Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

歓送迎会の夜

幾つかのパートに分かれて仕事をしている。
そのうちの一つで歓送迎会があった。
送られるべき人が都合で来られない事もあるし、
都合という名の元に来ないこともある。
転勤というシステムのもと、さばさば縁を切って、
やっと手に入れる「まがい物の自由」なれど。
(それは早期退職だったりすることもあるそうな)
しがらみから逃れて後は野となれ山となれと、振り返らぬ。
そういうことは珍しくない。


転勤で迎えられた人間は、この3ヶ月の様子見、一段落。
しかし、内部組織の編成上行ったり来たりする人間は、
結局毎日顔を合わせる人間との間で、歓送迎会という微妙な立場。
それはともかく、久しぶりに2次会まで人が集まる宴会が催された。
近来稀、というか、私も転勤して来て2次会に顔を出すのは初めて。
明日は家族旅行という前日なのに、2次会に出ていいものか?
いや、それは、色々成り行きが。


で、同い年の男やもめが新人の女性にくっついているのを
両方の保護者のような心境ではらはら見ながら、
片や最後まで担当し切れなかったお客の行く末を案じ、
涙に暮れている同い年の元同僚の話を聞き、
若い子ぶりっ子とおばさんの中間で、不思議の国のアリスならぬ、
年齢不詳の装いの歌い手が披露するカラオケに拍手をする。
久しぶりに混沌とした2次会と相成った。

江戸の転勤族―代官所手代の世界 (平凡社選書)

江戸の転勤族―代官所手代の世界 (平凡社選書)

ホットペッパーで幹事が見つけてきた店は、「当たり」。
料理も飲み放題も満足度が高かった。
珍しく大勢集まった上に、カラオケ好きの室長を送るという事で、
転勤して初めてカラオケにお付き合い。


男やもめで「死に体」だった人間が、20年ほど若返った様子で
やたらにやけながらデュエットしている姿。
若ければ目くじら立てて嫌悪感もひとしおだったのだろうが、
こういう場で年甲斐も無くはじけている人間を見ると、
仕方が無いかという様な、やるせない痛ましさが先に立つ。
好きにすればと思ってしまう自分の立ち位置というか、
心境の変化というか、何と申せばよいのか。


それにしても、私が歌える歌はただでさえ懐メロ。
今時の新しい曲なんぞ、わかるはずもない。
新人の生まれた年よりも前に既に就職している私。
まったくもって歌える歌は、限られている。
されど、今夜は同い年が4人。笑えるほど歌が古い。


世代間では、お互い聴いたことの無い知らない歌を歌い合っている。
そんな様相を呈しながらも、カラオケ2次会は進む。
歌える歌には共通する傾向、好み、時代が反映される。
歌い手の思わぬ一面、隠れた才能、過去の思い出、垣間見。
画面の真正面に陣取り、涙に暮れる元同僚とは話したい事があり過ぎて、
結局殆ど話が出来ないまま、別れる羽目に。


私がケータイを遣わないことを知っていながら
ケータイメールがパソコンに届いていた。
次に会えるのはいつかわからない。
会えば会ったで、なかなかあり難くない情報ばかりが届く。
どう返信したものか、慇懃無礼になりたくないが故に悩む。


心余りて言葉足らず。メールは苦手だ。
手紙にはならない、手紙とは異なる連絡。
話したいことは時間がいくらあっても話足りない。
情報をいくら貰っても妥協できないこともある。
「ホウレンソウ」の間柄ではなくなったのだから、
冷たいようだけれど、今更どうしようも出来ないことも。
だからと言って、単純にご縁が切れてしまう、
それは無いのだけれど、ありはしないのだけれど。


お互い「去るものは日々に疎し」で生きている。
仕事であれば尚更に・・・。辛いことではあるけれど。
心余りて言葉足らずな思い、お互い身に染みて。
明日からの予定を控えて午前様になりかけた。
今はただ、仕事から意識を飛ばして明日からの家族旅行。
まだ荷造りも済んでない。一泊二日の旅とはいえ。


机を並べて仕事をしていた人間が消えて、
転勤の余波がさめて落ち着いてきた感がある今、
歓送迎会で会うことに、感慨よりも何よりも、
耳に入って来る様々な消息の、今更聞かされても、
如何ともし難い内容に触れる厭わしさ。
そういうものからも離れる為に、せめて一泊なりとも消えるのだ。
今、ここから。


伝えたくとも伝えられない。時機を逃せば、虚しいだけの、
今更取り返すことの出来ない時間や、その他諸々のことを、
お互い近しくやり取りする事が叶わなくなった今、
そして殊更、誰の耳にも入ってこなかったことを、
誰の口からも聞かされなかったことを、この期に及んで、
伝えるに忍びず、聞かされることに耐えられぬものを、
切り捨てることを選んだからとて。


そんな思いを写し取るかのように、
聞き流すには辛い言葉を懐メロは紡ぐ。
深読みをしたくなるような言葉を、懐メロは紡ぐ。
送られる人間が、今更何を伝えようと預かり知らぬ。
たとえ心余りて言葉足らずであったとしても、お互い様。
右に左に分かれていく、そういうものなのだ。
今更心残り? ならば、もっと前に何かすべきだった。


取り返しが付かぬこと、他人様行儀で済ませることならば、
そのまま通せばよかったまで。それを、この期に及んで、
この場だからと持ち出されることなど、
私に何の意味があろう。
会っても何もできぬ。何も変わらぬ。
私の立場であれば、敢えて何も伝えぬ。
次々に不発弾を掘り起こして来られても、
私は爆弾処理班では無いのだから。


私は些細なことにも吹き飛ばされてしまう人間。
些細なことでも引き出しの奥にしまっておく。
虫干しもせず、洗い張りもしない様々な事柄、
紙魚の住処に日を当てて、白日の元に晒そうと、
虫食いや染みは元には戻らぬ。
そういう生活、そういう人間。
肝心な所で、心余りて言葉足らず。

「さようなら」の事典

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