Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

勉強三昧?

夜にアップしようなどと思っていたら、突発で色々あって朝。
おまけに内部モンスターから受けたダメージが、徐々にボディブロー?
前回、春は無理して仕事した挙句2週間後に入院となった。
憩室炎再発してほしくないものの、ストレス後から続く痛みが、
今夜は眠れないほど復活。嫌な予感と共に、夜を過ごして明け方です。
でも、忘れないためにも書き留めておく程度にでも、書いておこう。
何かしていた方が気が紛れる。痛みも。
という訳で、事実内容メモではなくて、感想。


午後は研修三昧、勉強三昧。ただ、やや受身な自分が悲しい。
今日は、現場を別の目から眺めたいという気持ちが一番。
「専門家」ではないからこそ、どのように語られているのか知りたい。
国から補助、府が企画する性教育を学ぶ場に臨めば、
これが医療関係者のレポートを最初に聞いたせいか、
保健学習絡みのせいか、ある意味WYSHとは対極にある感じ。


知と情のバランスの取れた、どちらかというと心を育てる観点、
情操教育にも通じる、感性を育てる、情から知に働きかける、
その内面の変化を重要視するWISHの性教育とは異なり、
知的な情報を与えることによって、抑制力を持たせようという側面、
半ば脅しにも似た迫力のある情報提供によって現実を知らしめ、
時代が直面するリスクを児童・生徒に肩代わりさせるかの感が強い、
本日の内容に、お上の意向、人権に関するの咀嚼の程度が知られる。


情報の与え方というのは諸刃の剣だ。
知識があっても、使いこなせるかどうかということは、別問題。
強制的な「禁止令発動」は、禁酒法アメリカ然りで、
隠れてこそこそ、やばいことをスリルで楽しむ反発や反動が強い。
だからこそ、隠さずごまかさず伝えて理解させる、
向き合う力が要求されるのだが、現実はごく一部の危機感だということ。


性教育の難しさは、大人が逃げるところにある。
専門家に一任、教育に期待などと追従めいて、ほざく。
現代社会の問題と摩り替えて、目を向けないところにある。
医療関係者が「悲惨な例を見て来ているので」と、
現在のSTI性感染症)の恐ろしさを、かつての結核になぞらえて、
社会への影響の大きさを具体的に、医療費の面からも、
倫理的な側面からも訴えても、教育の現場には還元しにくい実情が、
頑として横たわっていることを感じた。


仕事から離れて、一人の母としてパネリストの発表を聞けば、
教育の現場なんて当てにならないと思わざるを得ない。
養護教諭性教育を小学生に行う時間は、小4対象に僅か3、4時間。
男女の性差から初潮・精通に至る知的なフォローアップは、
それで終わり。小学校時代にたったこれだけ?!
実際に目に見える形で性差がはっきりしてくる小5・6年生は?
道徳その他の授業内で、どんなふうにフォローしているのだろう?
保健指導ってそれだけでいいの?


道理で電話相談は小学校4年ぐらいから、小5ではどんどん掛かってくるわけだ。
知りたいわかりたい不安が募る時期、小学校側のフォロー体制は
親が思っている以上に手薄なのだから。後は全て個別で対応・処理なのか?
児童数が1000人弱のマンモス校に通う、娘のことを思うと眩暈がする。
現在小3の娘が思春期を迎えるに当たり、今後どのように対応されるのか。
母親サイドだけに立って、狭い了見から見れば、
医療関係者と教育現場の発表を聞きながら、唖然暗澹たる思いがする。

思春期の性-いま、何を、どう伝えるか

思春期の性-いま、何を、どう伝えるか

イラスト版 10歳からの性教育―子どもとマスターする51の性のしくみと命のだいじ

イラスト版 10歳からの性教育―子どもとマスターする51の性のしくみと命のだいじ


パワーポイントを駆使して説明される様々な取り組み。
納得させられるものもあれば、これでは・・・と思わされるものも。
比較検討できるから、勉強する意味があるのだろう。
医療サイドの子供にもわかる内容、中・高生は同じ内容で対応。
大阪の子供は「HIV治療の費用生涯40年間服薬試算は1億円」に
よく反応するという話に、笑っていいのか駄目なのか。
クイズ形式で色々工夫されて、印象に残るように話されているのだろう。
でも、教育の現場でもこういう情報は一般の教師は知らない。
生徒に下ろす以前に、一般の教員・行政職にも下ろす内容。


児童生徒の身近に居るはずの教員は、締め付けがきつくなる一方、
様々なことを受け入れ学び研修する時間がない。
新任研修で教科内容や支援学校との連携などとうるさく言われる一方、
人権教育や道徳的な内容を俯瞰して学ぶ研修は、実質行われていない。
大学時代、生涯教育の重要性というレポートを20枚ほど書かされた思い出があるが、
生涯教育の中身で、専門性を高める云々のグレーゾーンとも言うべき、
社会との関わり、実生活に還元すべき内容は学習指導・受験指導には関係ないと
教育の現場ではそぎ落とされているのが現状。
学年が進むにつれて、その傾向が強いのだ。


余程意識のある教員が先頭を切って企画するのならばともかく、
その流れを受け継ぐ教員が居なくなれば、その学校での指導体制は消える。
性教育も、様々な問題を内包する人権教育も形骸化した年間指導、
視聴覚教材か講演形式で「見せておしまい、聞かせておしまい」で、
担任が丁寧にフォローアップする度合いは、減る一方。
現実に対処する理性・思考力・情緒が学校でも家庭でも育てられない反面、
情報は過多なので、リスクに対する抑止力・精神力を持てない。
発表を聞けば聞くほど、その思いが強くなる。


医療関係者は語る。ABCを。
A(結婚まで禁欲)、B(一人の相手に誠実)、C(セックスするならコンドーム)。
仮に教えたとしても、そのABCを習ったかどうか意識さえしてしない、
既に経験だけは一杯持っている「体大人心子供」の中高生を、
日々相手にせざるを得ない現場にとっては・・・。
既に日常生活のコミュニケーションとして、性交渉を持っている生徒の
精神的なケアを含めた、身体的なケアへのアプローチが必要。
後手後手と廻っているのに、見当違いの目隠しなんぞ。



そしてもっとも当事者である中高生にとって、
「性交渉は(自立で来ていない間)持たないことがベスト」なんて言葉、
耳から入っていくはずがないのだ。人は聞きたい言葉しか聞かない。
自己肯定感が低く、自信喪失し不安感の強い人間が、
自分の存在を確かめる手っ取り早い手段として、
自分の体をで試す、確かめるという行動に出るのだから。
誰かと繋がっていると、安心したいが為に。


夜19時から21時まで、久しぶりにリスニングトレーニング。
午後のハードな時間を終えて来ると、細やかで安らかな、
肩から力みが消えていくような感じさえする。
数多く飛び交う質問、その場になってみなければ
わからないことが多いのに、本質的なシミュレーションではなく、
マニュアル化した答えを貰う事に必死になっている、若いメンバー。
そんなやりとりにさえも、「前向き」と感じて、
そういう「力み」は、もはや抜けたなあと意識する私。
年を取ったのか、疲れただけなのか。
多少は成熟の域に入ったのか。(笑)
学びつつ、肩の力が抜けた今日。
楽しくも、やるせない。


性のこと、わが子と話せますか? (集英社新書)

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愛と性の尊厳

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