Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

自分一人の平安さえも

本日は山の神の祟りの話です。
自分の為に書いています。
楽しくない覚書です。

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

心の中はどうなってるの?―役立つ初期仏教法話〈5〉 (サンガ新書)

心の中はどうなってるの?―役立つ初期仏教法話〈5〉 (サンガ新書)

1週間遅れで三井寺展に出かける。明日で最終日という瀬戸際。
案の定、混んでいてゆっくり観ようにも、ちょっと・・・。
不本意ではあるが、秘仏の間から桃山時代の障壁画の部屋が駆け抜け。
落ち着いて眺めたい空間・時間だったのに。残念。
出かける気持ちが失せているのに、チケットを無駄にしたくないばかりに
歩き回るのは予想以上の消耗だ。
犬も食わない出来事は、怒りを通り越して淵となりぬの感。
お陰で、書いても書いても文章が消えて、これが3度目の正直。
山の神の祟りとしては、明らかに年越しで続く見込み。


天台密教の聖地、三井寺を守ってきた円珍こと智証大師は、
その信念に基づき不惑の年に入唐し、経典を学び携え帰朝すれど、
最終的に、宗教と政治の絡みから逃れることは出来なかっただろう。
兄弟子円仁の一派との諍い、下山、自らは寺門派、叡山側は山門派。
同じ仏弟子といえども、この有様、この体たらく。
その後、周囲が恐れる荒法師たちの諍いは、慈悲や平安からは程遠い。
主義主張が異なれば、諍いも大きく飛び火して事を左右する。
その比較からいえば、家庭内の諍いも燃え燻って然るべき。


悟りの境地も有難い教えも、鎮護国家の秘儀も誦経も役には経たぬ。
昔の嘆き、意のままにならぬものは、川の流れと賽の目と山法師。
許せないものは命を粗末にする者、命を有難いと思わぬ者、
時間を掛けて紡ぎ、積み上げてきた信頼関係を一気に欠く者。
加害者でありながら自覚がなく、被害者ぶる者。
そして家族の平安さえも守れない者。
仏の救法など、どこにもない。


数多の仏像・曼荼羅を眺めながらも心中は穏やかならず、
千手観音の腕さえも空しく見える。
千の世界を救うための千手観音、それよりも目の前の
たった一人のたった一つの国さえも、救えないからこその、
限りない願望を込められた彫像に、人間の欲望の業の深さを見る。
実際には42本の腕を刻まれた仏像。
一本の腕が救わねばならぬ責任を押し付けられた手の、虚しさよ。


本来ならば心躍るはずの美術鑑賞も、鬱々と暗く沈む。
文化財保護のための照明が薄暗いばかりではなく、
私の心がたそがれているのだ。
怒りと苛立ちと不信に満ちて。


密教曼荼羅といい来迎図といい、末法思想は救いを求める。
何十億年もの彼方、全てが消え去ってもおかしくない様な時の彼方。
それを未来というには遠すぎる。漠然としすぎる。
私達が知りたいのはもっと身近な未来、実現可能な未来、
他力本願の救いではなくて、自分で何とかできる範囲の、
夢が叶うと期待して生き続けていくための未来だ。


いつか来世で恵まれる、次の世で叶えられる、
そういう儚いものに願いを託すのではなくて、
今、この手で掴め、今、この足で踏みしめる事の出来る、
今、目にする事が出来、今、味わうことの出来る、
そういう未来を夢見て努力を続けて行きたいと願っているのだ。


ごまかして、流される事でどうにかこうにかやっていけるから、
そんな気持ちで最初からいい加減に物事を運んでしまったら、
土台のない家を建てているようなものだ。
傾いている床に気持ちよく座り続ける事など、できやしない。
それなのに、太く短く生きれば本望のように嘯き、
自分が招いた事態を省みもせず、
守るべき物を守ろうともせず、
寂しいだのしんどいだの、自分の事ばかり。


南無阿弥陀仏を一度でも唱えれば、極楽浄土などと吹き込む、
「善人往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」と改心を促し、
救いを信じさせる。どこまでも受身の信心と素直さを求めながら、
実際の宗教の中心は、常に政治的な背景と密接に絡んでいる。
なのに、ビジュアルな仏像は人の目を幻惑し、
何もかも捨てて帰依するように、仏にすがるように、
自分の行いを深く省みることなく、
なんてもチャラにして許される事を望んでいる、
自分勝手な、まことに身勝手な人間。


誰の心の中にもある弱い部分脆い部分をお互い支えあって、
許し、認め、その繰り返しの中で築かれる何かがあるという事を、
知っていても、欺かれ続けたり、裏切りや嘘で塗り固めて、
喉元過ぎれば熱さ忘れる行いを繰り返されると、
もう、何もかも放り出したくなる。
寄り添いくつろぐ事も、取り繕いの形にしか見えない。


穏やかな気持ちで生きて行きたい。
天は自ら助く者を助くというなら・・・。
生きてくれているだけでいいなどという、綺麗事は言わない。
今、私が欲しいのは「生きよう」とする事。
「やりすごそう」や「ごまかそう」は、いらない。
それで、「どうにか乗り切れる」と思っているなら、
自暴自棄に静かに巻き込まれて、不安に苛まれて行くのは嫌。


私は仏ではないので、許せないし救えない。
自分一人の平安さえも、もう守れていないのだから。
公開されれば秘仏ではないように、
日の下に晒されれば、失われていくものがあるのだから。

三井寺祈想

三井寺祈想

日本の秘仏 (コロナ・ブックス)

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