Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

鬱々と5月は過ぎ行く

体調が思わしくない。夜はなかなか寝付けず、朝方が眠い。
気を付けて食べても食べなくても、常に痛みはある。
まあ、1昨年のブログを読み返して見ても、退院後、
かなり長い間、痛みと戦いながら日常生活を送っていたようだ。
しかし、体力の回復具合が全く違う気がする。
これが、年のせいなのか、何のせいなのか。


仕事は、大きな穴を開けるでもなく、何とか乗り切っている。
誰かが居なくてもとりあえず代行できる、そんなシステムを、
望んでいて、ある程度作って来ていて、
自分が即実践する立場になってしまったのも何だけれど、
ある意味、この職場に来て心の休まる暇がない公私共々。
仕事は仕事でこなしていても、達成感よりも、
自尊心に見合うだけの義務を果たそうと、齷齪しているだけなのかも。


鬱々と5月は過ぎ行く。
おそらく職場に復帰したいという気持ちよりも、
転勤したい、転職したいという気持ちの方が強いんだろうな。
出来るわけないんだけれど。
健康以前に失くしているものがある。
自分の肉体と感情を、風化させてしまった部分がある。


そういう部分と付き合いながら、埋め切れない空白を抱えながら、
生活していくには無理が有るということを、知っていて生きている。
考えても解決策は見つからないから、考えないようにしているだけ。
やらなければならない日常に押し流されて、年を取っている。
その間隙に、一旦落ち込んでしまうと這い上がるのは難しい。

病める無限のブッダの世界 ― BEST OF THE BEST (金字塔)

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「ちょっと鬱かな」と思ったら聴くCD

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感謝や感激、感情の高ぶり、嬉しい驚き、素直な喜び、
心躍り、溌剌と漲る躍動感。しみじみとした深い信頼感。
そういう物を知っていながら、落ち込むと懐疑的になる。
カウンセリングの理論も、認知療法も、行動療法も、森田療法も、
コラージュも、ロールシャッハも、バウムも、何もかも、
脆い心を何とか重ね合わせて一つの形にしたミルフィーユ。
美味しそうに見えても、持ちにくいし食べにくい。


心のエネルギーが、体力と同時に落ち込んでいく時、
十分に眠れないし、眠り足りない。
微熱が続いて、患部は痛みが増すように感じられる。
それが逃避でなければいいが、そう思って我慢しているうちに、
現実の痛みなのか想像上の痛みなのかわからなくなる。
本当に痛かったのだと気が付いた時には、手遅れになりかける。
そんな毎日だ。


職場では週末は歓送迎会。むろん行けない。
依然、普通食が食べられない。人に会いたいとも思わない。
その喧騒の中で、苦労を分かち合った人に会う懐かしさよりも、
マングースに食い散らされた痕を、見なければならないのかと思ってしまう。
こんな風に考えること事態が、鬱だなあと思う。


読もうとしても、書こうとしても、字が見えにくい。
新しく誂えた眼鏡も合わないほど、老眼は進んだらしい。
体調は、低空飛行。じっと耐えて、翼を鍛え続けて、
何とか夏を乗り切って、結果を出す秋に備えられるだろうか。
気力・体力は、戻ってくれるだろうか。
今、「戻さなければならない」と、強く自分に言い聞かせる事ができない。
それだけのガッツが湧いてこない。


こういう感覚は、入院中によく感じるものだ。
入院生活に慣れてくると、何もしなくても食べたり飲んだり出来る。
その環境に慣れてくると、何故あんなに齷齪して生活していたのだろうと、
日常生活の煩わしさが、煩雑なやっつけ仕事が、厭わしくてならない。
もう、そういう物から無縁になって、自分が漂白されているような、
頼りなく薄っぺらい、存在感のない、布切れになって、
ベッドの上でのびているような、そんな錯覚に陥る。


家に戻ってきても、日中布団を干したり洗濯をしたり、
食事を作っている自分は、仮の自分で本当の自分ではない違和感。
かといって仕事がバリバリ出来る程の気力や体力には程遠い。
電脳玉手箱を覗いてみると、世界に繋がっているはずの窓が、
風を切る凧になって、遠くに遠くに舞い上がっているように感じる。
自分の操る糸の先にあるのではなく、
風に千切られ、舞飛んで行くようにさえ感じる。

自律神経にやさしい音楽

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メンタル・デトックス

メンタル・デトックス

そういう自分を冷ややかに眺めながら、
もとの自分の残滓を漉し取るように、掬って繋ぎ合わせて、
拙い紙漉きの技術でもって1枚の紙に仕立てるように、
自分の形や色を思い出しながら、紙の厚みを増していくような、
そんな作業を必要としている自分がいる。


今は春の5月だというのに、水は凍えるほど冷たい。
その水に自分を漉して漉き合わせ、不純な物を取り除き、
形のない泥濘のような、頼りの無い混沌の中から、
これからの人生に向かって使い物になる繊維を手繰り寄せ、
集め固める作業を、冷たい水の中で行わなければならない。
その、何度も何度も繰り返さなければ作業に耐えられず、
自分の思考や感覚が、希薄な液体の中へ還ってしまう。
形にならない自分が、水の中で漂っている。
そんな気がしてならない。


笑顔が虚ろなまま、頭痛薬を飲み込む。
とりあえずの家事、とりあえずの食事、とりあえずの日常。
仕事との両立へは程遠い。タイムリミットを横目に、
いまだ足りぬ、春宵一刻値千金の惰眠を貪ることに執着している。
細胞の一つ一つが眠り足りて、思わず背伸びをするほどに癒される、
そんな思いをしてみたいと、夢見ながら痛み止めを飲む。


「物言わぬは腹膨るるわざ」というが、私の左下腹部は、
石を抱いているのかと思うほど、時には痛み時には重く、
私の心身のバランスを狂わせる。
胃も腸も、毎日働いていることに疲れているみたい。
栄養を取る為に働く。働かなければ栄養が取れない、
そうではない、上げ膳据え膳の穏やかな日々を知ると、
胃も腸も、塩分と油分の多すぎる日常食に拒否反応。
心も体も同じ。日常生活は世知辛くドロドロしている。
普段意識しないレベルでさえ、強い刺激だった日々に辟易。


これこそ、5月病?

プラス思考

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The Mozart Therapy?和合教授の音楽療法?Vol.5   脳神経系疾患・認知症

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