Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

野の花と花実酒の宿で 

珍しく家人が旅行の計画を立てた。蛍を見るために。
家人と私の初夏の思い出の中には、「蛍」が欠かせない。
徳島にいた頃の年中行事、蛍狩り。
大谷川沿い、美郷村、蛍を追ってドライブする夏の夜。
その思い出は、源氏ボタルの小さな光だが、
日々の生活に疲れ、乾いた心に灯る潤いの灯だ。


心無いやり取りや、立場上の出張や、書類仕事に追われうんざり。
電脳玉手箱の向こうに見える景色や花々、虫たちの世界。
心を癒す緑滴る景色、川のせせらぎなどが恋しかった。
家族のルーツはいつも徳島の自然にまつわる思い出に還って行く。
家人は珍しく知り合いから情報を仕入れて、
家族を旅行に連れ出してくれるという。
これが結婚10周年のお祝いのつもりなのかな。

大人組 2008年 08月号 [雑誌]

大人組 2008年 08月号 [雑誌]

 

訪れたのは、日本で一番茅葺の家が残っている里。
京都の奥座敷美山町。京都まで車で行くなんて・・・。
徳島以外に長距離ドライブなどありえなかった。
その家人が、抜け道を運転して一路美山へ。
途中道の駅で休憩、能勢を山越えして大阪から兵庫を経て京都へ。


高速道路を降りて地道を走れば、いつの間にか田園地帯となり、
緑優しい稲の苗が風にそよぐのを眺めながら、
変わった形の民家が目に付き始める。
ここはもう京都。馴染みの無い名前、南丹市
かつて、北桑田郡という地名を合併で失った美山町
トタンや瓦に葺き替えられてしまったものの、
その形は紛れもなく、かつては伝統的な茅葺の家であった民家。

芦生の森から―関西の秘境

芦生の森から―関西の秘境


トンネルを抜けてひたすら走ると、昼頃に美山町に辿り着いた。
寄り道しながら2時間半余りのドライブで、別世界。
まずは、以前から耳にもし、雑誌にも載っていた「つるや」へ。
そこには千種類を超える手作りのお酒が飾られている。
一歩中に入ると、遡って祖父母の時代に戻ったような佇まい。
大小の様々な形の瓶の中に漂う花や草木、木の実たちは、
静かにこちらを見つめている。思い出を封印して、静かに反芻するが如く。
民宿の女将が、30年以上漬け込み続けた数々の自然。
女将の名にちなんだ「千の花実酒館」を訪れてみたかったから。


 

 


夏休みに入る前の土曜日のせいか、思ったよりも人の姿が少ない。
幸いなことに、私たちだけの貸切となった昼食。
鄙びた民家の調度。「菊水の紋があるよ」と娘が叫ぶ。本当だ。
春に楠木正成像のある記念館や寺に連れて行っただけのことはあった。
尋ねると、楠木正成の弟、正季の末裔とのこと。
確かにそうそう普通の家で、この家紋を見る事は無い。


 


松葉と水が太陽熱で発酵した松葉サイダーのほのかな甘み。
孫息子が料理を担当。山うるか、山菜。素朴な味わい。
朴の葉に包まれ、かつて田植え時に水神に備えられた御飯。
稲穂できっちりと結ばれた、神饌としての御飯をいただく。
米の一粒一粒までに宿る命が、我が身の一部になりますように。


 


古風な小民具の飾られた部屋を眺めながら、
小さな庭、贅沢な食膳。秋の七草を漬けた酒が飾られた座敷。
少し車に酔った娘も、あっさり味のご飯を元気に食した。
女将は昨年骨折して足元が覚束ないが、噂に違わず話好き。
父と同い年の女将の思い出話は尽きず、少し親の視線を感じた。


 


農家の米に対する思い、ひいては自然に対する敬意が溢れる。
自然の恵みが、穀霊が、祖霊が見守る中で、凛として生きる。
裏庭で可憐に咲く桔梗。人懐こい柴犬。静かな時間。
ご先祖の肖像写真が飾られた部屋、祖父母の田舎の家を思わせる。
ひんやりした土間、黒光りする柱の滑らかさが心地よい。
移築されて100年以上経つ、江戸時代からのこの家の命を感じる。
そんな午後。


 

琥珀色は金木犀、最後はタンポポの綿毛。美しいお酒)