Festina Lente2

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そのうちそのうち

「あいだみつを日めくりカレンダー」の28日目は
「そのうちそのうち べんかいしながら 日がくれる」
全くその通りで8月も、もう終わりだ。
9月からの予定、見通し、打ち合わせ、仕事はいつもと同じ。
されど、猛暑に残暑、曇天なれど雨は降らず湿気ばかり。
肌寒いような暑いような、今1つの気分で午後。
昼食を取る時間も無く、会議まで15分、
せめてお茶でもと思っていたら、青い顔をした同僚が立っていた。


ここひと月ほど顔を見なかった。見かけても話す暇なく。
お互いばたばたと仕事をして、あ、今日の午後の会議は彼女の案件か。
なるほど、前もって何か打ち合わせでもと思えば、
元気の無い顔でひと言「声が出ない」とかすれ声。
午前中は話せていたのに、午後から急に掠れて出ないと言う。
・・・出ないという訳ではないが、引っかかっている感じ。
「前にあなたも声が出なくなったから、次は私もかと思って、
 経験者に訊きに来たの」・・・なるほど、そう来たか。


いっとき声を失ったのは母もそうだが(ポリープ手術で)、
私の場合はれっきとした咽頭炎、ただし時期と予後が良くなかった。
仕事が忙しくなる時期と同時に発症、当初診断書は2週間。
医師の書く診断書は仕事を考慮してくれる場合と、
全く病のみ診て、その用紙がどのような意味合いを持って使われるか、
考慮されない場合とがある。診断が仕事であり、
その先は責任外だから、純粋に「診断」を断行する。


疾病利得の非難を恐れる余り、声を失い十分な休養もせずに
無理に使うとどうなるか。所詮、他人の喉、声なのだ。
声を使う仕事がどうなるか考慮なし、2週間のみの診断書。
体が動いても声が出なければ、何も出来ないということがわからない。
泣き泣き別の医者を捜し求めて1ヶ月の診断書を手にして、
代理の人間を派遣してもらい休養中、家人が倒れ救急車、
病休に続く介護休暇の取得、手に手を取って家族病み倒れるの図。
今だから振り返れる、我が家の転換期。
家人の闘病生活の始まり。


医学の進歩は急性期こそ「闘病」であっても、
深刻な病をも穏やかな慢性管理の状態に変えてくれる。
それが「板子一枚下は海」の恐ろしさを忘れさせてくれて、
順風満帆を錯覚させるほどの日々が続く。
波風は立てど、船は航行中。舵も取れれば帆も上がる。
今でこそ何とか、そんな毎日だけれど・・・。

自分を見失いそうなとき読む本―心の声が聞こえますか

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身体は何でも知っている 〜仕事も人生もうまくいく整体的生活術

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どんな仕事でも体が資本だが、自分のやる気や能力に関わらず、
降って湧いてくるような難儀、偶然とはいえあんまり、
誠心誠意尽くしたとしても思い通りにならないことは、ごまんとある。
人がしたがらない仕事を引き受け、感謝されるとは限らず、
涙に暮れながら責任を果たそうとすればするほど、泥沼。
四面楚歌の中、助け舟が見えず、泥舟でもいいからとすがる。
そういうことは日常茶飯事、仕事。すまじきものは宮仕え。
宮仕えではなくとも、理不尽だと思うことは多々ある。


おまけに、仕事が忙しい時に限ってシンクロするように、
家庭内に問題が起きる。公私共々共倒れになりがちなのが、
マーフィの法則? ついてない、やりきれないの連続になって、
ますます心身ともにささくれ立つのだ。
我ら更年期、仕事を続けてきた戦友の「声が出ない」は、
一杯のお茶で片付くものでもないが、とりあえずお茶。
ひとまず座ろう。


15分の茶飲み話のうち、出てくるのは子どものこと。
進学のこと。むろんそれにまつわるものはもっとあるのだろうけれど、
言わずとも語らずとも、同い年同じ職業。苦労は山ほど。
体に「ガタ」の来る所も同じ、更年期の不調はあれど、
自分のことだけにかまけていられない、かーちゃん業。
お互い白髪を隠し切れていない、まだらの髪を振り乱し・・・。


お茶ではなくインスタントスープと味噌汁をすすりながら、
簡単な昼食。で、5分遅れで会議を始めた。
彼女は状況報告を淡々と行った。およそ1時間。
その会議中にも、彼女に案件絡みの電話が掛かってくる。
大丈夫、ちょっと休憩しただけで会議は無事に進行。
元気は無いけれど、声は出ていた。
これで今日1日、何とかしのいだ形になった。
残念ながら、もう少しお互い喋っていたい。
話を聞きたいけれど、時間がとれない。
そのまま別れ、来週別件の会議まで会うこともない。


週末、彼女がどんな風に家で過ごせるか。
それは、私にとっても同じだけれど。
心身の休養が家庭で取れればいいのだが、
子育て更年期世代は、それも思春期の子育て世代は、
老親介護世代は悩み多き毎日なのだ。
それでも仕事は辞められない。
辞めれば、ますます自分の居場所は無くなる。
先立つものにもご縁が無くなる。
背に腹は変えられぬ所で仕事をしている。


そのうちそのうち、何とかなる。
自分自身に弁解しながら毎日をやり過ごす。
お湿りが来ない曇天、期待外れ? 予想外?
「嵐」の予感に気付かない振りをしながら。
そのうち、そのうちと。


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ああ、今朝の読売新聞の朝刊、編集手帳にあった歌。
河野裕子氏の一首
「しっかりと飯を食はせて
      陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ」
親の喜び。これが出来るからこそ親。
しかし、親とてこのように出来ぬ場合もある。
このように労わって欲しい時もある。

東洋医学セルフケア 365日 【健康法のエッセンス】-「氣道」入門 (ちくま文庫)

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整体的生活術 (ちくま文庫)

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