Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

追悼 吉田直哉 

昨夜遅く灘の酒蔵から帰って来た。真っ暗な庭には、
いつの間にか金木犀が匂っている。足掛け2泊3日空けただけで、
田舎の都会の庭は、季節にふさわしい演出で迎えてくれたのだった。
闇の中の香りほど、花の存在を意識させてくれるものはない。
見ること触れること叶わずとも、確かな存在を印象付ける香り。


馥郁とした日本酒を口に含み、無機質な青銅器の文様に向かい合い、
鄙びた色合い、複雑極まりないない文様、連綿と続くメッセージを感じさせる絨毯。
私の中に思春期以前から刻み込まれた思い、潜む異国への憧れ、憧憬。
文学全集や百科事典が意味の有る存在として書斎兼応接間、
お茶の間に置かれていたような時代、教養主義の名残りかすかな時代、
私は鮮やかな映像と心に響く語り口、文章に出会う。


『未来への遺産』はその遺跡を象徴とする女性が佇む中、
哲学的な示唆に富む文章と重々しい語り口で、
古(いにしえ)の人の営みを、生業(なりわい)の片鱗を、
様々な交流の形、覇権闘争、宗教・信心、神なるもの聖なるものを、
古代と現代の接点を解き明かしていく番組。
ドキュメンタリーでもなく、単なる歴史番組でもない、
その映像の美しさと切り口、音楽の斬新さに心奪われた。


白黒のテレビが中一の頃やっとカラーになった。
中学から高校に掛けて、「ステージ101」で外国の音楽に触れた。
SFやファンタジーと同時にキルケゴールショーペンハウエル
ロマン・ロラン亀井勝一郎を齧り、福永武彦を読む高校時代。
背伸びしつつも、純粋に形而上学的なものに憧れ、やみくもな憧れ、
どうしていいかわからぬまま、歴史はタイムトラベル・ストーリー。
哲学はロマンチックな言語遊び、色彩と形はダリやフォロン、
ポール・デルボー、ロバート・キャパ
音楽はハード・ロックプログレッシブ。


そんな時代の私を、遥かなる高みへ連れて行こうとしたもの。
ブラウン管の向こうから、ある種のカリスマ的志向性を備えて、
遥か彼方から来たりて再び遥か彼方を目指すための、
一時の着地のように舞い降りてきた、心を揺さぶる映像、言葉、音楽。
それが、私にとっての『未来への遺産』だった。


幻影は佇む。私は遺跡の中に幻影と共に、溶け込んでしまいたいとさえ思った。
砂漠の砂の一粒に、焼け付く太陽に滴り落ちる汗の一滴に、
雲間からきらめき伸びるレンブラント・ライトの一筋に・・・。
奇岩そびえる景色、大河流れる川べり、コーランの流れる街中、
きりりと華やかな早乙女の植える田んぼの一枚に、
織られる絨毯の模様の中に、ありとあらゆる景色の中に、
連綿と受け継がれてきた人間の歴史を、私自身を垣間見た。


自分を何に投影するか、自分が何に憧れ、心揺さぶられ、こうべを垂れるか。
自然に対する畏怖と同様に、人工物である遺跡に対する畏怖と敬意、
神秘と静謐、通俗と躍動、諦観と欲望の狭間、往還を、
心の中に問いかけられるように、未来へ続く自分の生をどのシーン、
どの場面にちりばめることが美しいのか、考えた。考えさせられた。
答えが出るはずもない問いを目の前に突きつけられ。


自分を限る「枠組み」を持たない若さを有していたあの頃、
限界や限度、そういうものを軽やかに飛び越えて、
何かが私の心に迫ってくる。
うまくは言えない


ただ、私が学問の場を離れ、専門家という求道者になり得なかった今も、
文学・美学・哲学音楽、芸術の分野は勿論、歴史や地理、民俗学、宗教学、
心理学に至るまで知的な好奇心を維持していられる基礎体力を築いた師匠は、
『未来への遺産』を通じで語られた、メッセージそのものだったと言える。
そういう意味で、ありがとう、吉田直哉


会うこと語ること叶わずとも、心の中に存在した人。
その著作を読み漁るわけでもなく、教えを請うたこともないけれど、
忘れられない人として記憶されていた人。
そして、父と同じ年、親世代の人。
単身赴任の企業人だった父が側にいない思春期、
親世代を代表する一人として、
映像を通してひたすら次の世代にメッセージを送り続けた人。


私の感性にとって、『未来への遺産』の映像や言葉が彼の全て。
『樅の樹は残った』のドラマも凄かった(らしい)けれど、
私が影響を受けるには幼すぎて、冒頭の能面のシーンしか思い出せない。
ポロロッカ』の映像は、迫力的なドキュメンタリーの印象しかない。
吉田直哉は大学の教授でもなく、物書きでもなく、ひたすら吉田直哉
私の心の中には、『未来への遺産』の吉田直哉しかいない。
NHK放送開始50周年記念特別番組の『未来への遺産』の。
その彼の訃報を今日知った。


偶然だったのだろうか、私が昨日、白鶴美術館で絨毯の前に立ったのは。
『未来への遺産』には、絨毯に関して忘れられないシーンがある。
記憶に刻まれた言葉がある。私の心を今も揺さぶり続ける言葉が。
久しぶりに本棚の奥から、探し出してきた『未来への遺産』第2集
「誰がどんな情念で」の巻、「アラベスク幻想曲―イラン」の場面、
番組で流れたナレーションを抜粋し、
吉田直哉への追悼の言葉として掲げたい。

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(前略)


オリエントで生まれ、サラセンで育った植物文様は、
シルクロードを越えて日本まで遠い旅をした。
日本では遠い異国への憧れをこめて、「唐草文様」と名づけられた。
遥かな時間と空間の中での、美しいイメージの交錯である。
今イランは、イスラム教の中ではっきりとした別派を作っている。
ほかの中近東の国ではほとんど黒一色である女性のチャドルが、
ここではカラフルで様々な文様に満ちている。


黒に見えるが、小紋のように凝ったチャドル。


イスファハンの町の建物の壁面も、華麗な装飾で覆われている。
まるでじゅうたんを壁に掛けたようだ。
事実遊牧民にとってじゅうたんは壁掛けで天蓋で、あらゆる家具であった。
ここはペルシャじゅうたんの本場なのである。


中学を出たばかりの、十五、六の少女が、図面もなしに
驚くべき速さでじゅうたんを織っていく。
この少女は、体全体であの複雑な文様を知っている。
これが伝統というものの不思議さなのであろう。


ペルシャじゅうたんの文様は、人生の迷路の縮図だ。
 床に敷かれたじゅうたんを体でたどることによって、
 人は世界に触れるのだ」と言った人がある。
確かにペルシャじゅうたんに展開されるアラベスクは、
われわれの生の世界そのものであり、
曼荼羅」の宇宙像のようなものなのかもしれない。


リルケが書いた「マルテの手記」の主人公は、少年のころ、
精巧な美しい文様に見とれて、母に「こんな美しいものを織った人は、
きっと天国に行っているでしょうね」と尋ねる。母は答えた。
「これを織った人は、この中でそのまま 天国にいるのよ」                リルケ「マルテの手記より」


マルテ・ラウリス・ブリッゲの手記

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