Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

雁書−雁の夢

今朝方の夢は、妙にくっきりしていた。
なのに背景は夜で薄暗い。どちらかというと闇だ。
何故なら、夜空を飛ぶ雁の群れを眺めている夢だったから。
夢の前後はわからない。
夢にストーリーがあったのかどうかさえも。


神社のある山の頂を眺めていた。
頂まではかなり急だが、まっすぐ一直線に参道が伸びている。
その急な坂道を登ることはかなり困難だろう。
その山の全貌を眺められるほど離れた場所から、
私はほぼ二等辺三角形に見える山と神社を眺めていた。


気が付けば星の光があるのか、月の明かりがあるのか、
薄明の空の彼方を、幾つもの雁の群れが飛んでゆく。
まるで、この山の頂、神社が集合場所かのように、
次々に群れが飛んできては、去って行く。
祠の上で旋回しているのか、土地神に挨拶しているのか。


この暗闇の中で、目の悪い私が一羽一羽の飛ぶ姿を
小さな黒い点として見ているということが、不思議。
夢の中でも眼鏡を掛けて見ているのだろうか。
それとも夢の中だから、裸眼で見ているのだろうか。
遥けき景色を仰ぎ見る、眺め透かす目があるのが不思議。


雁の群れは次々に飛んで行く。
これを渡りと言うのだろうか。
大阪の空で見ることはない、この雁の渡りを
一体私は、この壮大な空の景色、あまたの鳥を、
どこで記憶した画像から夢に送っているのだろう。


何かしら神域の前で佇む心境、
夢らしからぬ夢の世界で、私はひたすら雁を眺め、追う。
いずこの空に飛ぶ雁か、夢の世界で夢の空で舞う雁よ。
心あらば伝えてよ、心あらば伝えてよ。
私の思いを・・・、私の思いを・・・?

李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫)

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山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

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いつもと同じ朝。目が覚める。やたらはっきりした夢。
雁が群れ飛ぶ山頂、祠のある霊妙な佇まいの神社。
見上げただけだが、あの山頂の神社の景色は徳島時代に詣でた、
いくつかの神社の思い出が蘇ってきたのだろう。
そう、秋祭りの時期、鄙びた祭りを追って過ごした時期があった。
あれからもう、10年以上も経つ。
当時化粧を施され、神の子として神輿に乗った男の子達は、
たくましい青年に成長していることだろう。


農村の秋は私の目には珍しく、めだかが泳ぐ川、
一軒一軒門付けをして祝儀を貰って歩く、
鳴り物入りの行列。吹き渡る秋の風。
全てが、ものめずらしく、すがすがしく、
心洗われるような新鮮な景色だった、徳島の秋。


あれは佐那河内の祭り。
家人と初めて出かけた祭りの場所だ。
そういえば、出会って初めてドライブした。
獅子舞も、笛の音も、稲穂の色の向こうに霞んで、
思い出は遥か彼方、ぼんやりとした景色。
徳島の空を雁は飛んでいたのだろうか。
私の記憶の中の雁が空を舞う景色は、その当時のものだろうか。
でも、何故、夜の渡り。何故雁の夢。


あれは津の峰の神社。ここの神主さんが娘の為に山から降りて来て
黒土の小苗八幡神社でお宮参りを済ませたのだった。
産休育休を過ごした日々、土地神様に守ってもらえるように
夫婦二人で朝早くから。秋も深まってきた頃。
春、桜の名所の津の峰の神社に娘を連れてドライブした。
夢の中の山頂の神社は、ここだっただろうか。


              


この季節、雁と言えば思い出すのは雁書の話。
漢書・蘇部伝』の故事。
匈奴に囚われていた漢の蘇武が雁の足に手紙を結んで放し
漢帝に消息を伝えたという話。と同時に、不遇な李陵と、
彼を弁護したために宮刑にあった司馬遷を連想する。
昔々の高校1・2年生、古典の時間3時間のうち1時間が漢文。
確かその時に習ったような・・・。


それから、中島敦の『山月記』『李陵』の世界。
2年生の時に習った格調高い『山月記』の文章。
更に踏み込んで世界史の東洋史の中の古代中国の出来事。
古典と歴史がリンクして楽しめた時代の思い出が蘇る。
漢文の語調の小気味よい響きに、異国めいたものを感じた頃。


雁が手紙を、自分の忠誠を、真心を、信念を、
自分の思いの丈を運んでくれるというのなら、どんな手紙を託そうか。
今の時代、雁よりも早く蜘蛛の巣が張られる世の中。
雁の玉章(たまずさ)を書こうにも読もうにも、手元不如意。
電脳玉手箱は字の大きさを自在に変えられるとしても、
普段の生活で少しずつ支障が出始めて来て、心許ない日々。


雁書を飛ばすことは出来なくても、私は心に思い描く。
異国で子育てをしているお母さん達を。今からお母さんになる人を。
カメラ片手に美しい日本の景色、感性鋭き映像を見せてくれる人々を。
ユダヤの新年を祝い、猫と暮らす人を。
南半球だったり北半球だったり、あちこちの「かーちゃん」を。


人の体と心、家族の在り方、緊急事態に向かい合い、
救急に、麻酔に、手術に、そして日々の診療と看護、
医療と医学の間で戦い、傷つきながらも
良き父、良き母、よき連れ合いたらんと思いつつ、
一歩前へ出る仕事に打ち込む人々を。


書を愛し、料理にいそしみ、土から器を創り上げ、絵付けをし、
イラストを描き、教壇に立ち、雑誌を作り、実験や検査、
学生から社会人へ、研修生から一人前へ、
独り立ちをして姿をフェイドアウトさせた人、
鮮やかに蘇ってきた人、
多くを語らず、集いの場から身を引いて行こうとする人。
様々な人が、蜘蛛の巣の上に点滅する露の玉のように光り輝く。


私の雁書の行方を知ることはないけれど、
誰かがどこかで繋がっているかもしれないと思いながら、
心の中で雁を飛ばし続けるのだ。
自分の手の内から、遥かなる薄明の空へ。
そんな思いを、知っているかのようにシンクロ? 


こちらの『季節の窓』の写真を眺めて下さい。http://namiheiii.exblog.jp/7537758/


この日私は夢の中で雁を見送り、
読書用眼鏡の処方箋を持って、行きつけの眼鏡屋へ出向いた。
読書の秋に向けて。

スノーグース (新潮文庫)

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スノー・グース

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