Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

成長と背伸びの狭間で

娘は畠中恵を次々に借りてきて読んでいる。
この頃は「チーム・バチスタの栄光」を文庫本で読み、「医学の卵」も読了。
私の好みがもろに乗り移った感じだが、こんな読書でいいのだろうか。
小学校3年生で一体どこまでわかって読んでいるのだか、
本を読んでくれて嬉しいよりも、正直、戸惑いを隠せない。


もう少し、普通の、と言っても何が普通なのかわからないが、
世界の名作文学などには目もくれないで、今時流行りのシリーズ、
どう見ても、幼稚じゃないかな? こんな内容でいいのか?
というものを読んでいる反面、背伸びというのか、
後追いというのか(読書に後追いというのはおかしいか・・・)
うちにはどうして海堂尊のシリーズの続きが無いのと聞いてくる。
ナイチンゲールの沈黙」ねえ。・・・やれやれ。


色んな漫画を一緒に読んでいる分には抵抗は無い。
手塚治虫青池保子萩尾望都木原敏江竹宮恵子一条ゆかり
一連の大御所の作品群。最近の人は知らないし買わないから。
私の年代が読んだ作品群、及び、心ほのぼのとする川原泉の一連の作品群。
親子の話題を繋ぐ作家・作品群。挙げれば切りが無い。
古典とも言うべきジャンル、大和和紀の「あさきゆめみし


本当はもっともっと山のように漫画を持っているのだが、
娘が今からあんまり漫画漬けになってもなあと、
就職後大人買いしたものも含めて、殆どが初版本だったりする
自分のコレクションを大事に仕舞っているのだが、
(妊娠中に赤ん坊にいたずらされてはいかんと仕舞いこんで、早10年)
この勢いでは、近いうちに物置倉庫から発掘されそうだ。
それはそれでいいのかもしれないけれど、嬉しいよりも不安。
こういうところが似てしまったんだなあという、嬉しさ半分不安半分の、
複雑な心境、わかってもらえるでしょうか。


水泳をずっと習っている割に、運動はそれほど好きではない保育園時代。
特に球技は苦手なみたい。似たねえ・・・。
私もボールが大きくなるほど駄目だった。卓球やテニスはまだしも。
保育園は開脚で前屈もOKだったのに、今ではすっかり硬いからだ。
私が仮性近視になったのが小学校3年生。娘の視力には気をつけている。
自分と同じように眼鏡人間になって欲しくない。
コンタクトレンズだってけっこう不便。
目と歯の悪い人間の必要経費は、長い人生馬鹿にならない。
本当なら別の所に回したい資金だ。

子どもに本を買ってあげる前に読む本

子どもに本を買ってあげる前に読む本

こころの傷を読み解くための800冊の本 総解説

こころの傷を読み解くための800冊の本 総解説


2年前のブログを時々読み返してみると、小学校1年の娘の一挙手一投足に、
柔らかい愛情を込めた文章を書いている自分が居て、気恥ずかしい。
と、同時にそれだけ娘を受け止めている実感に幸福を感じていたのに、
わずか2年で、娘にどう接して行けばいいのか、
考えあぐねている自分がいる。逃げている自分がいる。
読書のことばかりではない。
様々な言葉がけ、親のポリシーや思いが何だか輪郭がぼけて、
勢いだけで、しまりの無い節制の無いものになってしまっている。


きちんとした習慣よりも、趣味に生きているのは親のせいだ。
好きな本には熱中するが、「ねばならない」ができないのは、
整理整頓が、落ち着きが、手先の器用さやその他あれこれ、
自分が想定していたこととは全くかけ離れて、
そして親として自分ができることなぞは、飢えない程度に
食べさせている位で全くいい加減なものだとガックリ来る。
理想の子育てなぞできはしないし、先の見通しなどあてにならない。
今朝、元気に行ってきますの声を聞けたのが幸福というものなのか。


思春期の入り口に立っている娘は、親の前で裸んぼうになぞ、なりはしない。
学校であった事を丁寧にあのね帳に書いたり、お話してくれるなぞ、夢のまた夢。
連絡帳なぞマメに書いたり、先生のはんこを貰ったり、
サインを有難がったりなぞしない。これも親がいい加減なせいだ。
一緒に何かをする時間が、チェックする時間も、共に過ごす時間さえ、
すれ違っているせいなのだろう。


一体娘の日常生活に、どこから手をつけたらいいのだろう。
いや、こういうふうに距離を取れるように躾けてきたのでは、
早いうちから大人に仕立て上げ、育てたのではなかったか。
何が間違っていたのだろう、どこに誤算があったのだろう、
子育てとはこういうものだっただろうか。
何だか予想とは異なり、どんどん加速度的に遠ざかる娘。


学力の9歳の壁ではなく、親子の繋がりもまた、9歳の壁に阻まれるものなのか。
毎日が「行って来ます」と出かける娘の後ろ姿を眺めている気分。
ドップラー効果のように遠ざかる声の響きが胸に痛い。
娘の手を握り、頬にキスし、バイバイと手を振って、
お迎えをしていた頃が、何と麗しくしっとりした日常だったのか。
保育園から小学校1年にかけての、あの無我夢中の子育ての日々は。


一日の終わり、娘の姿を待ちわびて育てて来た月日の
そのいとおしさの分だけ、離れて遠ざかる速度に戸惑う。
速すぎる。・・・そんな気がしてならない。
子どもっぽい笑顔の向こうには、「そんなこと言われたくないね」
「それって皮肉?」「いい加減ほっといてもらいたいね」と
さばさば言い放つ娘の姿があって、取り残されているかーちゃんがいる。
肩を並べて歩く時間があっただろうかと思えるほど、
何だか娘はどんどん先へ行っているような気がする。
何だか娘は秘密めいている。
はてさて、自分自身もこうだったのだろうか、9歳から10歳に掛けて。


本の世界の友達の方が、現実よりも鮮やかだった元文学少女は、
文学少女の親になったのだろうか。なれたのか、なってしまったのか。
娘の現実、それは親の目から見てどこに写っているものなのか、
こんなに近くに、こんなに一緒に暮らしていてもわからない。
今からこの有様では、思春期の真ん中・終わりには
どんな台風・嵐が吹き荒れて、私達を吹き飛ばしていくのだろう。
取らぬ狸の皮算用、杞憂、無いものねだり、いや違う。
うーむ、うーむ、ぴったりな言葉が出てこないぞ。

完璧な親なんていない!―カナダ生まれの子育てテキスト

完璧な親なんていない!―カナダ生まれの子育てテキスト

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「叱らない」しつけ 子どもがグングン成長する親になる本

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過保護なかーちゃんは、娘の一挙手一投足を眺め切ることさえできない。
その繋いでいたはずの手のぬくもりが、
かつてとは違うものだと感じている。
もう、君は後半年もすれば、1/2成人式を迎える10歳。
だから、この頃こんなにも大人びてきたのか。
目の色も髪の色も違う。私の知っている丸い柔らかい娘ではなく、
遠くを見つめ始めた少女なのだと感じる、ひしひしと感じる今日この頃。


桃の節句まであと2週間。人形を飾らないまま去年は通り過ぎた3月。
チャンスの神様には前髪しか無いように、
思い出の影の細く長く伸びてかーちゃんの胸に宿る、
その懐かしさに似合わぬ速さで消えてゆく、君の幼少期の面影。
その面影ばかり探して、気が付けば寂しくパソコンに向かっている。
そんなかーちゃんの日々だよ。そんなかーちゃんの夜だよ。

子どもを守る祈り60

子どもを守る祈り60