Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

ポニョとインディ

本日家人の誕生日。ケーキも何もないけれど、美山の野菜たっぷり朝食。
ドライブがてら、新しく出来たシネコンに走っていく。
娘の方が何故か余り乗り気でないけれど、『崖の上のポニョ』へ。
二人して私のお腹を見てはテーマソングを替え歌。
♪ポニョポニョポニョ、メタボの腹♪ ・・・嬉しくない。
「そこまで大きいお腹じゃない!」と、声を大にして断言できない弱み。
それはともかく、美山行きのおやつの残りをこっそり持ち込み映画鑑賞。


人魚姫、赤い蝋燭と人魚、ワルキューレ、海底2万里、等々の片鱗。
童話、ファンタジー、その中間。宮崎作品の中で言うと、
幼児版『紅の豚』に近いような気も。絵柄というか雰囲気が。
コンピューター処理で終わりましたというシャープな絵柄ではなく、
手描きを強調した画風が暖かくかわいらしい、懐かしい世界を醸し出す。
ストーリーそのものは、それほどの起伏はないけれど。


要は、信じる心があれば救われる世界。「魚心あらば水心」の世界。
純真無垢な世界に癒される時空間。愛と信頼に保障される「世界の再構築」
童話仕立てになっているからわかりやすいし、枠組み構造役割分担も簡単。
母なる自然に対して、卑小な父の存在が滑稽だったけれど、
人間の努力や英知など、結局の所大いなる自然に対して何もできない、
そういう比喩の置き換え・パロディ故に、ピエロまがいの衣装の魔法使いが父。
巨大な人魚姫、天空の女王のような、観音様とあがめられていた女神。
こんな両親を持って生まれざるを得なかった、娘の将来は大変だよ・・・。


基本的に悪人が出てこない物語の中で、何と格闘し何を見出し達成するか。
本能の赴くままに好きな相手の元に走ろうとする女の子、
何かよくわからないまでも、目の前の出来事を受け入れ、
大切な存在を守ろうとする男の子。理解以前に共感・受容の姿勢。
だからこそ自らも相手も、自然の一部である事を素直に受け入れ、
共に生きていこうとする素直さが、大人の目には眩しい。


風の谷のナウシカ』や、『天空の城ラピュタ』のような躍動感には乏しく、
『隣のトトロ』ほどの強い郷愁を呼び起こすことも無い、
まして、『もののけ姫』や『千と千尋の物語』のような異世界もない。
魔女の宅急便』や『ハウルの動く城』の魔法ファンタジーとも違う。
いうなれば、ジブリ宮崎作品は芭蕉の俳句で言うならば、
「しをり」「かるみ」の時期にはいったということか。

崖の上のポニョ サウンドトラック

崖の上のポニョ サウンドトラック

崖の上のポニョ

崖の上のポニョ



「私たちはみんな泡から生まれたのよ」意味深。
夢のまた夢、うたかたの世界。かつ消えかつ結びての浮世。
泡から生まれた。まさにヴィーナス誕生の瞬間。
生命の神秘。受精。生と死の相克を内包する細胞分裂
人の心を粟立たせる恐怖にも似た陶酔。恍惚。
私たちは泡から生まれた、そして泡のように消えていく存在。
けれど、一寸の虫にも五分の魂で生きている。
人間の生活がどんなに卑小で齷齪していて、
悠久の時の流れに向かい合うにはお粗末だとしても。


いつも誰かを守ろうという思いで生きて働くそんな生活。
誰かを守る為には強く賢くあらねばならぬ。
物語の「かーちゃん」に思い入れするのは、自分がかーちゃんだから?
海の男を愛するしっかり者のかーちゃんに育てられた、
その子供の愛する相手が海の申し子、半漁人という構図に、
なるほど「海の日」映画鑑賞にはぴったりかと思いつつ、一旦退場。
ポニョたちみたいな美味しい食事もそこそこに、次の予定に走る私たち。


午後、この日はどうしても記録会の練習だと水泳教室に向かった娘。
とーちゃんとかーちゃんはしばし休憩。あれこれ片付け、あっという間にお迎え。
夜、おにぎりとお茶を持参で安上がり映画鑑賞会。
家人よ、こんな誕生日でいいの?
ご馳走もケーキもないけれど、美山日帰りと映画で満足?
というわけで、全員の一致。以前から楽しみにしていた夏休み映画、
インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国』だったのだが・・・。


結論から言うと、娘はTVで観た前作3作品よりも面白くなかったよう。
そりゃ、主人公もじーちゃんになっているしね。
派手なアクションはあるけれど、激しい部分は若手が中心。
どちらかと言うと、インディに1作目の彼女との間に息子ができてて、
「中退は許さん!」とか怒鳴っている所が笑えたし、
教授・冒険家・父親としてコロコロ変わる表情や物言いの方が楽しかった。


冒頭部分で割れた木箱から例の「アーク」が見えて、娘は興奮。
でもって、娘の一言。今から始まると言うその時に・・・
「友達から聞いたんだけれど、悪い女は最期は燃えるんだってさ」
言わんで欲しかった。要はアークに関わる、神の領域に関わる人間は、
「見たなー」の「置いてけぼり」ではないけれど、祟りがある。
「触らぬ神に祟りなし」の掟破り、罰当たりには神罰が下る。
その法則にのっとった映画と見た。


どこかでこの作品に踏ん切りをつけたかったのか、安全パイで需要を見込み、
供給に走った予定調和の製作作品なのかどうかはともかくとして、
今回の映画の内容ならば、『マスター・キートン』を全作読む方が楽しい。
そんな拗ねた思いさえ抱いてしまう、持って行き方。
冒険ものか? SF超大作か? それとも他の類似作とタメ張ったのか?
納得しきれない思いが残った今回のインディ。


ハン・ソロも、そして『スターウォーズ』も終わった。
インディも年老いた、結婚もした、落ち着いた。でかい息子もいる。
代替わりを宣言して引退、とまでは行かなくても一区切り。
製作者側にも俳優にも心の区切りが必要だったのか、
何かしら後ろ髪惹かれる思いが、思い入れがあったのか。
でも、これで全ておしまい。


柳の下のドジョウ、2度あることは3度ある、連作超大作、シリーズもの。
それなりに安定した面白さはあるけれど、何だかなあ。
興奮できなくなってきた、その面白さの中に純粋に身を委ねられない、
そのこと自体が自分自身の老いと関係しているのか、
単にそういう気持ちになっているだけなのか。
ちょっと、違和感を感じつつ退場。1日2本の映画がきつかったわけではない。
どの映画も、どちらの映画も今の自分にはしっくり来なかった。
それだけのこと。
でも、とーちゃん、今日の誕生日で満足した?
それが、一番の気掛かり。

Indiana Jones Trilogy: New Recordings of

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MASTERキートン (1) (ビッグコミックス)

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