Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

「りかさん」から「太陽の戦士」へ

インフルエンザがやって来た。
まちがいなくこれは、ぽぽちゃんを裸にしたせい。
娘の枕もとを見てそう思った。バチが当たったんだよ・・・。
いつも、娘が横において寝ているお人形、ぽぽちゃん。
何故か素っ裸。いつもはちゃんとお洋服を着ている。
靴下も履いている。なのに、何故今日に限って?
そう思った日、娘は熱を出したのだ。
何だかすっきりしない、何か予感がすると思った昨日。


別に私は迷信深い人間ではないけれど、言霊は信じる。
ものの命は信じる。ご縁を信じる。
目鼻の付いている物を粗末にするのは怖い。
文字の書いてある物をまたぐのには抵抗がある。
踏むなどと、もってのほか。
人形遊びをする年齢でもなく、ぬいぐるみ大好きでもないが、
物を粗末にするのは、はなはだ抵抗がある。


何故ならば、お人形はヒトガタ。魂が宿る。持ち主を守る。
身代わりになる。邪険にしてはならない。そう信じている。
特に人形に執着しなかった娘が、保育園から小学校に上がり、
妹も弟も家にはやってこず、お姉さんに呼ばれることは無いと
意識し始めた頃から、見向きもしなかった抱き人形やぬいぐるみを
可愛がり出した。その中に横にすると眠り立てると起きる、
「ぽぽちゃん」がいた。


老母が元気な頃、ぽぽちゃんにお洋服を作ってくれた。
冬なのでしっかり着込んでいたはずのぽぽちゃんが、真っ裸。
娘に尋ねると、着替えさせて遊ぼうと思っているうちに、
眠ってしまったとのこと。ああ、それで風邪引いたんだよ・・・。
だから、インフルエンザだけれど、娘は元気。
ぽぽちゃんが守ってくれているんだよ。
風邪を引いたのも軽くて済んでいるのも、ぽぽちゃんのせい。
そんなふうに思っている私と、娘が借りている本。
私の大好きな『りかさん』、人形の話。
かつて私はこんなふうに書いている。


−−表紙に惹かれて手に取る人がいるかもしれない。また、「りかさん」って変な題名だなあと思って、手に取る人もいるかもしれない。私はそうでした。そして、この本が梨木果歩との最初の出会いになりました。もう何年も前、児童文学図書館で手にしたその当時、読書療法の勉強をしていた私は、ものすごいショックを受けました。
 日本人の作家でこんな世界を書く人がいるなんてって。ホラーでもゴシックでもなく、きちんと魂の世界に向き合って、個人の魂の歴史も、家族の歴史も、民族の歴史さえも書き込める人がいるなんてと驚いたのです。それが、子どもの心に恐怖を与えるかどうか、ある意味微妙な世界のぎりぎりのところを描いているので、(影響力のある本は、読んだ後、内的なエネルギーを意外なところで噴出させるので)安易なファンタジーとして、甘く見る事ができない作品です。
 今の子どもが失くしかけている心の世界、人と人との結びつき、自分のルーツ、ご先祖様の存在、日々の営みを重ねる大切さ、格式、因果、業(ごう)というものを無視して生きる事ができないということを、主人公の祖母と人形のりかさんは、淡々と教えてくれます。
 生きざまや信念の確かな人の存在(モデル・守護者)と、人の魂の鎮めどころとしての存在(心の鏡・お守り)の両方を必要とする子供の成長を改めて考えさせてくれると共に、大人になった今もその必要性を感じます。また、この本を手にした子どもがもう少し大きくなったら、ぜひ「からくりからくさ」を読んで欲しいと思います。 −−


りかさん

りかさん

からくりからくさ (新潮文庫)

からくりからくさ (新潮文庫)


『からくりからくさ』が主人公とりかさんのその後だが、
余りにも難しすぎるというか、内容が深いので、
子供向きというよりは、中学生以上のかなり大人向けの内容。
でも、『りかさん』は、人形と主人公の少女の心の交流を通じて、
人間の世界の生きることの哀しみ、業のようなものを
人形の目を通して、人形を取り巻く人間の在りようを問うして描く。


さらりと描かれているが、「人形」を取り扱った物語の中で、
もっとも気に入っている作品。
今でも忘れられない、『りかさん』の世界の日本的で、
余りにも日本的なのに、日本的なものの外側から日本を味わっている、
そんな文体と構築された世界が気に入っていたら、
作者は、イギリス人に師事して文学の世界に深く分け入った人。


偶然、私の大好きなイギリス人の作家の作品が、
読売新聞夕刊に紹介されていた。「週間KODOMO新聞」のコーナー。
私の敬愛する、ローズマリ・サトクリフの作品。
私が人生の一番最初に読んだ、サトクリフの作品。
母が小学校4年のクリスマスのプレゼントに贈ってくれた本。
『太陽の戦士』(岩波文庫猪熊葉子 訳)の紹介が。


ちなみに、ブログというものをまだ書いた事が無かった頃、
家人の入院中、眠れない日々。
私は幾つか思いつくまま読んだ本の書評(っぽいもの)を書いた。
頭の中にあるものを吐き出す為に。空っぽにする為に。
アマゾンの書評は、私にとって、気分転換の場所だった。
その時に『太陽の戦士』についても書いていた。約3年前。


−−小学校のクリスマスにもらった本だった。主人公は自分と同い年ぐらいだったのに、未来にとても怯えていた。片手で槍の練習をしていた。自分の猟犬を手に入れるために狩りに出ていた。獲物の白鳥がシチューになるというので驚いた記憶がある。まだ、歴史も知らず、青銅の刃と鉄の刃の区別が付かぬまま、異国の草原と羊飼い達の景色を心に思い描いた。


 そう、思春期の入り口に差し掛かっていた当時、障害を持つ少年の孤独と成長が、違和感無く自分の心に入ってきた。成人への儀式、イニシエーーションである狼狩りとその失敗、チャンスと戦士としての再生、複雑なテーマだったので、何度も何度も読み直さなければならなかった。大学生になっても社会人になっても、いつも本棚にあり、読み返し続けている。


 中学生では遅い。小学生からでも読める本である。未来への予感に怯え、自分に自信を持ちたいと願い、目標となる大人との交流・後ろ盾を必要とし、青年期を共にする親友を欲し、異性を意識し、一つ一つの試練と共に、子ども時代とそれに附属する人間関係に別れを告げ、戦士として成長していく主人公ドレム。時空を超えて彼の世界に触れてこそ、読書の世界は広がる。

 
 作者、ローズマリ・サトクリフが足の不自由な女性でありながら、森林と羊の匂いにむせるような濃厚な自然を背景に、躍動感あふれる物語を書き上げたことに今だに驚嘆する。その孤独と葛藤は主人公に投影され、万人の胸を打つ自己実現への過程を、ベルティンの祭りの炎と共に照らし出している。ある種、読書療法的にも使える内容の濃い本である。独特の雰囲気を演出する挿絵と共に、大人も子どもも味わって欲しい。ケルトの薫り高い歴史文学の傑作である。−−


偶然。私の好きな本。
ぽぽちゃんが思い出させてくれた、梨木果歩『りかさん』の世界。
そして夕刊にサトクリフ『太陽の戦士』。
病み疲れてとまではいかないけれど、医者巡りで疲れた今日、
私の心に「元気」を思い出させてくれる本、間違いなくこれは、
偶然かもしれないけれど、不思議。


熱を出した娘と共に静かに過ごす時間。
親子揃ってのイニシエーションのような時間が過ぎる。
そんな時に遭遇した2冊の本。シンクロしている。
私達に、私の心に。不思議な偶然。
間違いなくこれは・・・。

太陽の戦士 (岩波少年文庫(570))

太陽の戦士 (岩波少年文庫(570))

ともしびをかかげて〈上〉 (岩波少年文庫)

ともしびをかかげて〈上〉 (岩波少年文庫)

ともしびをかかげて〈下〉 (岩波少年文庫)

ともしびをかかげて〈下〉 (岩波少年文庫)