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書類・総括

先輩が言う。女の敵は女、男の敵は男。
確かに、足元をすくってくるのは身内。
チームとしての統率というより、チーム以前の問題。
寄せ集め、組織上の数あわせとして送り込んで来られる輩。
最初からモチベーションを持たない人間をまとめて、
十把一絡げ、結果が出るか出ないかわからない、
漠然としたものと取り組んでもらわなければならない。
本人達の意識の持ちよう、道徳観、人間観が試される。


それは必要かもしれないけれど、
できればしたくない。そんな内容の仕事。
家事で例えれば、トイレ掃除のようなもの。
サボれば大変なことになる。使用心得も肝心ならば、
使用前使用後のお手入れ、掃除、用紙の補給等、
誰もが気持ちよく利用するためには、こまめなメンテナンス、
ケアが必要。なのに、トイレ掃除の当番って嫌がられるでしょ。
無ければみんな困るのにね。
組織や仕事の中にもそういう部署、担当、回ってくる仕事がある。
誰もやりたがらないけれど、必要な部署が。


家事の中でトイレ担当だから、料理・洗濯・風呂掃除はできない。
買い物は無論、庭弄りや近所のお付き合いはできない、なんてことは
許されるはずも無い。みんなできなくては、家事とはいえない。
分担すれども、全ての部分においてある程度まで出来ていないと、
たちまち家の中が回らなくなる。
なのに、ほかはするけれど、トイレ掃除だけは絶対嫌だと逃げていると、
家の中はどうなってしまうだろうか?
買い物だけしたいとか、洗濯だけしたいとか。
そのくせ、トイレだけは使いたいと言う・・・。


仕事・組織にもそういう部分、誰もしたがらない部分、
でも、しなければ困ることは沢山。力関係やバランス上、
押し付け合いになって、引き取り手がないと困る事態に。
私はたまたま転勤先で、そういう立場にいる。
今まで経験したことのない、誰もやりたがらない部分、
どうぞと体よく押し付けられている背景に、
様々な思惑、取引、表立って出せない色々な物が
動いているのをわかって引き受けている。
主婦的感覚のボランティアに近い物がある。
「トイレ掃除」当番を割り当てる係、みたいなものだ。


無論これがメインの仕事ではない。余計な部分なので、
これに絡んだ出張や会議は、正直、眩暈がする。
新造人間キャシャーン」じゃないけれど、
「○○がやらねば誰がやる」的なブルーな気分で、仕事。
年度末当然、総括。書類仕事が待っている。

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こういうところに各部署から嫌々回されて来る担当が、
どんな総括をまとめてくるか。人間性がモロに出てくる。
仕事に対して「嫌だ・うざい」と思っていても、
やっつけ仕事こなすだけの仕事でも、出来上がりがひどいと
それはもはや仕事をしたとは言えない。
日常の営業・接客・販売どころではない。
単に文書一つ、それは現業、作業、詰まらんとでも?
目に見える形で多数に配布される。
会議の席に出される。記録として残るというのに。


ビジネス文書とはいえ、個性は出る。
おざなりの形式にのっとる事ができない、もしくは、
その形式にのっとることで個性を埋没させることもできる。
どれだけの量を、どんなふうに書くか。
好き勝手に書き散らすことのできる、ブログの日記文ではない。
だというのに・・・。


このご時世だというのに、パソコン・ワープロが使えないから、
文章を書きたくないとごねる希少動物が存在する。
書類提出が義務付けられていても、自分では決して書かない。
逆に機械が使いこなせるので、昨年一昨年のものを日付だけ変えて、
丸々そのままで提出してくる、人を食ったというか舐めたというか、
仕事そのものを馬鹿にしてやり過ごしている奴もいる。


「総括」という仕事を俯瞰して纏め上げる作業は、
何もして来なかった人間にとって、どうしようもない世界。
空っぽの中から掬いあげるものは、ありはしない。
自分が何も考えずに物事に向かい合い、単に流してきたことを
曝露されるのが嫌さに取り繕う。偽装工作する。
そしてばれるまでの時間、ざまあみろ誰も気付かないだろうと、
どうせこの程度の仕事さ、してもしなくても同じさと
自分に言い訳をして、ごまかし続ける。


「こんな仕事を俺にまわす奴が悪い」「誰がしても同じ」
「たった○○時間の為に何時間も準備できない」と愚痴をいい、
ソファに寝そべり、本を読み、就業時間を過ごす。
誰も読まない書類だと偽装工作した書類を渡され、
情けない思いをしている私。毎週毎週会議以外のトラブルは多い。
もっと情け無いのは、一つの部署の長であり、同い年の人間が、
そういう総括を行うということ。


だから、長が率先して「トイレ掃除的な仕事」に精を出す、
「他になり代わって仕事を引き受けている」的なことは、
要注意だと改めて知った年度末年度始め。
引き受ける人は本当に責任感や義務感からする人もいれば、
何が何でも引き受けたくないけれど、立場上仕方が無いので、
最低限のことしかしないでやり過ごす人。
「長」も当てに出来なければ、同僚も当てに出来ない。
そういうことが往々にして起こるのが、職場。


単なる兵隊で指示を受けて、その範囲内で精一杯、
そんな時代が懐かしい。
省エネは奨励するけれど、偽装工作はやめて欲しい。
文章は人柄、文書は記録。総括は仕事への眼差し。
これまでとこれからをイメージする一里塚なのに。
・・・ということで、年度始め、荒れています。
一足早く、花腐し(はなくたし)の雨に打たれている気分。


上司はとっくに帰り、最終で職場を出る。
鍵〆当番の、別の部署の長が声を掛けてくれた。
「売られた喧嘩は、買わにゃらならんぞ」
お買い得ではあるまいし、冗談じゃない。
こう言って励ましてくれているのはわかる。
でも、それは買うほど値打ちのある喧嘩じゃない。
そのことが、また哀しい。

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