視眈々と周囲を窺い、勝機を招くように動く。
そういう生き方は、自分の個性とは無縁、縁遠いと思っていた。


しかし、実際は仕事でも家庭内でも、マネージメントすること、
機能を維持するための戦略、計算ずくと言ってしまえば身も蓋も無い、
心遣いや気遣いと言えば格が上がるような、そういうものがある。
将来への見通し、段取り、読み、算段、そういうものが、
やりくり、切り回し、嘘も方便、顔で笑って心で泣いて、
男は度胸女は愛嬌、袖触れ合うも他生の縁、情けは人のためならず。


あちらを立てればこちらが立たない不器用なかーちゃんは、
家と仕事を行ったり来たり、落ち着きの無い状態。
そんな自分に落ち込みながら、乗り切ったと思いきや、
もぐら叩きのように、あれこれ顔を覗かせる。
伏兵はいつも家族だ。仕事を続ける上で頼りになり、
この上も無く足を引っ張ることにもなる。
強い味方であって、手ごわい敵。
獅子身中の虫


家族も一門も落語の未来も大団円に向かっていく終盤、
ちりとてちん』の流れを見ながら、
現実の家族はこんなふうにハッピーエンドにはならない、
仕事も同じ、次から次へと・・・、苦い思い。
春野菜の苦味のように消えないものを
どう美味しく食べようか料理しようか、思案に暮れる。
攻めても守っても、攻守表裏一体。
自分の甲羅の重さに疲れている亀のように、
手足を引っ込めて、休んでいる。
そんな私。

ああ、ガメラになりたい。

コヤニスカッツィ

コヤニスカッツィ

coup d’Etat

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