Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

巻き籠らない

久しぶりに「ためしてガッテン」を見る。怖い巻き爪の話
例示される画面には、驚異的な爪の写真が・・・。
親指を、親指に限らず足の指に圧を掛けずかばっていると、
ちょっとした深爪がきっかけで足先が辛くなって、
どんどん爪が巻いていき、終いには「のの字」の形に。
よくぞここまで変形したと思うくらい、肉に食い込む「のの字」の爪。


幸い私は巻き爪ではないが、右足と左足をようく見比べると、
右足の親指の方がどう見ても爪のカーブがきつい。
いつからこうなっているのか定かではないが、
右足の方が不安定なのは以前から気がついている。
右利きの私の運動時の踏切りの足は左。


右足はいつも鬼門だ。圧倒的に怪我をする確率が高い。
中学の時の足首の捻挫。大学の時のスキーの捻挫。
20代の終わり、登山の後遺症、右膝の関節炎。
30代初めテニスの試合中転倒、ふくらはぎの筋部分断裂と中足骨亀裂骨折。
何故か、右足の方が左足よりほんの少しだけ大きい私。


実は右足の上にまな板を落っことしてから、右足をかばい、
この冬、右足親指から激痛が走り、歩きにくくなって靴を探し求めた。
上手く歩けない感覚が続いていたが、改めてまじまじ眺めてみると、
右足の親指の方がやや、爪のカーブがきつい。
左に較べて使っていない証拠、歴然。
巻き爪でないからといって、油断できない。
無意識のうちにかばって、上手に体重が掛けられないのでは、
足元からアンバランスに生活しているわけだから・・・。

続・歩くこと・足そして靴

続・歩くこと・足そして靴


重いものを持って仕事をしている爪は、平べったい。
軽いものしか持たず、仕事をしない手の指は丸い。
幼い頃、母によく言われたものだ。
あんたの手は、父親に似て指が長くて不器用な手をしている。
実際、手先も生き方も器用な方ではなかったが、
幼い頃から不器用だ不器用だと言われて大きくなると、
それが染み付いてしまって、ことさら何かにチャレンジする事もなく、
縮こまってしまって、劣等感ばかり募らせて歳をくったような気がする。


よくよく考えてみれば、刺繍も好きだし編み物もセーターぐらいは編めるし、
中学校の頃は家庭科の調理実習で1個作るところを、
2個も時間内にケーキをデコレイトして褒められた。
ピアノだって中学生まで続けたし、算盤だって小学校時代は習っていた。
親から叱られるのは、親が期待しているほどお手伝いをしなかった、
誰かと比べて作業量が少なかったり遅かったりで、
けっして「できない」ではなかったのに、
「不器用だ」とインプットされたお陰で、随分自信の無い10代を過ごした。


心が柔らかいうちに傷が付くと、相手はそれほどとは思っていなくても、
自分自身はどーんと落ち込んだり、がっくり意気消沈したり、
「できない人間」の烙印、レッテルを身内から貼られているのだ、
どうして他人様が認めてくれようと、いじけてしまう場合も少なくない。
私はその典型で、仕事に就いて少々世間様を覗くまでは、
親の規範、要求水準、理想が全てだと思って長じた。
その結果、心のどこか意識のどこかが妙に「のの字」になっている。


魚の目も胼胝もそうだけれど、もともとは自分の皮膚の一部なのに、
自分自身を傷つけ痛めつけるようにしか働かない。
深爪も怪我も望んでそうなったわけではないけれど、
痛みに耐え切れず、刺激を避けようとして、または誤った靴選びで
どんどん「足指環境」を悪くして、傷口を深くしてしまう。


心の傷も、ほんのちょっとした棘がなかなか抜けなかったり、
思いのほか化膿してしまったり、思い出したように疼いたり、
自分自身の益にはならぬとわかっていても、
「忘れた頃にやって来る」災難のように、自分を苦しめる。
治ったと思っていても、再発したり単なる寛解だったり、
完治していたわけではなく、何とか宥めていただけだった、
そう思い知らされる度、人間としてのひ弱さを意識させられ、
がっくり来たりするのだけれど。・・・爪よ、お前もか。


ただし、巻き爪治療には画期的な小道具があって、
形状記憶合金の針金で巻いた爪を正しい形にできるという。
痛みを感じない爪そのものは、針金を通されても平気の平左。
真っ直ぐに戻ろうとするその金属を装着しただけで、
痛みが薄らぎ歩けるようになる人も多いのだとか。
残念ながらこの治療は保険が利かない。自由診療
でも、巻き爪で悩んでいる人が多いのなら、保険診療にすればいいのに。


心の治療に、?と思うくらいのお金が掛かるように、自由診療
でも、心の「のの字」は巻き爪の「のの字」と異なり、
自分の目で治り具合を確かめられるわけでも無いし、
人から見てもわからない。
形状記憶合金で常にフォローして貰える訳でもない。
そんなに簡単に添え木を当ててもらえるほど、甘くはない。


だから尚更、心に関しては自分で「引き籠り」過ぎる事はタブー。
巻き込まなくてもいいものを巻き込み、自分自身を傷つける。
ほんの少しの傷を過保護にかばったばかりに、
どんどん巻きがきつくなり、なかなか元に戻れなくなる。
爪ばかりではなく、人の心だって同じ。


タフでいつも重いものを抱えて平たい爪。しっかり支え、
しっかり掴み、しっかり握るその指、その手、その爪。
手足のセンサーは心のセンサーに通じる。
手足を自由に動かしていれば、動かすことができれば、
心身の病気からは遠ざかる事ができる。


心が落ち込んでいる時は、何かしら手慰みをして、
物を作ったり壊したりしながら、心のどこかを組み立てなおし、
ほつれを縫い直し、継ぎ合わせ、再生させる過程を、
昔の人は手仕事を通じて知っていたのだろう。
足で稼いで何ぼだと、体験を通じで心身の鍛え方を知っていたのだろう。


ためしてガッテン」で見た爪は、思いがけなく心身に爪を立てる
自分で自分を傷つけている自分自身の在り様を連想させる。
心の「巻き爪」を作らないように、ならないように、
意識して爪を切らなければならない。
意識して、余分なものを切り落とし、切り詰めすぎず、
注意深くあらねばならない。


足元から、体のバランスが取れるように。
足元から、心のバランスも取れるように。
手先から、しっかり生活を紡ぎだし、
本当の意味での「しなやかさ」「器用さ」を生み出せるように。
ね。

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