Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

大人の映画と子供の映画

2日続けて映画を見た。予定していた作品、大人の映画と子供の映画。
最高の人生の見つけ方(THE BUCKET LIST)』
カスピアン王子の角笛ナルニア国物語第2章)』
ある意味、対照的な作品。
余命6ヶ月の癌を患う老人の残された生と
時空を越えて行き来し、魔法の国で敵と戦い勝利する若者。
ビッグスターを据えて、集客力を磐石にした作品。
駆け出しの新人・若者と特撮CGを駆使した作品。


最高か最低かはともかく、観る人が観れば馬鹿げている内容。
対照的な2人の出会いが人生を変えるとか、
哲学的な課題、死を前にして何を望むかというテーマ、
病を得て生きるということは、死に対してどう臨むことなのか、
そういう視点は、映画の世界ではありふれたもの。
わかっていて、のせられ観てしまうパターンの映画。
最後に泣かされるよね、泣けるよねとわかっている映画。
でも、やっぱりいい作品だと思う。
何だかんだ言ってもこの手の作品は弱い私。
それ以前に、この2人の俳優のファンだし。


個性的な俳優、ジャック・ニコルソンと、知的なモーガン・フリーマン
ホワイトとカラード。孤独な金持ちと家族に恵まれた労働者。
単純でわかりやすいコントラスト。軽妙で皮肉なウィット。
現実ではありえない程の、奇跡を起こすに等しい金持ちの大散財。
貧しいながらも慎ましい友情溢れる手紙にしたためられた言葉。
「流れる水のように生きる」
目を閉じる瞬間こそ、心は世界に向かって自由に放たれる。
宗教的な哲学的なメッセージを持つ、プロローグとエピローグ。


片や、子供向けファンタジーの牙城とも言うべき『ナルニア国物語
シリーズものの第2作目。ディズニーの財源をバックに、
ふんだんに使われる特撮CGで、リアルに描かれた魔法と幻想の世界。
「子供と動物には勝てない」鉄則を背景に製作された、物語世界。
実はキリスト教精神にのっとって表現されている難解な世界、ナルニア
明らかにされていない運命の元に集い、散ることになる命。


「2度と同じ事は起こらない」と語られるように、物語でも、
過去でも未来でも、「2度と同じことは起こらない」
失われた命や犠牲が戻ることはなく、後悔や挫折は数限りない。
若さゆえの過ち、はやり猛る気持ち、苛立ち・焦り、怒り。
兄弟姉妹に行き交う感情、共に戦うものに対する思い。
失われたものを取り戻すための闘い。
誇りを掛けて、守るべきもの信ずるものの為に証を立てる戦い。


これから死んでいこうとする人間にも迷いと葛藤があり、
未来を切り開こうとする若人にも、戸惑いと混乱がある。
手にしていたと思っていた物は、天国に持っていけないものばかり。
魔法世界の王位と、現実生活とのギャップ。
二つの世界に引き裂かれそうになる、魂の揺らぎ。
子どもが成長するときに感じるであろう、揺らぎ。
決断に伴う痛み、別れ、後悔。


二つの映画は質的にも量的にも全く異なるものでありながら、
何か一つのものの側面を、別の角度から照らしているようにも思える。

Ost: the Bucket List

Ost: the Bucket List


しかし、映画は楽しくなければ。別世界への小窓なのだから。
哲学の教科書でもなければ、文学の試験でもない。
自分の「こだわり」を見つける手掛かりのような世界なのだから。
例えば、棺桶リスト、死ぬ前にしておきたいこと、心残り。
それについて考えるもよし。夫婦親子関係について振り返るもよし。
仕事と自分との関係、部下と自分との関係。時間やお金の使い方。
楽しむこと、今まで経験したことのないこと、とは何か。
色んな角度から、映画の世界をチェックしてみればいい。


いい年齢のじーさまが2人、病衣を着せられ横たわり、
贅沢な食事を化学療法で吐き戻し、雑学を生かしてクイズ番組に打ち興じ、
身も蓋もない2人部屋での闘病生活。手術や点滴、医師からの宣告。
赤裸々な、年甲斐もない、喜怒哀楽の場面の数々。
金斗雲にでも乗っているかのごとく、チャーター機で旅する世界各国。
一つ一つ、リストを消すラインが引かれるのを、
思わずわくわくして観てしまう、観客である私たち。


この映画の2人の名優の間にさりげなく登場している、秘書。
彼がチャーター機の中で使っている、仕事用ノートPC。
アップルのマークが付いている。マックの宣伝というより、
りんごのマークである事が意味深。特に聖書に関する限り。
この秘書の本当の名前はマシュー。つまり、マタイ。
「マタイによる福音書」のマタイ。意味深でしょ。
この映画、このストーリー、死と向き合う映画に、
最後と最初に登山服姿で登場する秘書。
清浄なる高みに到達して2人の骨壷となる缶を並べる彼。


「マタイによる福音書」の最後の一節は確か、
「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」
ご老人2人の充実した人生の脇役にあって、このストーリー、
映画を完成させる立場となる、最後の場面の登場人物が秘書マタイ。
4つある福音書の中でも、「山上の垂訓」を説いたマタイ。
「廃止するためではなく完成させるために来た」とイエスを記したマタイ。
意味深なネーミングだとは思いませんか?


宗教絡みということでは、負けず劣らずの『ナルニア国物語
ライオンが何の象徴であるかは有名な解釈。
ライオンと魔女」では、その裏切り・犠牲・復活のストーリー展開が
余りにも聖書の内容と似通っているので把握しやすいけれど、
今回は原作年齢より年上の王子「カスピアン」のお陰で、
何となくキリスト教的な世界が見え辛い。
物語が7巻まであるのは、聖書の天地創造になぞらえて。
長男ピーターがペテロ。「証拠が見たい」とアスランを見出せない。
ナルニア軍の犠牲と死はキリスト教徒の迫害に重なる。


キリスト教的な教義や喩え話に馴染んでいる世界の子供なら、
いや、大人なら心惹かれる寓意も沢山見出せるだろうけれど、
何も知らないで見るならば、それはそれで仕方がない。
でも、勿体無い見方ではあるなあと感じる。
少しでも興味のある方は、こんなページで息抜きしてね。
http://archive.mag2.com/0000152956/index.html
薀蓄がお好きな方は、特に。


福音書の世界ではないけれど、昔話や物語は末っ子が恵まれる。
幼子ほど天国に近い。ルーシーはそういう立場にある。
「後のものほど先になり、先のものほど後になる」世界だから。
聖ルチアは殉教者であり、民間伝承では天の光を運ぶ聖女、
また暗闇に光を与える女神、火を産み出す女神だった。
彼女の祝日は冬のさなか、太陽の復活を祈る祝日。
アスランの復活・出現に相応しい巫女姫ルーシー。
神話学的に観ても民俗学的に観ても楽しい。


壮大な入れ子構造になっているファンタジー
聖書と民間伝承・伝説が一緒くたになって、現代を取り巻く物語。
でも、二つの映画、大人の映画も子供の映画も、背景は同じ。
Everything You Know Is About To Change Forever.

ライオンと魔女 (カラー版 ナルニア国物語 1)

ライオンと魔女 (カラー版 ナルニア国物語 1)

カスピアン王子のつのぶえ (カラー版 ナルニア国物語 2)

カスピアン王子のつのぶえ (カラー版 ナルニア国物語 2)