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『医学のたまご』

予約から3ヶ月余り、図書館から借りてきた。
手元に置いておけばと思うかもしれないけれど、
もう、どうしていいのかわから無いくらい2階は修羅場。
本で家が潰れてもおかしくない。地震が来たらまず危ない。
よって、経済的にも物理的にも図書館のお世話になる。
読みたくても余裕が無かったということもあるが、
こんなに面白いんだったら、入院中に読めば良かった。


海堂尊の小説は『チーム・バチスタの栄光』を始め、シビアな内容が多い。
背景に医学を持って来ているせいもあるが、よく出来た小説の常として、
人物設定や題材がリアルで、うーむと思う時も。
もっともそれは、自分の働いていることに関係していたり、
興味関心を持っている部分の琴線に触れるからなのだが。
子供が主人公というのは、それも、中高生が主人公だったり、
いたいけな病児が出てきたりすると、堪える。
でもって、生存競争、自分の存在価値を掛けた闘いの物語、
所謂「成長譚」が、大人の小説と違って、
「青春もの」の変形だったりするので、年甲斐もなく嵌る。


そして心憎いのは、ファンサービスというかリップサービスというか、
シリーズ本編の読者のオタクな趣味を突付く様な、人物・背景の設定。
あの人やこの人が、カメオ出演している! という設定。
このチラリズムの美学というか、ゲストの使い方が心憎い。
まあ、中学生の主人公を食ってしまうような濃いキャラを、
本格的に前面投入する訳にはいかないから、仕方ないというか、
当たり前といわれれば当たり前な、書き方なんだが。


『医学のたまご』、それは「学問の卵」というよりも、
「一寸の虫にも五分の魂」のような、きりりとした趣を感じさせる。
たまごは料理のし甲斐がある素材。どんなふうに化けるかは、腕次第。
物事の萌芽、駆け出し、ひこばえ、芽が出たばかりの状態。
その芽の伸び具合が実に面白いストーリーだ。


そして、主人公が自らを見つめる眼差しに、失敗に気づく時に、
羞恥や忸怩たる思いを別の角度から眺めようとする時に、
歴史を紐解いて先人の教えや出来事から喩えを見つける部分、
その中学生らしからぬ歴史オタクな発想に、
その父親とのメールのやり取りに、微笑ましいユーモア、
今の子供たちに欠けている、処世術のようなものを見出す。
(今時の子は先人の知恵には学ばない。俺的に言うと、が優先)


表紙がまたかわいい。いかにも口をへの字に曲げた主人公。
アナログな本の重さに、これからの成り行きに、
自分が招いてしまった事柄の大きさに、ウェーという顔で立っている。
この優等生らしからぬストレートな雰囲気がいい。
そう、学問の道はウェーなのだ。
好きだから事やれるが、それでもうんざりする事が山ほど。

医学のたまご (ミステリーYA!)

医学のたまご (ミステリーYA!)

死因不明社会―Aiが拓く新しい医療 (ブルーバックス)

死因不明社会―Aiが拓く新しい医療 (ブルーバックス)

物語の中に女性の姿が希薄なので気になったが、仕方ない。
辛うじて家政婦ではなくシッターという言葉で表現された、
限りなく甘い食べ物を供するお世話係が辛うじて母性の投影。
同級生のよく出来る女の子は、この物語の知的探求・冒険に相応しい
中性的で論理的なアニムスに近いアニマ。
非常に若い姿をしたアテナ神みたいなものだ。


現実世界での母親との交流が乏しい中学生、
思春期にまだ手が届いていないのか、単に幼いのか、
メールでやり取りする父親との関係は、生身の触れ合いが無いだけに、
お互いの理想像、望ましい姿を投影するやり取りだ。
毎日の父親からのメールが朝食のメニューを羅列するところなど、
母親が用意すべき料理をイメージ表示、仮の食卓、仮想饗宴。


哀しいかな、仮の栄養で現実の栄養ではないので、
主人公はややひ弱だ。知的にも、倫理的にも、お坊ちゃんでトロクサイ。
まあ、ずっこけ3人組みたいに、ここでは女子1名加わって、
大人の世界に対して共同戦線を取っているところが、子供が読める設定か。
えてして主人公に足りない所を補佐する仲間がいる事が、
(そういう側面を付け加える事が)万能主人公ではない面白味、
仲間のありがたさを強調する事も必要な、読者層を意識する設定。


いい大人という設定、つまり息子が目指すべき理想像・モデル像が
ゲーム理論第1人者の父親、これは美味しい役どころだ。
そして、今回犠牲となって研究の場を追われる医師。
兄貴のような高校生研究者、影の助っ人。
泣く子と地頭には勝てぬ、病に侵され眼球摘出の幼児。


敵対する負のイメージを背負って悪役でタメを張るのは、
自分の研究費を確保するためでっち上げのイメージ戦略で、
メディアを巻き込み、部下を顎で使い、名誉欲の権化のような教授。
中学生の主人公に己の失態の尻拭いまでさせようという男。
わかりやすい構図。勧善懲悪的物語構成。


研究する病気の印象を強める為に、既に出版されている
本編シリーズの小児科病棟でのエピソードと絡ませる為に使われる、
子供が1人、高校生が1人。レティノブラストーマ、レティノ。
この言葉もAIと同じく、知名度が上がるに違いない。
そして、医療の現場では見えない、病気の解明・研究の背景を
読者はほんの少し垣間見る事が出来る。


コミカルな医学ミステリーという宣伝だが、コミカルかどうかは。
文体が低年齢な読者層を意識したのか、まるで宮部みゆき
『今夜は眠れない』『夢にも思わない』風なのが頂けないが、許そう。
とにかく、「事実は物語より奇なり」の医学の世界。
ミステリーなエピソード、泣ける場面、噴飯ものも事欠かない。
それをさらりと、あくどくなく、わかりやすく上澄みを伝える。
医学的な要素、学問的な視点、物事を受け止めて考える過程、
様々なものを盛り込んで表現する事が難しい。


一世を風靡した渡辺淳一の医学絡みの小説が、いつの間にか
単に医学ネタを使い果たしたのか、男と女の逢瀬をメインにして、
大衆小説になってしまッた愚を犯すよりも、
これから医学を目指そうとする、学問とは、その背景にあるのはと
青少年を巻き込んでくれた方が、読者サイドとしてはあり難い。
子供に読ませる本を意識して模索している、親の立場としても。


内容について、余り書くとこれから読む人の楽しみが半減する。
なので、目次の一部を省略して、ちょっとだけ紹介。


―世界は呪文とも魔方陣からできている
 扉を開けたときには勝負がついている
 初めての場所でまず探すべきは、身を隠す場所だ
 エラーは気づいた瞬間に直すのが、最良で最速だ
 ムダにはムダの意味がある
 閉じた世界は必ず腐っていく
 名前が立派なものほど、中身は空っぽ
 悪意と無能は区別がつかないし、つける必要もない
 一度出来た流れは簡単には変わらない
 世の中で一番大変なのは、ゴールの見えない我慢だ
 心に飼っているサソリを解き放て
 道は自分の目の前に広がっている―


こういうフレーズと聞くと、内容を読みたくなるでしょ。
そして裏表紙の3人のポーズが何を意味しているか、
是非知って下さい。悲劇と挫折ではなくて、
そしてこれからどうするか、という未来を考えさせる、
若者向き小説ですが、お勧めです。
やっと、読んだー。(2時間ぐらいで読める量です)

今夜は眠れない (角川文庫)

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夢にも思わない (角川文庫)

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新装版 光と影 (文春文庫)

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