Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

『おくりびと』と思い出

観たいと思う邦画はなかなか無く珍しいのだが、
今回は、前評判、期待を裏切らぬ良い作品でした。
観終わった時、重い暗い世界が垂れ込める、
そんな映画は苦手な私。
娘の生まれた日に夫婦でこの映画を見ることができたというのも、
何かしら因縁めいた気がする。


おくりびと。おくられびと。人は誰でもそう。
顔も覚えられぬ程幼き頃に出奔した父。
そんな夫を忘れることができず、女で一人で息子を育てた母。
その母に孫の顔を見せることも、死を見取ることもできず、
今またチェリストとしての存在意義を失い、
根底から揺らぐ自分自身を妻に支えられ、
待つ人もいない故郷へ帰る主人公が偶然得た仕事。
「納棺師」


誰もが棺桶に入れられて黄泉路に旅立つというのに、
普段は全く意識されていない、その仕事。
現代社会ではタブー視されがちな冠婚葬祭の「葬」の部分。
どんなふうに描き出すだろうと興味津々で画面に向かった。
テーマそのものと役者、双方に対する先入観があったから。


主役であるもっくんこと本木雅弘は、私の記憶違いでなければ、
紅白歌合戦の衣装に牛乳を入れたコンドームをぶら下げて歌った。
それはリハーサルでは無かった云々で物議を醸した。
芸能人は目立つ為に色々な行動を取るが、老若男女国民番組的な歌謡ショーでの
余りに大胆なコスチューム、常軌を逸している印象が強まった。
私生活云々まで言及するつもりは無いが、偏見が無かっただけに、
いい意味ではなく「変わった人」の印象だけが残ってしまった、もっくん。
結論から言えば今回の映画で、いい意味に印象が変わったので良しとしよう。


その妻役の広末涼子を銀幕で見るのは『鉄道員(ぽっぽや)』以来。
あの時もシリアスで暗い内容になりがちな映画に、奇妙な明るさ、
邦画には珍しいファンタスティックな陰影をもたらす、
ふわふわした個性で目を引いた。あれから10年。
人生経験を重ねた実生活を投影しているのかいないのか、
相変わらずほんわかした個性で、湿りがちなテーマに
愛らしい透明な雰囲気を醸しだして、いい意味で変わった役者。
その印象は見終わった後も変わらず。
演技の上手い下手とは関係ない存在感を持っている女優だ。


後は脇をかなり渋い俳優が固めているので、
脚本と演出しだいだろうと少々構えて観たのだが、
最初の「つかみ」がシリアスな中にも、ユーモラスで、このギャップに笑えた。
もちろん、納棺される人、死者と家族の関係性をどのように描くか。
一つ一つの死にまつわるエピソードを、短くぴりりと際立たせる黒子のように、
実際は物語の主役でありながら、その場では一瞬の黒子として
「納棺師」は存在する。


その所作の美しさ、気遣い、死を演出する才能、死者に対する礼儀、
そして周囲の人々に対する姿勢、普段は接することのできない世界が、
時間軸の中で、行きつ戻りつする回想シーンと共に供される。
この映画の静謐な美しさを、東北の景色が支えているのは紛れも無く、
これが南国の太陽きらめく土地柄を背景にすれば、
かなり違った趣きでエピソードが語られることになっただろう。

「おくりびと」オリジナルサウンドトラック

「おくりびと」オリジナルサウンドトラック

ピアノ&チェロピース おくりびと

ピアノ&チェロピース おくりびと


東北人の血を引く私(宮城県人2世)には、山形の土地柄、
死者に備えられた食べ物の中に、玉こんにゃくがあったのを懐かしく感じ、
思わず「おたかぽっぽ」が、床の間や玄関に飾られていないかと探した。
納棺師に渡された志の中にある干し柿が、美味しそうに白い粉を吹いている。
私は知っている。食い千切らねばならぬほどの歯ごたえがあることを。


かつて祖父母が日に当て寒風に晒した干し柿を、送ってくれたことを思い出す。
トラック宅急便が無かった頃、鉄道貨物の頃の木箱に入った新米や、
籾殻に埋もれた林檎と共に、遠く離れた大阪で暮らす娘や孫への
心尽くしの手作りおやつ。干し柿の甘みは40年前はまだ貴重品。
ケーキやドーナツ、それは非日常のお菓子。
せいぜい「当てもん屋」の駄菓子が日常のおやつだった頃。
干し柿・・・しばらく口にしていないが。
既製品の干し柿なんぞ買いたくもない。
映画の端々、ちょっとした小道具にも触発される思い出。


曽祖父、祖父を土葬で見送った私だが、その間、15年余りの時間差。
二人とも土葬。家から墓地まで寝棺ではなく座位で樽に座らせて運んでいった。
幼稚園の時の曽祖父の臨終の床は自宅。老衰で大往生だった。
医者がペンライトで目をひっくり返してみていた。
「○時○分、ご臨終です」の声をみんなで聞いた。
納棺師は来たのだろうか。子供は部屋を出るように言われ、何も記憶に無い。
入るのを許された時、既に白い死に装束だった祖父。
三角の布を頭に付け、胸元に銭を散らし、三途の川を渡っていった曽祖父。


機械に繋がれ、最後は心臓マッサージをして貰ってまで、
親族が着くまで無理やり病院で生かされていた祖父。
危篤になってから、みんなが集まるまで苦しい思いでいただろう。
病院で清められ、自宅に運ばれ、それから曽祖父と同じように寝かされた。
大学生だった私はひたすら掃除をし、客を招けるようにした。
祖母はひたすら泣いていた。やはりご近所が集まり、飾りを仕立てた。
遺族である私達は玄関から出入りできず、縁側から上がったり降りたり。
葬礼の行列に加わる時、鋏を入れない手で引き裂いた白い布を頭に被り、
近所の人々が手作りで作った飾り花を先頭に、鳴り物入りで歩いていった。


映画の中の場面と、曽祖父や祖父の葬式の有様が交錯した。
祖母の死に目に会うことはできなかった。
祖父に遅れること20年、土葬ではなく焼き場に運ぶ葬儀。
幼い頃見た巨大な落とし穴のような穴の中に、木の樽が納められるのを
再び見ることは無いのだと、様変わりした田舎の葬儀を見ながら思った。
冠婚葬祭でもなければ訪れることも無い、わがルーツの地。
映画の中の季節の移り変わりと共に、山や川が映る度に、
両親が懐かしがる蔵王山阿武隈川を思った。


主人公のチェロへの思いよりも、記憶に無い父を憎む苦々しさが
河原で石文になる石を探している様子が記憶に残った。
(石文に思いを託す場面で『おじゃる丸』のカズマを連想したが)
音楽で彩られた作品と強調されていたが、どちらかというと、
現代版『セロ引きのゴーシュ』と見立てた方がいいのではないか。
下手なチェロが様々な訪問客の要望に応えているうちに上達するように、
主人公は様々な死に様・生き様、生と死を司る納棺の場に立ち会うことで、
人間として成長し、自分を捨てた父を許すことができるようになる。
その時こそ、命が受け継がれ、失われた関係性は再び蘇る。
子が父となり、妻が子を宿すことで親子として再生する。


古来、石を抱かせて死者を葬る習慣があった。
それが亡き人への思いを込めた石文であったのか、
子宮に再び宿り再生することを願う呪術であったのか。
身の回りのものを添え、花を手向け、思い思いに別れの口付け。
山形の雛飾りの様子を背景に、お爺ちゃんに最後のお別れをする、
ユーモラスな、女正月の延長線上にあるような場面。
感謝を込めた別れの場面と納棺。


逆に、蓮っ葉なご遺体―バイク事故で亡くなった娘を挟み、
在りし日の娘の面影を求めて詰め寄る母、彼女の子育てを非難する父、
間に物言わぬ娘の骸。夫婦の諍いをなじる娘の友人である不良仲間。
恐らく暴走行為の果て、命の償いをどうするのかと問う場面。
修羅場をただ鏡のように写し出すかのごとく、その場に居合わせる納棺師。


オープニングのエピソードも含めて、現代の家族のあり方や関係性、
男女の機微、夫婦の温度差、世代の断絶、現代の抱える問題、
そして「納棺師」という仕事に対する偏見。
主人公を出奔した父の代わりに、職業人として、第二の父として存在する渋い役。
山崎努の演じる『納棺師』。老獪でかつ飄々恬淡とした味わいを持つ。
生きることは他の生物の命を貰って、ある意味奪って生きている。
つまり、食とはそういうものだ。命を維持するとはどういうことか。
困ったことに、どうしようもないことに、食べなければ生きられない。
食の持つ祝祭的な側面、実際はグロテスクな場面を挿入しながら、
物語は様々なエピソードを絡ませて進む。


親子の不和に悩む、吉行和子演じる銭湯のおばちゃんが、
「倒れて後止む」生き方を貫いて守った、薪で炊くお風呂。
火を炊いていた人間が、死んで燃やされる側になる。
火と水で行われる清めの儀式の場、禊の場の守り神が身罷る。
焼き場の職員は、戦友を見送る優しさで佇み、火を入れる。
「お疲れ様、また会おうな」と呟いて。
おくりびとおくりびとに続くおくりびと、おくられびと。
命を送る、命を送られる、命を贈る人、命を贈られる人、
命を送る火と、送り火と、おくり人。


死に顔を整えて、瞼の父を蘇らせる。記憶に無い父の顔を。
自分の父親であるたった一つの証拠、石文を妻に手渡す。
妻のおなかの子供と共に、父を見送る。
母を見送ることができなかった息子が、
夫を見送ることのできなかった母の分まで。
おなかの子供は母親の丸い子宮の中、まあるくなっている。
会うことも無い祖父からの思いを、石文を通じて受け取る孫。


命を送る、思いを送る、旅立つのは命だけではなく、人の思い。
ただ、それは一人だけでは支え切れないから、
「納棺師」を必要とする。プロの技を。
今、現代では葬ることに関わることがタブー視されがちだから、
ビジュアルに描くことで、認識を新たにしようとする試み。
そういう映画に仕立てられていた『おくりびと
クレジットの美しい所作を見ていると、エキゾチックな儀式が
似合う俳優だと思えて、昔の印象が払拭できた、もっくん。
・・・いや、久々に堪能した邦画でした。

いしぶみ

いしぶみ

納棺夫日記 (文春文庫)

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死体とご遺体 夫婦湯灌師と4000体の出会い (平凡社新書)

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