Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

無いものねだり

巷には物が溢れているが、病院で隔離生活だと何も要らない。
というか、物を置くスペースもなければ、使うことも出来ない。
だから、入院中ノートPCの使用は、ある意味とても贅沢なこと。
普通、大部屋にLANはない。
大学病院の個室でも、ノートPCが使えないのは珍しくない。
最近建て替えたばかりならばいざ知らず、
無線LANの使用さえ許されるかどうか。


入院中、病院のパジャマ借用。1日70円。着の身着のまま入院。
仕事用のバッグ一つで入院。スケジュール帳があって助かった。
幸か不幸か、勉強・仕事用のICレコーダーとヘッドホンを持っていた。
ベッドでTVを見る時に、重宝したのは言うまでもない。
非常時だけ使う(大嫌いな)携帯も、役に立った。


華やかなパジャマに着替えている人を見ると、背後に家族を感じ、
朝から携帯で商談している人に、仕事の大変さを思い、
夫や姑には頼めないからと、妹にあれこれ差し入れを頼んでいる人に、
何年家族をやっていても、結局は頼りきれない切なさを垣間見た。
ほんとに欲しい物は、なかなか手に入れ難い。
気持ちの向こうにあるものは、目に見えないものばかり。


健康、若さ、思いやり、家族の一体感、愛情。
本来、物に置き換える事ができないものばかりだけれど、
気力や意欲など、具体的に表しにくいものばかりだけれど、
最終的には目に見える物に置き換えないと、伝わらない。
自分や相手にわかる形でないと、理解も納得も出来ない。


一冊の本、新聞、一輪の花、着替え、ちょっとした話題、
見舞いで顔を出してくれるのは嬉しいけれど、
一人で過ごす時間の方が圧倒的に長い。
本当に欲しいのは、自分の気力を長持ちさせてくれる根本。
自分の根っこに繋がるエネルギー源。
これがなかなか難しい。

猫のパジャマ

猫のパジャマ


退院すれば、即エネルギーが戻ってくるわけではなく、
日にち薬という名の元に、日常への機能回復訓練。
物欲はすぐには甦らない。たまに出歩くと、
何故、世の中には物が溢れているのかわからなくなる。
安い物からお高い物まで、いいなと思っても買えば大変。
置き場所に、使い道に、使用頻度が低い物に思い入れはまずい。


知り合いがブログに「走れ 物欲のままに」と書いている。
しかし、バーゲンにも無縁の今、物欲は虚しい。
モデル体型ならばいざ知らず、流行に乗せられる年でもない。
残念なことに、職場では流行はまずい。
どちらにしろ、汚れ除けに白衣を着るので構わないが。


物欲も食欲も、ある程度までは比例している。
何かを見たい食べたい着たい、自分の好みを満足させたい。
そういう思いに駆り立てられる事が無くなって来て、
解脱や悟りと無縁に、のほほん、のっぺりとしている。
これは、あんまり良い傾向ではない。私の場合。


リハビリする手立て、仕事への糸口、見通し、心配事、
これからの先行きに関するモロモロを頭の中に持っていながら、
そのための部屋を作ろうとはしない。あえて、仮住まいのまま。
色んなことを同時平行でする、その忙しさの記憶が、
意欲も物欲も気力も体力も、全てセーブしようとする。
「お断り」の札を掲げて、ストライキしている。


読みきれるのかどうかわからない程の、沢山の本。
したい仕事と、しなければならないことの乖離。
プロとして要求されることよりも、現場の指揮系統の
歯車となって動き回らなければならないことへの、葛藤。
そういう物から逃れる為に、一切ブレーカーオフになってしまう。
スイッチを入れる前から、燃え尽きた感じ。
職場復帰前の軽い鬱は、私をどこにも行かせない。


物欲、食欲、気力、体力。例え煩悩の塊だと言われても、
物に囲まれて暮らす中でも、「見てるだけ」でも、欲は必要。
柔らかな寝具、着心地のいい服、戦闘体制に入るための仕事道具。
しかし、復帰すべき現場に必要なのは、ハードではなくてソフト。
気構え、気力・体力、意欲、知識、知恵、機転、判断力、
そんな頭の回転が、フットワークが、どうにもこうにも錆付いている。
これが軽い鬱と重なって、頭に霞を掛ける。


日の光溢れる小学校の校庭を、学童にお迎え。
半袖の子供たちが溢れる、陽だまりのかけらが走ってくる。
それは、生きている者の世界で、自分とは別世界。
そんな風に感じる。レンブラント・ライトの中と外。
水面の上と下。境界線の向こう側とこちら側。
そんな印象を受ける。軽い離人症状。

だれも欲しがらなかったテディベア

だれも欲しがらなかったテディベア

「家族」という名の孤独 (講談社+α文庫)

「家族」という名の孤独 (講談社+α文庫)

私は密かに願っている。走れ物欲のままに。
自分が、暴走して、やたら色んな物を買い始めたら怖いけれど、
ある程度まで暴走しないと、暴走させないと
発散できないものがあるのではないかと。
病み上がりの体調に食欲を禁じられている今、
暴走させないと、爆発してしまうものがあるのではないかと。


そんなさなか、今憧れているのは寝袋、シュラフだ。
とあるブログのキャンプセットを見て触発されたのもあるが、
駅前のスポーツ用品点は、何張ものテントを展示して、
否が応にも家族キャンプに行けなかった、連休中のトラウマを刺激する。
したくても出来なかったことを、どこかでやらない限り、
親の敵でもあるまいに、安らかに眠れないとでもいうように、
欲求不満をチリチリと刺激してくる。


それは、海遊館の記事のせい。2年前から挫折し続けている、
水族館での一泊キャンプ。当選しても寝袋がいる。
当選が先か、寝袋が先か。いや、体調に自信が無く応募できない。
私の物欲は、仕事から最も遠く離れた所、
家族と過ごせなかった、連休中の時間と空間を求めて疼いている。
限りなく仕事から離れたかったその思いを昇華し切れずに、
来週から仕事に戻らなければならないことに、苛立っている。


これが、煩悩でなくて、物欲でなくて何だろう。
病気にならなくては長期の休みを取る事ができない、
私が物欲のままに生きれば、病気になるしかないのかしら。
そんな矛盾の中で、欲望をくるんで眠らせるシュラフを探している。
心の棘を、年甲斐もなく持て余している「子供の自分」を喜ばせる、
秘密基地、隠れ家、冒険、宝物、魂の宿り木を探している。


無いものねだりの自分探しを、我儘を、いい加減に止めようよ。
そう、声を掛けてみるのだけれど、魂魄相容れず。
病気で失った自由にならない時間や空間に執着するよりも、
元気になってきたことを喜ぼうよ、と言って聞かせるのだけれど、
首を縦に振らない。この頑固で融通の利かない自分を、
まだ持て余している。