Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

19時からが本番

ボランティアとはいえ、手を抜くことはできぬ。
という訳で、研鑽に次ぐ研鑽。
例会で毎回異なるテーマで話し合う、運営について意見を出し合う。
そして、きちんとケーススタディを行い、スーパーバイズを受ける。
当たり前と言えば当たり前だが、自分のケースを振り返り、
どれを選択し、レポートとして書き出すか。
心の中で反芻し熟す時間が必要な部分と、
その場その時にすぐに書いておかねば忘れ去ってしまう部分と、
その両方をSVミーティングで振り返る。


独学が、独りよがりになりがちなのは言うまでも無い。
知識は、パーツとして組み立てられていく複雑なパズル。
蓄積可能なもの、思いがけないもにリンクする突起を持つ。
しかし、その知識を補足する感覚、
一つ一つのケースに当てはまる一回性、
どのケースにも見出せる普遍性、
腑に落ちる、落とし込むことができる、納得する、
いつの間にか広がる「物語」の裾野。


CLにはCLなりの物語が広がると同時に、
そこに寄り添う私達にも「図と地」のように物語が広がる。
ルビンの壷」のように、受け止める側の物語が。
どんなに無心に聴こう、聴いていようと思っていても、
水面に落とされるのは小さな石ではなく、
雨霰と落とされる砂利の連続であったり、ガラスの破片だったり、
様々な波紋を広げ、水煙を立たせ、水面を濁らせ泡立たせる。


何時も何時も何事も無かったように、平然と受け止めることはできない。
仕事の延長線上とは思いつつ、仕事そのものでは無い世界で、
私達はともに学んだ日々、語り合った日々の積み重ねで対峙する。
通常のカウンセリングと異なり、一期一会。
顔の見えない相手に対して、もう一歩踏み込んで行かねばならない。
その時の見極めが、もう一歩が、とてつもない壁だ。

電話相談の考え方とその実践

電話相談の考え方とその実践


仕事もそうだが、しょっぱなからとんでもないケースに遭遇。
これをビギナーズラッキーといっていいのか何なのか、
2度と忘れられないように、肝に銘じるようにこうなるものなのか。
自分が最も苦手とする分野だったり話題が振られたり、
全く自分と異なる相手が延々と立ちはだかったり、
よくもまあ、こういう組み合わせになることよという場合が多い。


神の試練と言えば聞こえはいいが、困難な物事を処理する時はそう。
何事も得意技や力技で押し切ることができない、胆力と持続力、
個人的なバイアス、自分自身が持つ偏見や認知の歪みに気付き抑制しながら、
冷静に受け止めなければ、衝撃で自分が粉々にされる。
言わば、SVを受ける為の学びの場は、武道の素振り、型を極めると同時に
あらゆる受身を体得するようなものだ。
自分自身を柔軟に保つために。
即、対応するための瞬発力、判断力、分析力を磨くために。


自分がどのようにCLの発言を受け止めるか。
聞き取る言葉に、どのように対応するか。
人は自分の聞きたい言葉に反応する。
人は見たいものを見、聞きたいものを聞くから。
自分が紡いできた物語、自分の考えの枠組み、
自分の認知の癖に振り回されずに、人を受け止める。
それは限られた時間、限られた間なので耐え得る。
感覚を研ぎ澄まして、自分の中に沸き起こる感情、
疑問、違和感、嫌悪、そして共感を、
憐憫ではなく、本当の意味での共感を持ちながら、
受け止めることは至難の業。
鍛錬を要する。


自分ができない部分、受け止め切れ無い部分、気付かなかった部分、
曖昧にしてしまい、後から輪郭だけをなぞってみると、
何ら本来の問題に接近できないまま終わっている。
何故、分析の段階で気付いていながら、焦点化できないか。
対決に至らないか。
気付いていることを言語化しなければ、顔が見えない言葉の世界は
ひたすら上滑りな時間だけが過ぎていく。


その上滑りを楽しむCLもいれば、そうやって何度もリピーターとして、
会話をなぞる事で自分の存在意義を確かめているような、
そういう物語を構成することが、人生の息抜き、時間潰し、
決して切羽詰っているのではなく、抜け出せない自分に気付きたくない、
問題を直視しないでいる自分をそのまま受け止めてほしい、
その甘えを、その繰り返しを、諦めながらも忘れきれないこと、
落下しながら上昇する日を夢見る、そんな白昼夢。


抱えている問題は、この上も無いリアルな現実であるのに、
何故人は繰り返し同じ蚊取り線香燃やし続けるのだろう。
違う風向きの日には違う燃え尽き方があるとでも言うのだろうか。
異なる灰が積み重なるというのだろうか。
湿っていないことだけを確かめるために、くすぶり燃える
渦巻状の迷路のような思考と、紡がれる物語を、
1本の電話で受け止める。


だからこそ、自分が透明な粘土の様に耳から聞く物語に、
覆い被さり、型を取り、訳がわからない状態を見える形にし、
どこをどう触ればどのように感じるのか、
どの部分をどうして行けば、受け入れられる形になるのか、
語り手の物語を象る聞き手となる。
図と地の関係。


その為に、集い、学び、お互いを支え合う。
知識をつかさどる知恵を磨くために。
心を靭く柔らかく持つために。
仲間を通して支え合う。
今日は、そんな日。そんな夜。

実践 電話カウンセリング―いのちの電話の現場から

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いのちの電話―絶望の淵で見た希望の光

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