Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

詠めた瞬間

昼休み、休憩時間、ほっと一息。自宅で、食後、TVをつけながら。
深夜なかなか寝付けないときに。ケータイは使わないけれど、
パソコンは体に馴染んだ、もう一つの書見台のような感じで鎮座まします。
仕事の文書関係はパソコンがなければ始まらない。
書類を作る、印刷する、メールで来る、添付ファイルにする、エクセル表。
何でもかんでもパソコン様様の生活で、自筆で書いたり読んだりしない生活。
これでいいのかと疑問に思いながらも、推敲も、書き直しも楽な方へ。


しかし、年末年始できないことがあった。
それは、言葉がうまく出てこないということ。
不思議に思われるかもしれないけれど、元文学少女だった私にとって、
言葉の引き出しは、意識せずに開くものでそれほど苦労を要しなかった。
なのに、言いたいこと、イメージしていることが言葉にならず、
どうしてもわからない、うまく表現できない、
ブログに至っては、更新しようとすると記事がどこへやら。
自分でも書いたはずのものが消えてしまい、戸惑うことが多かった。


無意識のなせる業なのか、だらけているのか、
緊張感に欠けているのか、単純ミスか。
指先も思うように動かない。疲労なのか、過労なのか、加齢なのか。
またまた、微細な血管詰まりましたか? 
気付かないような小さな痺れやめまいの影で、何かが起こっているのか。
とにかく言葉が出てこない。


この事態は、結構自分自身を萎縮させた。
打ち間違い書き間違いが増え、言葉が綴れない。
脳と指とが連動していないのか、考えが文字になって現れないことに、
打つ前に脳裏に言葉が浮かんでこないことに、
頭の回転の速度の問題よりも、自分の頭の劣化に苛立った。
失語症でも何でもないのはわかっていても、
自分が探している言葉、ぴったりした言葉を出したいと思っても、
出てこない状態。落ち込む以前に気後れがひどくなって、
哀しくなった。これから日々、年々、こういう状態が続いて、
緩やかな下降線をたどっていくのだろうかと。


だから、美しい景色を見ても深く感動できないよりも、
その景色にふさわしい言葉を見つけられず、綴ることもできず、
言い表すことができない自分自身へ苛立つと同時に、喪失感を抱いた。
自分の周りに開かれている世界に、ふさわしくないような感じを抱いた。
気後れ、劣等感、心の中に飛び込んでくる景色にのめりこんでいけない自分が、
その世界に拒絶されているような、かけ離れてしまったような、
そんな感覚を抱かざるを得なかった、暮れから今まで。
やっと転機が訪れた(ようだ)

ことばになりたい

ことばになりたい

星言葉                 

星言葉                 


仕事が一段落ついたせいもある。もっともだだ漏れで、
まだまだ整理しなければならないこともあり、納期は先だが。
ようやく目鼻立ちがついたものを一つ持つと、次の予定が迫ってきていても、
ほんの少し、達成感を感じる。とにかく一区切りついたという。
そして、写真を見るとようやく、自分の心に響く言葉が見えたような気がした。


景色を見ていると、その写真の景色の中に入っていけるのが普通だった。
もちろん、好みか好みでないかの問題もある。
気に入った写真だから入っていけるというものでもない。
文章でも同じ。小説でも同じ。どんなものでもそうだけれど、
恋愛と同じで、自分がその世界に入って行きたいと思っても、
望んだからといって入っていけるものでもない。
それでも、自分から飛び込んでその世界を知ろうとする気持ち、
触れたい気持ち、味わいたい気持ちが希薄になるということは、
私にとっては恐ろしいことだった。


入って行きたいと思っても、言葉を紡ぎたいと思っても、
自分の心の中に、何か引っかかるものがあるのか、
感情的なものが原因なのか、それとも別なのか。
このもどかしさをどうしようもなく苛立たしく感じていた。
対象に拒絶感を感じるのは、自分の状態の裏返しだ。
わかっているだけに、この自分の状態が嫌だった。


どうしても、言葉が出掛かってきているようで出て来ない。
見えているものに手が届かないようなもどかしさ。
何だか、いつもと同じ所を歩いていても不安で仕方がない。
何もかも見知らぬ場所のよう。
知っているはずなのに、知らないような。
どうしても、その世界に入っていけない。


そうやて、やっと1月も終わりになって、
写真を見ていて言葉が浮かんでくるようになった。
ほんの少しだけ。それがこちら→
それからもう少しして、やっと写真の中に近付けた。
自分の心を投影するに足りる、自分自身をその中に見出す。
そう思えた瞬間に言葉が出てきた。
それが、こちら→


眼前に繰り広げられた写真の世界の美しさに、ほんの一瞬なりとも没入できる。
それがどこにも出かけられない自分にとっては大切な一瞬。
職場でも、家の中でも、自分を見出すことのできる一瞬。
別世界に触れることのできる一瞬。
それが、日常生活とは別の次元で、
何がしかと触れ合うことができたと感じることができる、一刹那。


寧夢が「言葉」を見つけた瞬間です。
刺激を受け、触発され、何かをきっかけに自分と世界に触れる。
そんな気持ちになれる瞬間です。
歌を詠めた時は。

カラー版 新日本大歳時記 愛蔵版

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へんな言葉の通になる―豊かな日本語、オノマトペの世界 (祥伝社新書)

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ことば遊びの楽しみ (岩波新書)

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