Festina Lente2

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MY BIRTHDAY

その日はどんな日だったのだろう。
予定日は5月だったのに、3週間も早く生まれてしまった私。
その日はどんな日だったのだろう。
仕事を辞めて嫁いで、東北から関西へ。
同郷の夫の働く新天地に未来を築く気持ちで、
真新しい社宅の団地の4階の窓から、
初産の身重の体をいたわりつつ、
松林の残る海を見つめながら、
潮の遠鳴りを聞きながら、
どんな気持ちでその日を待っていたのだろう。


私の母が母親になった時、
私は何も知らないかわいい赤ちゃん。
長女として生を受け、母の実家では初孫。
16人きょうだいの末っ子として生まれた父が、父親になった日。
私は、朝8時ごろ生まれてきた、少し小さめの女の子。
4月生まれの女の子。
その日はどんな日だったのだろう。


寒さ和らぐ日々、ソメイヨシノが終わり八重桜の頃、
緑が鮮やかに甦るこの季節、私は生まれてきたのだ。
それは、両親にとって、どんな日だったのだろう。
2人の結婚記念日から、3週間たって生まれてきた私。
男きょうだいばかり下に3人だった母にとって、
同性として生まれてきた私。
その日はどんな日だったのだろう。


4月21日 今日は私の誕生日。
お母さん、私を生んで育ててくれてありがとう。
お父さん、今でも元気でいてくれてありがとう。

ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日 (ステラMOOK)

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バースデイ・ストーリーズ (村上春樹翻訳ライブラリー)

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知命まであと1年。
後半年で9歳の娘の母親。
四半世紀を越えた仕事を続けてきて、
家人とは結婚10年。


おや、スィート・テン・ダイヤモンドの年。
緊縮財政の我が家ではショートケーキが関の山。
今年は誕生日のプレゼントもお花も届かないけれど、
家族みんなが元気で過ごしている事が、何よりです。


新しい電子ピアノが届き、母や家人の病状は安定、
あちこちの古傷とメタボ予備軍のメンテをしつつ、
手足がにょきにょき伸びてきた育ち盛りの娘と、
その日その時の課題を与えてくれる仕事に恵まれ、
これが幸せでないとすれば、何でしょう。


ほっと溜息を付ける生活。
散らかしっぱなしでも、何とか回転すること。
ばったり倒れてしまっていても、どうにかなる。
絵に描いたような、リビング雑誌のような、
憧れのライフスタイルからは程遠い。


こんな筈ではなかった運命、夢、人生、世界、
・・・だからこそ、齷齪だからこそ人は生きていける。
楽しちゃいかんのです。
体も心も、なまっちゃう。
試練、そういう言葉がぴったりの時もあって当たり前。
でも、歩いて行ける毎日。進んでいける毎日。
急がば回れの毎日。


憧れた先人、文人、有名人、佳人薄命の美人達を追い越して、
半世紀まであと少し。
毎日の曜日もわからない母に挨拶をしにいくと、
私の顔を見ることも無く、手にした本にめをやったまま、
自分の世界に入っているのに、
「その年では知らないわからないでは済まないのだから、
 しっかりしなさい。」
多少記憶があやふやでも、いつまでも厳しい母。(笑)


これでも軟弱者の娘は、弱音を吐きつつ強くなってます。
ぼやきながら愚痴りながら、強くなっています。
「知らない・できない・わからない」とうろたえつつ、
調べたり、シミュレーションしたり、やり過ごしたり、
知っていても知らない振りを、
知らなくても知っている振りをしながら、
毎日は遣り繰りして行くもんだと、どうにかなるものだと
思えるようになって来ました。


人生プラスマイナスゼロだというけれど、
今は絶対プラス。
老いを意識し、迎えつつ、孫を想定して生きる友人たち。
子供の結婚が目の前にあり、セカンドライフ実践中の友人たち。
キャリア一直線の友人たち。
そんな中にあって、8歳の女の子の母でいられるということは、
どんなに親として、女性として、心柔らかに過ごせることか。


職場で求められるような円熟味や老練さには
少し手が届かないような気がするけれど、
今を取り巻く自分自身の状況に、感謝のできる誕生日。
平凡で穏やかな一日の終わり、
娘と2人きりでケーキを食べ、残業もせず、
寝てしまった誕生日・・・。
こんな誕生日の一日でした。

記念樹―記念日と誕生日365日+1の樹

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ピアノソロ いろいろなアレンジを楽しむ ハッピー・バースディ・トゥ・ユー

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クリエイト ア ブック おたんじょうびのほん(大人向け)

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