Festina Lente2

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宇治・平等院訪問

写真をアップしたので、ご覧下さい。(8/4)


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さて家人の里帰り兼娘の祖父母訪問兼私の研修・勉強会に向けて出発。
美山効果著しい家人の血液検査の結果も麗しく、ドライブする気満々。
新しい道路新名阪を通って帰省するという。
大学時代は日本文学を専攻した人間としては、今年は源氏物語千年紀。
恐る恐るお願いすると、快く宇治に寄り道してくれることに。
なのに、源氏物語ミュージアムは夏休み一杯工事中で休み。
どういうことよ、なんて間が悪いのよ。


 


近場の世界遺産宇治上神社宇治神社を先に訪ねる。
実は平等院世界遺産ということは知っていたが、
下社若宮の宇治神社に対して、上社本宮の宇治上神社世界遺産だとは知らなかった。
宇治の地名の元となる菟道稚郎子(うじのわけいらつこ)、
及び兄の仁徳(にんとく)天皇、二人の父の応神(おうじん)天皇
この3人が祭られている。高校時代毎日、仁徳天皇陵を眺めながら
通学していた人間にとっては、ちょっとびっくり。


宇治と言うと、お茶。源氏物語の宇治十帖。
世を宇治山と人の言ふらむ。憂しとの掛詞で、
表の京の都に対する裏の隠れた世界。
そんなイメージが付きまとっていた。
だから、平等院末法思想にぴったりの隠遁の地。
阿弥陀信仰に毒された軟弱貴族の隠れ里。
そんなイメージさえ付きまとっていた。



ちなみに宇治を訪れるのは20年ぶり位。
まだ元気だった母と京都の帰りに足を伸ばして、京阪電車で立ち寄った。
何だか、こんなに店が多かったかなあ。源氏物語千年紀のせいか、
雰囲気が変わったなあ。道路や小道が整備され、それでも今日は平日。
人出は少なく、観光地の賑わいからは程遠い。
ゆえに宇治上神社の境内は、なかなか雰囲気がよかった。


                                                           


めでたや、久しぶりに引くおみくじは大吉。
せっかくなので記念に人形(ひとがた)に願い事を書き、奉納。
宇治のお茶を美味しく入れる湧き水、名水桐原水は、
そのままでは飲めないながらも(煮沸すればOK)、まさに山の清水。
冷たさは心をしゃっきりさせてくれた。さて、山を下り、
川を渡って、平等院鳳凰堂へ。

新版 古寺巡礼京都〈13〉平等院

新版 古寺巡礼京都〈13〉平等院

魅惑の仏像 阿弥陀如来―京都・平等院鳳凰堂 (めだかの本)

魅惑の仏像 阿弥陀如来―京都・平等院鳳凰堂 (めだかの本)


暑さの中、やはり観光客は夏枯れらしい。並ぶことなく観光。
平等院は平成の補修工事が終わり、内部で写真撮影はできないものの、
大きな蓮の鉢に囲まれ、落ち着いた風情で建っていた。
娘は両親が何故自分を、こんな所に連れてきたのかという顔。
百人一首と漫画で覚えた清少納言と定子の話をして、
藤原道長の子供が立てたお寺だよというと納得した様子。
家人はすかさず10円玉を取り出し、比べてみるように促す。
百聞は一見にしかず。宇治平等院鳳凰堂。阿字池を挟み、
対岸から眺めると丸窓から阿弥陀如来の顔だけが見える。


 


丈六の坐像は徳島県の丈六寺にもある。
京都のはずれに居ても、徳島を連想する。
蓮池を見ては、北島や大谷の蓮、蓮根畑を思い出す。
朝露に輝く夏の蓮畑を。


鳳凰堂の中にはアプサラス、飛天が様々な楽器を持ち空中に浮かんでいる。
天女ではなく「52体の雲中供養菩薩」と解説にある。
いずれにせよ、壁の飛天は極彩色の堂の中で黄金に輝く仏像を取り囲む。
往時から訪れる者見る者は、霊妙な調べが天空から鳴り響く、
そんな錯覚を覚えたことだろう。ありがたいご利益として。
うっすらと扉の板戸に残る来迎図、山野の景色。


 


庭園をそぞろ歩くと、前の集団の年配の方々が、「極楽の風や」
? 新しくできているミュージアム、鳳翔館から冷房の風が。
生き返るようなひんやりした館内。CGで蘇る往時の姿に娘はびっくり。
古ぼけた遺跡でしかない寺社が、かつては極楽浄土を体現した豪華絢爛の地で
あったことなど言葉だけでは説明できない。復元CGが余りに綺麗で本を購入。



雲中供養菩薩の持つ楽器の解説も詳しく、梵鐘のレリーフは美しい。
思いのほか見甲斐のある美術館にお土産コーナー。
何と娘は美術品の写真のついたトランプが欲しいとのこと。
私は52体が写っているクリアファイルを買ってしまった。
家人は当然、呆れ顔。


出口を求めて鳳凰堂の裏側を歩いていると、源三位頼政公の墓所が。
そういえば、以仁王の令旨を受けて、奔走。
兵士追討を見ることなく、この平等院で自刃した彼は、
この地に眠っていたのだった。忘れていた日本史、思わず生々しく蘇る。
辞世の和歌 「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 
               身のなる果てぞ 悲しかりける」
76歳までこの情熱で平安末期を生きたかと思うと、
そのエネルギーに脱帽するしかない。



末法の世を儚み、来世を願った地は源平合戦の舞台の一部。
生々しい政治、権力闘争、戦の場でもあったのだった。
神の下、仏のもとでの平等。平等院
教育も経済も格差があって当たり前と豪語してはばからぬ知事のもと、
末法の世、地獄の釜の蓋が開いている大阪府政、国政。
令旨を出す者も居なければ、頼政公に匹敵する人物も居ない。


誰かに責任をおっかぶせて詰め腹を切らせることを目的とする、
解散国会はあっても、世のため人のための前向きな捨石や、
犠牲になろうと政治に取り組む人間など・・・。
「埋もれ木」さえも存在しない今の世の中なのだと、
うんざりした思いが夏の日ざしの下を掠める。


世を宇治山と人は言ふらむ。憂しと思うこと感じることに
めげずに生きる。生活を積み重ねて、世間の荒波を渡る。
まだまだそんな時間の只中にある。
源氏物語の宇治十帖の浮舟のように、出家して救われる世の中ではない。
ちなみに鳳凰堂の解説の英文訳は「Phoenix Hall」
本質的には鳳凰は単性生殖の不死鳥ではないのだが…。


未来永劫の救いを求めて末法の世を逃れるべく立てられた堂の守り神、
鳳凰が、死ではなく再生を意味するのであれば、
鳳凰のその名のごとく、「埋もれ木」に花咲かせる時代が必要。
頼政公の嘆きを助長させることがあってはならない。
そんな思いをそっと抱く。
さて、誰のどんな令旨がばら撒かれるのかわからないが。


ちらちらと思いを掠めて、百日紅の花びら揺れる。
真夏の宇治をあとに。一路尾張名古屋方面へ。

平家物語 (日本の古典をよむ 13)

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源氏がたり〈3〉宇治十帖 (新潮文庫)

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