Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

聞いている内容、実は

営業と言うほどの事はないけれど、人と会う。
仕事で、様々な職種、年齢、立場の人と会う。
色んな小話を聞かされ裏話も囁かれ、小耳に挟んでおくことおあれば、
ちょっとメモを取ったりする事もある。でも、概ね聞く一方。
相手が如何に沢山話していくか。そして、自分はどう聞き出すか。
そういう形が殆ど。覚悟して訊かなければならない事は、
ある意味、相手にとっては隠しておきたい事だったり、
是非話しておきたい事だったり、それは様々なのだけれど。


どこでも人を集めたがっている。背に腹は代えられぬ。
先立つものは何とやら。金のなる木が集まって欲しいと思っている。
鴨葱で、何も知らないまま、意地悪な見方をすれば、
「場を提供する」ウワモノの提供を保障。
しかし、質に関しては本人の資質、受け取り方、成長の度合い、運、
様々にもっともらしく責任回避され、先行きに関しては
数字の上でどうにでも誤魔化されるのが、世の中のシステム。

最高学府はバカだらけ―全入時代の大学「崖っぷち」事情 (光文社新書)

最高学府はバカだらけ―全入時代の大学「崖っぷち」事情 (光文社新書)

交通事故だって死亡者が増えていないと言うけれど、
事故のあったその日に死ななければ志望者には換算しない。
翌日亡くなっていても、統計上の扱いは重傷者、怪我人扱いだ。
だから鞭打ちが悪化しようと、頭部強打で脳ヘルニアだろうと、
当日死なない限りは、交通事故死者の中には入らない。
数字のマジックの中で、軽症者も重傷者に、その逆も。


数字を集めたがるお客さんたち。様々な数字を集めたがる人々。
全て、最終的にはお金に集約・換算されてしまうのだろうか。
話を聞きながら、どうしたものかと思う。
沢山のチラシ、広告、プリント、印刷物が送られて来て、
その整理だけで1時間が終わってしまうことも。
秘書が全てを捌いてくれるような身分ではないから、
何もかも家内制手工業。手仕事。地道なやっつけ仕事。


宜しくお願いします。ニーズに合わせて、きめ細やかに。
新しい資格。必要とされる能力育成。これからの仕事に役立つ。
色んな言い方が為されているけれど、みんな人材が欲しいのか、
単なる金づるが欲しいのか、わからない。
毎日人に会って、もちろんそういう人ばかりではないけれど、
殆どが、自転車操業の中での安全株になる金づるの人材集め。

生きさせろ! 難民化する若者たち

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キャリア開発/キャリア・カウンセリング―実践・個人と組織の共生を目指して

キャリア開発/キャリア・カウンセリング―実践・個人と組織の共生を目指して

  • 作者: 横山哲夫,小野田博之,上田敬,八巻甲一,小川信男,今野能志
  • 出版社/メーカー: 生産性出版
  • 発売日: 2004/11/01
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キャリア・アンカー―自分のほんとうの価値を発見しよう (Career Anchors and Career Survival)

キャリア・アンカー―自分のほんとうの価値を発見しよう (Career Anchors and Career Survival)


お互い持ちつ持たれつなのか、こういう仕事なのか。
人が生きていく上で、次の居場所を求めるために、
今よりも心軽く、自分自身らしくいられる場所を確保するために、
未来を創り上げるのに、自分を預けるのにふさわしい場所と時間、
そんな事を夢見ている、「夢見る夢子」では仕事はできない。
でも、何がしたいのかわからないぼんやりした未来への不安は、
暗示に掛かりやすいデクノ坊の未熟な自意識を揺り動かし、
リップサービスにも似た、NEXT STATIONに引っ張られる事になる。


勉強したい人が集まればいい、志のある人が集まって欲しい。
真剣に切実に物事に対処するために、損得を厭わず有志を募り、
目標や目的に向かって一歩一歩足場を踏み固めていくような、
そんな意味のある集まりからは程遠い。


段階を踏んで、幅広い応用力。そういう言葉の裏には、
真の意味でのキャリアアップの研修ではなく、
なるべく長い間、一つの物事・特定の機関に巻き込む状態を
強制的に作り出すに過ぎない場合も。
職人がマイスターになる、徒弟制度にも似た技術力を目指し、
真摯に取り組み、身に付けるためならいざ知らず・・・。


教養レベルに毛が生えた程度の、小出しにされた知識の断片を、
聞き囓り読み齧りどころか、映像でわかりやすくと誤魔化され、
チラリ見に等しい形で流されて、一字一句を自分のものにすることなく、
学んだつもりの感覚、何かやり遂げたような錯覚だけを身に付けて、
年を重ねる。応用力を身に付けたかのように思っているだけでで、幻想。


人を集めるのは何のため。その膨大な資料や、プリント、配布物、特典、
割引、食事、ちょっとしたおまけ、リップサービスの数々。
毎日毎日そういうものと戦いながら、思う。
明日の自分を想像できない貧困なイメージを膨らましてくれる者に
藁でも掴む思いですがり付いてしまう、それが普通の人間、らしい。
その心を弄び利用することの、何とたやすい事。


働く場の無い人間を、資格の習得、研修や職業訓練の名で集め、
学ぶ気の無い人間を、とりあえず色んな教養を身に付けようと集め、
それが本当に「ゆっくりいそげ」になるかどうかはともかく、
迷いや行き場の無い人間の、不安や寂しさ、
言い換えれば決断を避けて、何かを先延ばしにし続けたい気持ちを
受け入れ、癒すが如きの心の広さ・懐の深さで甘やかし、
在籍料を吸い上げていく。


この国で、この町で、この学校で、このシステムで、
本当に人を集めていいのか、学ばせていいのか、働かせていいのか。
集まる事に抵抗のある人々を、学ぶ事に必死になりたくない人間を、
働かずに楽したい、苦しまずに身に付けたい、
そういう人間を、学んでいるかのごとき幻想の元に集めて、
放り出す、そんな結果の片棒を担ぎたくないので、
苦い思いを噛み締めながら、話を聞いている。
話を聞きに行く。


訳のわからない集める理由を述べるためにやってくる人々を、
目的意識の無い群れる安心感を求めにやってくる人々を、
「お客様」扱いしなければならないので、
情報公開と情報交換と情報提供の微妙なバランスの狭間で
私は耳を傾ける。
そこから先、どこへ行こうとしているのか、
そこから先、どこに行きたいと思っているのか、
自分自身に問いかけながら、相手に耳を傾ける。

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