Festina Lente2

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『マンマ・ミーア!』と西宮ガーデンズ

この映画の題名は掛詞になっている。しかし、毎日がどたばたで、
「あら、どうしましょう!(マンマ・ミーア!)な私にとっては、
人間ドックでいっそう疲れた心身をちょっと休憩させる為の映画館。
初日だという事を忘れていて、どえらい人出の中で見ることになってしまったが。
病院から二駅先に、西宮ガーデンズというところが出来ており、
ちょっと覗いてみようかという気になったのだ。映画館もあるし。


大学時代の通学路だったこの駅も、震災以来の再開発で様変わり著しい。
ある意味、青春時代は遠く去り21世紀になった事を感じさせる。
阪急ブレーブスのホームグラウンドはショッピングモールになってしまった。
これは、南海本線難波駅南海ホークスの球場が難波パークスになったのと、
同じコンセプトでの再開発で、外観もそっくりな気がする。
空中庭園と映画館、ショッピングモール。


ただし、西宮ガーデンズは広すぎた。買い物するにも、
一つ一つの店舗がちゃちと言うか、小洒落ているだけで・・・
そうそう、店舗面積の決まっている小さな出店が並ぶ、
免税店みたいな雰囲気のする場所。そんな感じ。
海外の免税品を扱う店の、あの歩くのに疲れる、
それでいて似たような品物ばかり扱っている店が並ぶ、モール街。
友人はハワイに似ているのよと喜ぶけれど、ハワイを知らない私には、
ちょっと想像がつかない、このショッピングモールの良し悪し。


5階まで吹き抜けの建築は広々とした空間を演出するというより、
ざわめきがワンワンと反響する落ち着きの無い苛立たしい空間を作り上げていて、
一見別世界のように見えるけれど、無駄な空間という感じがしてならなかった。
斬新に見えるエレベーターを用いたバレンタインの飾りつけも、
デパートとスーパーマーケット両方を抱え込んでいる貪欲さも、
便利かもしれないけれど、上品な下品さ、といった風情で、
最近あちこちに出来ている商業ビルと何ら変わりは無かった。
上物が大きいだけで、コンセプトは同じ。
神戸線沿線なので、ちょっとお洒落に味付けしているけれど、
でも・・・といった感じ。


お年寄りに巨大スーパーマーケットでの買い物は向かないのと同じ。
小さな店で効率よく買い物できる、小さな店のほうが日常生活には便利。
小回りの聞かない、使い勝手の悪さをスーパーも建物の中に内包して、
どうにか補っているのだろうが、そのスーパーまで行くのが既にしんどい。
雨の日、どこにも出かけられない時、それこそウオーキングの代わりに、
1階から5階までのフロアを歩けばよかろうという箱モノの印象。
夕闇に浮かぶイルミネーションはお洒落だが、まだクリスマスが続いている?
出来て間もない浮かれた余韻を感じさせるものだった。
そんなふうに、フレームアウトした感覚を抱いてしまうのは、
年を取ってきたから? ドックで落ち込んでいるから?


賑やかなモール街が、心を浮き立たせてくれるような感覚どころか、
非常に辛いと感じるようになってきた世代に、
この西宮ガーデンズは、馴染みの場所にはなりえないだろう。
もはや、私の青春時代の西宮北口は何処にもありはしない。
私の学生時代が、遠く遠く20世紀の向こうにあるように。
ジーンズで闊歩し、軽やかに階段を2段飛ばし、
宝塚のお姉さん達の化粧に目を丸くしながら通学した、
あの私の姿にぴったり来る街ではなく、別世界に変貌した西宮北口


そんな中で、『MAMMMA MIA!』を鑑賞。宣伝が派手だったのと、
主演女優メリル・ストリープを見るため。そしてリアルタイムで聴いた、
アバの音楽に浸るため。何と言っても70年代から80年代ですからね。
それにしても、メリルが歌って踊れるということに関して驚かされた。
あの年齢であの声。さすが現役女優、侮れぬ。面目躍如。
顔の皺、首のたるみ、美人女優で恋愛映画でえもいわれぬ演技をし、
動よりも静という、そういう印象が強かった役柄を拭い去るような、
躍動感溢れる新境地、そういうものを見せて貰った。

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マンマ・ミーア! ザ・ムーヴィー・サウンドトラック

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というか、50なんて遥か昔の話よ。そう笑い飛ばして、
ハリウッドの若手に負けぬ「歌って踊れる」存在感を、
還暦前後でやってのけるというのは、さすがだと思う。
若い頃から、こんな感じいいなあと憧れただけに、
先を走っていく人のパワフルな世界から、エネルギーを貰えた。
そして、嫁ぐ娘を前にして母親役としてしみじみ歌い上げる場面、
家族の為に魂の恋を犠牲にした『マディソン郡の橋』を思い出させた。


娘役のアマンダ・セイフライトが若々しく可愛いのに、タメを張る。
そういう存在感がいいなあと思う。梵天丸もかくありたい、
いや、私自身もこんなふうに老けい行きたいと思う。
いやいや、年齢を重ねていきたいと願う。
男性陣も負けず劣らずいい役者を揃えているのだが、
ミュージカルなので歌って踊る場面が、生き生きと映画になって、
ストーリーを進行させているかどうかというのが大事。


この手法と、振り付け、雰囲気はどこかで観た事があると
もどかしく感じていたら、思った通り、私の最も大切なミュージカル映画
ジーザス・クライスト・スーパースター』の振り付けに関わった御仁が、
今回も担当している事を知った。カメラワークも、水辺で踊るシーンも、
群集が主人公を取り巻くシーンも、とってもそっくりなのだ。
(嘘だと思うなら、比較して頂きたい)
私がどれだけ『ジーザス・クライスト・スーパースター』に
思い入れしているかは→http://d.hatena.ne.jp/neimu/20080918


これが、ある意味、70年代テイストということになるのかもしれない。
舞台版の振り付けを知らないのだが、少なくとも映画版に関して言えばそう。
ジーザス・・・」の舞台も、四季版しか知らないので、
映画版は映画版で比較した方が、カメラワークも振り付けもよくわかる。
そのコンセプトも、イメージも、同時代人の空気を感じさせる。
音楽と動きが一体となって、その流れを作り上げているのがよくわかる。
でも、こういう感じ方をしてしまうこと自体、
自分の老いと年月を感じさせる。やれやれ、世代を感じさせる。


舞台のギリシアも小さな島の景色も懐かしい。
そういう島巡りを、船でギリシアからトルコまでを巡った旅行。
泳いだり、買い物したり、夏の日差しを浴びながら教会に向かった日。
映画を観ていると、自分の青春時代が噴出してくるのは、
その音楽の流れた時代をどうしても思い出してしまうから。
父親探しのどたばたよりも、年齢的に母親役のメリルに焦点を当てて、
自分の人生を振り返ってしまうのは、どうしようもない。


パンフレットには、美しい淡い衣装のメリルと白いドレスのアマンダ。
映画の中では赤いショールを羽織り、髪振り乱しているので、
その素晴らしいドレスの模様がわからない。
ご覧になられる方は、娘の結婚式に母親が着ているドレスが表紙だと
そして、日本であれば到底そういうドレスを結婚式に着ることなど
出来はしない、まして、還暦前後で。
その軽やかなデザインのドレスをぜひじっくり見て頂きたい。


ネタばれになるので、アバの曲をどんなふう歌っていたか、
それは観てのお楽しみということで。
とにもかくにも、娘をもつ母として、シングルマザーでは無いけれど、
日常生活はほぼシングルと変わりはしない私にとって、
こんなふうに頑張って、年齢を重ねていきたいと思えた映画。
深い感動は無かったけれど、懐かしさで胸締め付けられた、
人生を振り返った、そして、友情の存在に胸打たれた、
そんな映画だった。


どちらかといえばお若い人向きのように見えて、
中年以降に焦点が当たっている、そんな映画だったと思う。
これから生きていく、よりも生きてきたことに節目を付けて、
次へのステップを予感させてくれる、そんな映画だった。

マンマ・ミーア!<スペシャル・エディション>

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ジーザス・クライスト・スーパースター ― オリジナル・サウンドトラック

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