Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

満月待たるる

うち眺め萩の小袖に月を愛づ かぐや姫ならぬ我なればこそ


秋の景色は一枚の着物のよう。季節を纏うことの出来る一瞬。
十五夜お月様に来て欲しくないかぐや姫、ではない私。
片手をかざして見上げれば、満月が待ち遠しく、
上限の月が肥え太る様を楽しむ。
太ったり痩せたり出来る月が羨ましい。(笑)


萩模様の小袖など持っている訳がないけれど、いいでしょう。
心の中で季節を眺め、着道楽。
日々のことにどれほど煩わされようと、自然に対峙するこの一瞬は
無色透明であらまほしき我が心。心に纏う季節の移り変わりこそ、
観念の世界、白昼夢、夢の中で遊ぶ。贅沢な喜び。


かぐや姫は月見れば千々に思い乱れただろう。
本意ならずとも、無残に捨て置く形となる育ての親の行く末を思い。
帝の好意を受け入れることのできぬ自分を、
元は月の人なれば薄情は当たり前とも、「さだめ」とも割り切っただろうか。
無理に「人ならぬ身のあはれ」故と、自らを呪っただろうか。
恋しい月に帰りたい、されど恩を仇で返したくないと、
アンヴィバレンツな思いに悩んだだろうか。


かぐや姫ならぬ自分としては、月を見て嘆くよりも、
娘の言う所の「満月の見習い」上限の月が超え太っていく様を、
心から楽しむことができる、そのことを喜びたい。
「とりあえず3年ですよ」と宣告された月日が、
「今はまだ」穏やかに過ぎていることを、喜びたい。


道野辺に逢魔が時の闇迫り 胸騒ぎする萩の月かな


実は大好きな写真と短歌のブログ、「季節の窓」に寄せる歌を詠んだのだが、
萩ではなく葦を題材に月をうまく詠む事叶わず。
両親のふるさとには「萩の月」という銘菓がある。
そんなこともあって、月と萩が頭の中でセットになっている。
萩の花WEBというものもあるのですよ。
なかなか切り替えの利かないまま、満月が近付いてしまった。


野原の草が自分の背よりも高く茂る、その中を歩く怖さ、気味悪さ。
最近の子供は、そういう経験は少ないだろうな。
月の光を頼りに、どきどきしながら歩く野道、山道、田舎道、浜辺。
草いきれのする中を、虫の声集く(すだく)野辺を、
てくてくと歩く、家路を急ぐ、黙って小走りになる。


狭い獣道のような道で気付かぬまま笹や薄に手足を切られ、
切り傷だらけになりながら、やっとの思いで家に辿り着く。
毎日の生活の中に、涼風ばかりではなく、
生暖かい風の吹く道で目に見えぬものに怯え、
長じて夕暮れのひと時が「逢魔が時」なる時間帯だと知って、
妙に納得した頃。


野原の散歩、夕暮れの海辺が少し怖かった日々。
そんな子供の頃は遠い昔になってしまった。
だからこそ、月は怖くない。月の光さえも明るく感じる日々を、
月の光が頼りの頃を知っているから。
かぐや姫のように、運命に抗わず、
泣くだけで月を怖がったりしない。
月日が経つのを怖がったりはしない。

月の本―perfect guide to the MOON

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