Festina Lente2

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お片付け

気分が落ち込んでいる時は難しいことはしない。
大きな決断はしない。単純な事を少しだけする。
目に見える結果が出せる事をする。
こうやって並べてみると、家事の大方はこの手のものではないか。
複雑なことはさておき、お片付け。


要らないか要るか悩むものの大半は、要らないことが多い。
でも、悩むのなら一応置いとく箱へ。
この状態でも明らかに要らないとわかるものは捨てる。
片付けたくないというよりも、
じっくりと目を通さないといけない書類は、脇へどけて置く。
緊急性が無いならば、焦ることは無い。
少し机の上が広くなったり、書類の山が減ったり、
シュレッダーのごみを一袋引きずってゴミ捨て場へ持って降りる。
すると、何となく単純労働で仕事をした気分にはならないか?


ずるするのは良くない、でも、どうせ要らないならと重ねていたものを、
書類止めに留めることなく、ホッチキスで綴じる事もなく、
山を崩しただけで捨てる。ほんの少しばかりの爽快感。
ゼムピンも針も使わないから、エコではない?
何故か机の中にはこんな物が? の発見の山。
あ、ここに大事にしまっておいたんだというものも。
大事にしまい過ぎるとわからなくなるんだよね。
家でもそう。職場でもそう。


今日はお片付けが大半。だって、もう仕事納め。
エロイカより愛を込めて』のエーベルバッハ少佐のように
「今日出来ることは今すぐに、明日出来ることでもやってしまいたい」と
思っていたけれど、もう、体も頭も付いていかない。
特に企画が上手く行った遣り甲斐・達成感を味わう間もなく、
足元からすくわれるような出来事が続くと、萎える。


だから、いつも同じ時間に同じ事をする、定期的なこと、
習慣となっている動作、慣例を着々とこなせるというのは、
・・・お仕着せではない必要性に基づいた無駄の無い行動で、
生産的な内容を時間を無駄にせず行えるということは、重要。
そういう「てきぱきさ」を持たない、のんべんだらりとした人間は、
年末に「しるし」程度のお片付けでお茶を濁すのが関の山。


職場でも家事と同じように、やり出したらきりが無いことは多く、
どこで手を打つかが、優先順位とバランス感覚との賜物。
それにしても、階下で室長が掃除機をかけている横で、
20代がきゃあきゃあ騒ぎながら、DSに打ち興じている。
面妖というか、不気味というか、何も通じないというか。
一体何しに来ているのかわからない20代。
若さは羨ましいが、不謹慎さは要らないなぁ。
今日が何の日かわかっていない温度差を感じる・・・。

気まぐれ「うつ」病―誤解される非定型うつ病 (ちくま新書)

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「私はうつ」と言いたがる人たち (PHP新書)

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片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術

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心の中を綺麗に片付けておくのと、机の上の綺麗さは似ているだろうか。
よく頭脳明晰な人のノートの美しさや机の上の整理整頓、
部屋の中の片付け具合が引き合いに出される。
でも、私自身は結構積み上げておく人だ。
整理整頓する部分と、積んでおく部分とは分かれるが。
何から何まで整理すると、どこに片付けたかわからなくなる。
基本的に物は同じ場所に置く。散らかっていてもいなくても、
場所が同じだから、発掘しやすい。(笑)


認知症が入って来た母を見ていると、どんなに新しい服でも寝具でも
片付けてしまう。昔からあったものを捨ててしまわない限り、
ぼろでも何でも繕って使おうとする。(殆ど使えない状態でも)
冬服を山のように出したかと思うと、しまってしまう。
そして次の日には着る物が無いと言う。
まだ冬服を出していなかったからと。


片付けると言い張って、缶詰めでも入れてしまう冷蔵庫。
肉を放り込んでしまう野菜室。空間を充填するように、
押し込めていく。ラップをかけずにビニール袋に入れる。
残り物がただの残飯と化してしまい、後から食べようという気分にならない。
それでも本人は「片付けている」と言い張る。


逆に私がありとあらゆる物を積み上げ、仕舞い込んでいるもの。
用途別の書類、曜日別に使うもの。同じ袋に入っている物は、
同じ日に使ったり買ったりしたもの。時系列順に並べて、
ある一定の時間が経てば、捨て、区分けし、仕舞い直す。
そのことに関わっている間は、全部セットにして袋に。
いちいち分けて仕舞ったりしない。


だから、空間充填型のお片付けが出来ない。
隙間に埋め込むようにきっちり入れて行けば、
見た目は綺麗かもしれないが、出し入れしにくい。
冷蔵庫じゃないんだから、仕事関係は・・・。
いつも使うものは定位置、しまわない。
見えるところに出しておく。私の「片付け」は
ある程度の空間、並べる場所、重ねるスペースが必要。


おそらく心や気持ちに関する事も、フォルダの中のフォルダに入れ込んで、
入れ子状態できっちりと仕舞っていると安心できるタイプの人と、
すぐに開けて見られる引き出しに仕舞って、
観たり触ったりして確認しないと苛々するように、
心の整理の付け方にも個人差が大きいのだと思う。


私は心の引き出しに仕舞うけれど、
箪笥の置くに箱に入れて仕舞う訳ではない。
引き出しは浅く、すばやく動くもので、
思い出の一つ一つは、すぐに手に取れるようになっている。
機能的にそういう構造になっている心の状態に、
傷が付いたりダメージが来ると、引き出しそのものは開けっ放しだ。
これが刺激過剰の状態になって、心の中が壊れた感じになるんだろう。


開けっ放しは良くない。中に入れて仕舞っていた物が傷む。
閉めたくても閉まらなくなる引き出しもある。
だから、見たくなくても開けっ放しになる引き出しもある。
記憶の引き出しは繊細に出来ている。
傷が付いてきしむような音がするようになると、
出し入れのたびに傷が付き、音がして、気になって仕方が無い。
立て付けが悪くなってきしむ引き出しの数々。


決まった空間に必要以上の物を入れないように、忘れるべきか。
捨てるべきか。空間充填型の入れ子状態にして厳重保管か。
鋼鉄の納戸を持たない私。脆い心、打たれ弱い心。
虫干し・風通し、昔ながらのお手入れが必要な箪笥の引き出し。
箪笥、長持ち、どの子が欲しい? 
欲しがって貰えない子供のように、拗ねた気持ちを持て余す。


片付けが必要。笑ってはじけて、隙間を作って。
重ねては駄目、ぎゅうぎゅう詰めも駄目。
すぐに容量オーバーになってしまうのだから、
心の中に持ち込んで、お持ち帰りを欲張っては駄目。
溜め込んでは駄目。仕舞い込んではなりませぬ。
目の前の書類の山を崩すたび、そっと自分に言い聞かす。


仕事納めがあるように、心納めもあって欲しい。
心の整理が付くように、仕事に区切りがあって欲しい。
そんな一日。夕方になるにつれ、冷え込みは厳しくなり、
小雨まで降ってきた。やれやれ。
今年最後の図書館通い。文字の大きな本を借りてきた。
それから「のだめ」の英語版も。
少しのんびり読んでみたい。
読みながら、静かに年越ししたい。
そんな気分の私です。

バイリンガル版 のだめカンタービレ〈2〉 (講談社バイリンガル・コミックス)

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