Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

『禅―ZEN』と道元

講師の先生と別れ、家人と夕食。大阪では老舗のインド料理店、
丸ビル地下「アショカ」で久しぶりに外食カレー。
若い頃は焼きたてナンやタンドリーチキンに感激したが、
今ではそういう店は当たり前になってしまった。
それでも店構えは、若い人にはちょっと敷居が高い雰囲気の店。


本日の夜。家人のリクエスト。娘抜きで見る映画は大人の映画。
でもって、実は家人も私も実家は曹洞宗
だから、道元とは無縁ではないはずだが、信心しているわけでもなく、
永平寺を訪れた事も無い。日本の仏教は葬式仏教で、祖父母の葬式のとき以外、
接触れる機会も無い曹洞宗というのが現実。お墓も近くに無いし、
法事は滅多に無いし、宗教として触れているというか、
生活の中に密着しているのはキリスト教の方だった我が家。


家人は娘に曹洞宗って何? 道元って誰って訊かれた時に困るから、
映画を見に行こうと言う。そんな動機でいいのか? ま、いいか。
個人的には宗教絡みの映画には余り興味はなかった私。
道元関係の作品と言うと、日本史で覚えた名前だけの『正法眼蔵』、
井上ひさしの『道元の冒険』ぐらいだ。
禅宗関係の本を若い頃読んだ記憶もあるが、忘れてしまった。
読み込んだといえるものは無い。


宗教絡み・・・ではあるけれど、深く追求するまい。
まずは食わず嫌いは駄目ということで、見ることに。
中国ロケを敢行した割には、・・・とか、
一般人は殆ど出て来なくて、遊女のみというエピソードは、
キリストとマグダラのマリアの関係に似ているとか、
北条時頼乱心の場面はCG使い過ぎで、子供向け恐怖映画みたいとか、
そういうところを割り引いて、観なければならなかったけれど。

道元禅師語録 (講談社学術文庫)

道元禅師語録 (講談社学術文庫)


個人的な思い入れや、禅の教えに思う所ある人は、
それなり煮える物が多かったのかもしれないが、深い感動という
根底から揺り動かされるものという感じではなかった。
それよりも、世俗的なものに左右されがちな人生に
「何も捨てたくは無い」「捨てられない、忘れられない」
我慾・妄執を常々感じて疲れているだけに、
「対岸にいる人――に近づけない疎外感」を少しばかり感じた。


有名なエピソード。死にそうな子供を助けて欲しいという願いに、
「身内に死人の無い家を探してくれば助かる」話。
凡人はそれでも諦め切れないものだ。
人も自分も等しく哀しい存在と頭でわかっていても、
感情では割り切れない。それを映画ではさらりと描くので、
かえって人生の至極当然が虚構に見えて仕方が無い。


人は慟哭の中にある時、誰かに寄り添って貰いたいものだが、
寄り添って貰っていたとしても、気付かないほど
自分のことだけに囚われて苦しんでいるものだ。
そうそう、簡単に抜け出せるものではない。
映画はストーリーなので、単純に時間の経過として流れていくが、
心の中の時間は、そうそう簡単に当たり前に流れては行かない。


映像の美しさというよりも、やはり会話の中の専門用語に付いて行けず、
「いい場面」で語られていた事を理解するよりも、感じるだけに終わった。
後からパンフレットで確認。死期を悟った道元が弟子達に語る言葉の中の、
八大人覚(はちだいにんがく)などは、すぐにわかるものではない。
映画館はがらがらで、観客の年齢層はやたら高かったのだが、
(むろん私たちもその中に入っているのだろうが)
醒めている映画の中に入り切れなかったのは、
今、何の問答をしているのか、何を説いているのか、
ピンと来ないまま、観続けなければならなかったから。


1小欲 2知足  この辺までは聞いていてすぐにわかる。でも、
3楽寂静(ぎょうじゃくじょう)静かな生活をする
4勤精進(ごんしょうじん)不断の努力をする
5不妄念(ふもうねん)正しく精神を集中する
6修禅定(しゅぜんじょう)正しい禅定生活をする
7修智慧(しゅちえ)叡智を身につける
8不戯論(ふけろん)無駄な雑談・議論をしない
どうです、すぐに理解するのはちょっと・・・。難しいでしょう。


映画で実感できたのは、業の深さに囚われる場面。
南宋の寺院に師を求めて臨み叶わす挫折しそうになる場面と
「女性ではなくて、一人の人間として触れてもらいたかった」と
元遊女が嘆く場面。出家してその後の描き方。
悟り、解脱を表すCGの場面は、奇抜すぎて荘厳な映像に合わなかった。
道元その人の生き方に感情移入できたかといわれると、・・・。


最も気に入ったのは、当たり前の事を当たり前に表現した部分。
眼横鼻直(がんのうびちょく)、そして、この和歌。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」
これが私の感性には一番しっくりしたかな。
この当たり前の景色を当たり前に感じられる時、
受け入れられる時、道は開けていく。
「道」は目の前に自然に開かれている。
そんな気がした。
本日の映画、『禅―ZEN』道元の映画。

現代文訳 正法眼蔵 1 (河出文庫)

現代文訳 正法眼蔵 1 (河出文庫)