Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

月夜の通夜

大学時代からの親友の父上が身罷られ、通夜に出向いた。
家庭内での不慮の事故、救命措置を経て苦しい時期を過ごし、
自らの誕生日に旅立たれた。喜寿を迎えた朝だった。
翌日、囲碁仲間の住職の寺に迎えられ通夜となったのだ。
出張研修を終え、黒っぽい平服のまま向かうと、
駅から4、5分だというのに、閑静で小さな寺での、
アットホームな通夜の席だった。


今日は月夜で風もなく、昼間の暖かさが残り、いい日。
講話はわかり易く、人はみな自力半分他力半分で往生を遂げる。
自力だけでは無理なので、平安時代以降の仏像は、
坐像から立像になり、衆生に近付いて極楽浄土へ導こうとしている。
そんな話だった。そして、故人には囲碁ではなかなか勝てなかったこと、
さす相手もいなくなり、これを機にやめようかと思うなどと、
個人的なかんがいも話されていた。


退職して20年ほど経っていても、子供の仕事関係よりも、
友人知り合いご近所の方が多く見えられる通夜の景色。
久しぶりではないだろうか・・・。
自分の地元に知り合いの少ない私は、やや動揺しながら、
この風景を眺めている。
焼香を済ませて、みなが帰った後、友人と共にお別れをした。
気管切開の跡のガーゼのテープが痛々しかったが、
笑っているような穏やかな顔だった。
剣菱とニッカのウイスキーが供えられていて。

バッハ:ミサ曲ロ短調(全曲)

バッハ:ミサ曲ロ短調(全曲)

パリ・ノートル・ダム楽派の音楽とランス大聖堂の音楽

パリ・ノートル・ダム楽派の音楽とランス大聖堂の音楽


通夜の宴席にほんの少し御呼ばれして、友人の話を聞いた。
ビールもお酒もおつまみも沢山買い込んでいたのだという。
普段からの晩酌も、色々飲まれていたそうだ。
父親が倒れてからこの日まで、一滴も飲まずに過ごした友人。
親戚縁者が集ってみれば、故人は一日遅れの誕生日をこの席で
自らが用意した酒とつまみで祝ってもらって、旅立っていった。
そんな感じさえしたのだった。


女の子は父親に似るという。遺影を見ればまことにその通り。
性格も似ていただろう。
転勤転勤が相次ぎ、10以上もの年配の人間を部下として抱えている、
そんな娘の働き振りを見守りながらの隠居生活。
どんな思いで飲まれていただろうか。


父は私に碁を教えようとはしなかったのが残念だと、友人。
対戦相手にしたくはなかったのだろうか。
父は負けず嫌いだったから・・・。
そう、娘には負けたくなかったのかな。
いつまでも強い父でありたかったのかな。
親というものは、娘の前ではそうありたいだろう。
一人娘の前であれば、尚更。


訃報に接するたびに、経験値が上がる、この年代。この世代。
親友達と会うたびに、この年で集まる時って哀しいねと、
口に出していってしまう、私達。
お互いこういうことで大人になって行きたくないのに、
実際は世の中でまことしやかに言われているように、
親の死に接するまで「大人になる」なんてことは無い、
そういう物が人間の成長なら、誠に辛い成長だと思う。


娘にとっては父親というものは、母親と違って
乗り越えるべき同性ではなく、自分の男性像の雛形だから、
父親にとっては娘というものは、自分が愛した女性の若き姿だから、
どれほど大切に育てられてきたことだろうかと、
親となった自分は、親の想いに頭を垂れる。
いつも不肖の娘でしかないのだが。
それともいつも見守っていて欲しいから、不肖の娘であり続けたのか。
親が親でいられるように、心配を掛け続けてしまうのか・・・。
子供っぽく振舞ってしまうものなのか。


運転があるので、酒「解禁」となった友人に付き合えず、
そうそう長居も出来ぬまま、月夜の下を駅に向かった。
一人一人、私たちの世代を守ってきた人々が消えていく。
月影さやか、青い光の中に還って行ってしまう。
その師走の月に見守られ、年の瀬忙しくならないうちに、
身支度整えるように見守られて逝った方の、
潔い思いやりを感じながら、また私も父の娘であることを、
深く深く意識しながら帰途についた。

父―その死

父―その死

父でもなく、城山三郎でもなく

父でもなく、城山三郎でもなく

そうか、もう君はいないのか

そうか、もう君はいないのか