Festina Lente2

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一枚の広告、一つの言葉から

NPO法人からジェンダーに関して講義を聞く。
漫画や雑誌の中に取り上げられた性の在りように影響され、
いかに児童生徒が誤った概念・知識・性役割を刷り込まれていくか。
シビアでハードで哀しい内容。みんな何となくやり過ごしてきているけれど、
メディアリテラシー、つまり、情報を読み取る力が無ければ、
子供に限らず、大人だってとんでもない方向へ行ってしまう。
大人だから大丈夫、刷り込まれていない、取り込まれていないなんてことはない。
気付いて振り返って、考え直すのがしんどいから逃げる人も多い。


実はここに来る前、ラジオで別のニュースも聞いていた。
日本の子供達、青少年は既に知的難民と言ってもいいくらい、学力が低い。
学力が、という言い方には御幣があるかもしれない。
考える力、読み解く力、想像力が乏しいといった方がいいだろう。
ゲームのように直感で答が出なければ、それ以上努力はしない。
条件反射のように覚えて、その先に何があるか、
生活の中でどのように影響するか、考えようともしない。


世界的な水準やアンケート、調査から浮かび上がってきたもの。
理数系を担当する日本の教師の授業内容も最低らしい。
知識は教えても実生活の中での応用を教える度合いは最低。
点を取る授業しかしていないのが日本の教師だそう。
だから、理数系を好きになる子供が少なく、実力も付かず、
世界的に見ても能力が伸びないのが日本の子供。


受験教育の弊害というよりも、マークシート式試験で育った教師が、
自分の受けた教育内容以上の事を教えられるかどうか。
正しい解答を見つけ出すのではなく、最終的には矛盾を突いて、
消去法で黒く塗りつぶして答を見つけるんだから。
正しく考えているわけじゃない、仮説を立てるわけでもない。
消していくだけ。気に入らないものを選択肢から消すように。
自分に属するか、属さないか。曖昧なものを許さず、
単純な好悪の感情で処理する、未熟な世界。
それが、ジェンダーにも反映しているんだろうと思う。


適正なメディアリテラシー教育以前の段階で、家庭内で刷り込まれ、
俗悪な内容の漫画や雑誌で刷り込まれ、縦割り社会を経験しない、
横つながりでゲーム感覚的な交友関係。
相手を尊重する以前に、リセットした方が早いから、
自分が見切られる前に見切った方が勝利感が強いから、
自己否定感が強い自分を意識する前に、攻撃は最大の防御。
自分は悪くない、周囲が悪いと攻め立てる。


子供達の語威力は乏しい。情報ネットワークは正しい情報を手に入れるのではなく、
ゲーム感覚の暇つぶしに費やされる。してもしなくてもいい会話だけの応酬に。
昔のように、直接友人と語り合って「だべる」その共有する時間が楽しいのではなく、
相手の顔色も表情も見ることなく、一方的にメールを送りあって、
意思の疎通を図っているかのごとく錯覚して、メル友にのめりこむ。
バーチャルな関係に振り回されている。
そんな世代に、人権・共生のメディアリテラシー。前途多難だ。

加害者は変われるか?―DVと虐待をみつめながら

加害者は変われるか?―DVと虐待をみつめながら


便利なツールであったはずのものが、心を癒す読み物であったものが、
誤った情報を流し、歪んだ認知を形作る。
イメージは刷り込まれ、自分が望むものも相手が望むものを反映、
それは既に作られたイメージで刷り込まれたもの。
自分自身を貶めていることに気付かぬまま、相手を受け入れることが最良、
受容的で心が広く、穏やかだと思わされているのと似ている。


とあるアンケート調査結果を見せてもらう。(異性愛を前提)
中高生の女子、異性から「期待されたくないこと」。
そこで目立つのは「決断力」「お金(経済力)」
自分の好みを出さず、相手好みであわせ、自分で払わずおごってもらう。
それが相手である男子の「男らしさ」を引き立てることになるからだとか。
21世紀にしてこれか!?
いまだに自分の意思を持たずに経済的に寄りかかることが、女の生き方?
一体どこでどんなふうに刷り込まれてきて、15年間?


今日話題になっていたデートDVは、私が子どもの頃聞いたことは無かった。
DVの中身に含まれるのは、携帯のメールをチェック、
しゃべっている相手の写メを送れなど、まあ最近の束縛の内容は時代の鏡。
「所有」と「支配」の違い、「愛する」と「守る」の違い、
「飼う」とは何か。被害者とは、加害者とは・・・。
言葉一つとっても、広告1枚とっても至る所で刷り込み。
巧妙なイメージ戦略。言われるまでなるほどなあと思うことも、
今まで感じていたことが明確になることも。


親として思う。娘よ。なかなか君の成長していく時代は大変だ。
かーちゃんだって色んなバイアスが掛かっているから、偉そうには言えない。
でも、少なくとも性役割や、性的指向で必要以上に苦しまなくてもいいよう、
傷つかなくてもいいよう、かーちゃんは考えなくてはならない。
自分のことも含めて。仕事のことも含めて。
「嫌だ」とはっきり言えること。それなどんな場面、どんな時に。
算数や理科のテスト以外にも、考えなくてはいけないことは一杯だね。


時々、そんなことは考えなくてもいい。枠の中にさえいればいいという人もいる。
枠は何のためにあるか考えさせずに、枠の中にいることだけを強調する人も。
基準・標準・平均・多数・少数…、何が正解で何が不正解なのか、
どこまでが正しくて、どこからがおかしいのか。
そう、物事はデジタルではないんだよ。限りなくアナログで、
ペーパークロマトグラフィーな世界で、色んなものが交じり合って滲んでいる。
その中で君はどんなふうに物事を見ていくのか。


かーちゃんは、次の時代を生きる君のためにも、
まだまだ学び続ける事をやめるわけにはいかない。
知らないことが多すぎるから。
かーちゃんの年になってもね。

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