Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

亀岡の寺社に詣でて

温泉の朝の楽しみ。朝寝に上げ膳据え膳、そして朝湯。
小原しょうすけさんじゃないけれど、朝寝朝湯に朝酒、あ、いやいや。
朝っぱらから飲んでいるわけではありませんが。
朝酒はお正月まで取っておきたいと思います。
それにしても無粋な家人、朝湯にも入ろうとしない。やれやれ。
夫婦の間の小さな溝ってこんなもんです。


さて、日本の旅館の朝御飯。カレイの一夜干し、温泉卵、冷奴、海苔、
お漬物、お味噌汁にご飯。大広間の宴会場にはたった3組の夫婦のみ。
目的地に向かう前に温泉スタンドなるもの発見。温泉のお湯を買う場所。
しかし、よく効能書きを見てみると「適応症…、慢性消火器病」って!?
胃腸の病に悩む私としては、複雑な心境。

本日最初の訪問。通称明智寺、谷性寺。(こくしょうじ)
明智光秀首塚があるといういわく付きのお寺。季節が季節なら、
家紋の桔梗が咲き乱れるという鄙びた田舎の寺。
何故か首塚を祭る横に、恵比寿様が糸を垂れている…。
墓石に水を掛け、鐘を撞き、辺りを見渡せば造園業者が作った庭が。
ま、戦国時代を演出すつ遊び心といえましょう。

 
 

森林浴をしているような境内、冷気の中。
お隣のこの辺りの里の神社が、新年の装いも新たにすがすがしく、
神官の座椅子、神社のすだれ、日章旗なども真新しいものに替え、
注連縄、紙垂(しで)の準備怠り無く進んでいる様子。
裏手では古い注連縄・文書類など燃やす焚き火。
こうやって迎える新年の様子をよそ目に、次の目的地は・・・あれ?

 

天満宮と桜石(菫青石仮晶)というものを探したが、今1つわからない。
次なる目的地は稗田野神社。女性の病に効くと聞いたのだが、
最近は癌封じ・悪病封じ野神社で名高い。駐車場を見てみれば、
年末なのに京都ナンバーは無く、ほとんど県外。
折しも手術を受けるのでご加護云々の祈祷を受ける人が。
神社には玄関に飾る霊験あらたかな砂、蘇民将来の茅の輪ならぬ、
石の輪くぐり、霊水など、あれもこれもの世界。

 
 

身に積まされるものが無いでもないが、
そのせいで私達夫婦の間には、ひんやり冷たい風が・・・。
一蓮托生とは言うけれど、
背負う義理なくして背負わざるを得ない縁を担って、
憤懣やる方なき思いで生きている人間の修羅を見ようともせず、
のほほんと気楽に構える御仁の相手をし続けるのは、こちらがもたない。
短気は損気だとは言うけれど、何もかもこちらに預けるが如く
思い煩わぬ人に苛立ちを抑えきれない一触即発の思いは、
ちょっとしたお参りにも火花を放つ。

 

その神社の真横に、地元の名士、大石酒造の酒の館なるものが。
造り酒屋の資料館のマネキンは、そののんきな御仁の好きなTV番組、
探偵ナイトスクープ」で話題になったマネキン人形
濁り酒、新酒、酒呑童子(しゅてんどうじ)にまつわる「おにごろし」等、
地酒「翁鶴」の酒屋は手広く土産物屋を展開。
甘酒を飲んで一服。

 
 



神社の向かい、宮本屋で昼食。
おそらくこの神社に参拝する人はみな、ここで休憩、食事。
他に店はない。されど、おごる様子も無くこざっぱりした店内、
奥では注文御節の準備に忙しい様子。
お値段の割りに(1枚でおつりが)豪華な懐石料理風の定食。
何故、名前が「おばば定食」なのか? 大層美味でした。
見れば、松茸料理で有名な店らしい。まいうーで有名な人のサインも。



あっという間に昼下がり、次なる目的地は、亀岡の人々が初詣に行くという、
穴太寺(あなおうじ)西国観音霊場二十一番札所。
美しい庭園として名高い名園は季節柄閉じられていたが、諸病平癒の為、
参拝者が必ず全身撫で回して祈りを捧げる木造の釈迦涅槃像には
会う事叶い、お布団を捲って撫で撫で。そう、受付でお布団を捲って、
撫でてくださいねと言われたものの、多少の躊躇はあったのだが、
ご利益に預かれるのであれば、せっかくここまで来たのだし。


 

本堂の中は震え上がるほどの寒さ。
涅槃の寝姿の仏様は南国の地で暮らされたから、
この寒さに掛け布団一枚では足りなかろうと、心配になruくらい。
堂内は残念ながら写真厳禁。びんずるさんではあるまいし、
撫で回して治癒を祈る釈迦涅槃像というのは珍しい。


この鄙びた地域は曽我部町といって、丸山応挙生誕の地。
亀岡は明智光秀しか知らなかったが、今回、石田梅岩・丸山応挙・角倉了以
関係する歴史的な町として記憶にとどめた。
欲張ればもっとあちらこちら散策できたのかもしれないが、
どうやら家人は電池切れ、この山道をそのまま走って箕面から大阪へ。


あっという間の1時間余り。下界というか街中に戻れば、
味気ない、いつもの町並み。仲直りが出来たかといえば、そうそう、
隙間風の吹いている寒さは簡単には直らないけれど、
娘のいない時間を、綻びを縫うように薄皮を剥ぐように、
微妙な時間、何ともいえぬ旅の時間。

          

見たいこと知りたいこと聞きたいこと、それぞれ異なるものを、
どのように折り合いをつけて行くか、一人旅ではない旅を選んで、
共に在るとはどういうことなのか、苦い思いで側にいる私の気持ちを
知ってか知らずか、暮れの押し迫った一日が早くも終わろうと・・・。
私の気持ちよりも、テレビの「和風総本家」を見て、
新年の決まりを守ろうとしてみる辺り、安直で素直と見るべきか。


亀岡、亀時間は、病に向かう心許なさを持ち越したまま、
新年への運びとなるよう・・・。