Festina Lente2

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再入院6日目

(この項5/8 UP)

何もせず、(できず)、テレビを見る気にもなれず、
(「ちりとてちん」総集編だけはしっかり見ている)
ああ、ラジオも聴いてみたけれど、今時の若者と違って、
耳にイヤホン生活が不可能な私。何も見ない、何も聞かない。
ふて腐れて横になっている本日でございます。


老眼のせいで読書もままならないので、
寝ながら、せっせと本を読むということもできない。
前回と同じような経過で良くなってくれない、という焦り。
苛立ちは抱いてはいけないと、思えば思うほど募る。
「ピンクの象」と同じ原理。


ピンクの象ご存知ですか? 思い浮かべてみて下さい。
ほーら、あなたの頭の中に、ピンクの象がのっしのっし。
では、今からお願いします。
「ピンクの象を思い浮かべないで下さい」OK?
頭の中から、ピンクの象、消えました?
・・・これってなかなか消えないものなんです。
1度思うと、なかなか消えていかないものなんです。


再発した→前よりも病状が悪いかもしれない→実際痛みが消えない
→入院は長引くかもしれない→なのに、診断書は2週間のみ→
職場に迷惑が掛かる(休職期間が長い方が長期計画が立てられる)
→せめて3週間書いてくれれば・・・安心なのに、追加では・・・。
→2週間で治らなければどうしよう→仕方が無い、諦めよう。


いや、これが諦められない、凡人。ぐるぐる同じ所を回る。
要は諦めの悪い人。というか、前回の主治医は、
「退院してもすぐに出勤は無理、自宅で1週間」と
あっさり3週間書いてくれたということもある。
「少なくとも2週間の入院治療」なんて書き方されたら、
職場に出すには本当に困る。


医療現場の人がどう思っているかは知らない。
ただ、退院して翌日から通常勤務ができるわけが無いのだから、
後から追加で出せば良いでしょうでは、対職場的に心証は悪い。
一般的に「追加で休む」ことは、普通に休みを取る以上に神経を使う。


職場に出す診断書はそれが仮定、見込みであるとしても、
確定できないものであるとしても、復帰可能な日付を想定して、
診断書を必要とするのが旨である。
むろん、他の職場はどうか知らないが。
患者って、当然、至極当たり前に、物凄く我儘なんです。
でないと、安心して病休が取れない。


15時過ぎ、元気な娘の日に焼けた姿に唖然。何だか・・・
何だかボロボロになって戻って来たぞ。
焼き板で作ったルーム掛け。「ただ今勉強中」ですか?
頑固一徹職人で磨かれたつるつるの焼き板。
鳥の形をした竹製の笛。手作りおもちゃの数々。
あと、竹炭と竹酢液どっさり貰ってきたそう。


外の匂いがする、何だか野生児じみた娘。結構なことだ。
しかし、この違和感は何だろう。
自分がこの生命力からはじかれているような、違和感。
この生き生きとした賑やかさから遠ざかっている、
別世界にいるような感じのする違和感。


今日は子供の日。何か、買い物して帰れば?
キャンプ場から直接寄ってくれた家人に頼む。
じいじばあばに、お土産買って行ってあげてね。
昔びとだから、節目の和菓子があっても良かろう。
カラ手で帰っては駄目。
母親の私に見せるキャンプのお土産と、同じものじゃ駄目。


とーちゃんかーちゃんのいない日々。
娘はじいじとばあばと暮らす。
ありがたいけれど気も遣う。ある意味、心配。
慣れていないクラス、慣れていない担任、
ある意味、意思疎通、信頼関係の希薄なこの時期、
娘を全面的に手放していることの、不安。


何もかもが自分から遠ざかっているような、
この不安。仕事中毒なのではない。
もっと別の、自分の手から娘が離れていること、
そこに基本的な信頼感が保てていないのは、何故?
自分が? 相手が? 娘が? 家人が? 


見せ掛けの明るさで話をしながら、心が寒い。
元気な振りをしている自分がいる。
世界と切り離されているような、
いや、そこまで大げさなものではないけれど、
何かが足りない、何かが希薄、不安。


娘と家人がキャンプから帰って来てくれたのに、
尚更いっそう遠く感じる2人。
何だかとても遠くに感じる家族。
この心許なさをどうすればいいのだろう。
ミイラ取りがミイラになっている、この苛立ち。
やるせなさ、情けなさ。