Festina Lente2

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スポンジを絞る

久しぶりに勉強会。久しぶりに直接教えを乞う。
1週間後にボランティアとはいえ本番を控えているので、
多少なりともアドバイスが欲しいのが本音。
しかしケースカンファは自分だけの時間では無いので、
取り上げてもらえなければそれまで、という覚悟で常に提出している。
だから、今日は運が良かったのだ。


何がしか、それが望んだポイントであったかどうかというよりも、
自分が描いているポイントを絞る為のステップ、
手探りではないものの、荒削りなデッサンから、
求めている1本の線の為の万本の線の引き方を、
まだ学んでいる状態に等しいと思うから、
「わからない事をわからない」という状態よりも一歩前進しなければ、
相手の望んでいる事を受け入れることさえ出来ないのだから。


というわけで、受容は自分にとっては大きなテーマ。
「初めに共感ありき」とお題目のように唱えていても、
壁に面して座するが如き、鉄壁の抵抗を内面に抱えていては無理。
安全で守られている空間、そういう物があるのならば、
自分が籠っていたいという青臭いまでの衝動を抑えて、
何処まで冷静になっていられるか、自分。
鏡の如き平静なる心を面に映し出すことができるか、自分。


ということで、本日師からアドバイスを頂いたのは、
メンタルトレーニングで言うところの、クリアリング。
マイナスの感情を吐き出して、感情のコントロールを学ぶ。
「スボンジを絞る」ということについて。
まあ、膿を出す・愚痴を言う・不平不満を洗いざらい出して
すっきりさせてからでないと、容量オーバー。
新しい何かが吸収される余裕も無いわけで。
物事を受け入れる素地を、下地を作らなければならない。
地ならしをしなければならない。
心の状態を、一定の水準に持っていかなければならない。
でないと、その先には進めないということ。


よく考えれば、そういう溢れ出そうなものを、どうにもならないものを、
上手く日常生活の中で「弱音を吐きながら強くなり」
心の隙間を整理して詰め替えて、新しいものをしまう場所を作る。
何もかも詰め込んで行けばパンクするので、その前に、
何が必要で、何を捨てて補充すればいいのか、
心の中の交通整理のような物が必要。


その手続きを省いて、あれもこれもどれも・・・は難しい。
なるほどねえ。ぎゅっと絞る。
今の状態で手一杯、整理されていないものを抱え過ぎていては、
何処から手を着けていいか、わからないでいては、ねえ。

成功と目標達成のための実践的思考法

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すぐやる!すぐやめる!技術 ― 「先延ばし」と「プチ挫折」を100%撃退するメンタルトレーニング

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ケアする人だって不死身ではない―ケアギヴァーの負担を軽くするセルフケア

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自分が思い描いていた内容が、抽象的過ぎていたり、
ポイントが絞れ切れていなかったりして、
やたら深い部分をいじっているようならば、開き方も閉じ方も要注意。
本当に今回のこの時間にそのワークは必要なのか。
別のアプローチは無いのか。
自分自身の迷いや、プレワーク時の指摘を再度、
違う角度から貰って、やはり欲張り過ぎず、
内容をもっと詰めて、コンパクトにしなくては。


データの提示の仕方を、類推から結論へ急がずに、
データから見えるもの、隠されているもの、
介在するものの影響力の大きさなど、
もう少し講義の組み立てを考え直さなくては。
自分が知っていることと自分ができることは違う。
自分が体験した事が、そのまま相手にとっても
同じ意味のあることかどうかわからないまま、
安易に深い部分へ行かない方がいい。


私の欲しい答えの形では無いけれど、
私に必要な足場を固める方法を示唆してもらえるのは有難いことだ。
何故なら、職場ではそういう話し合いやアプローチは為されていないから。
「改善=多数派の意見であると工作活動の為された方向」であって、
時間が無い以前に、討議の時間を取るという逡巡を許さない。
迷うくらいなら、結果が出ないうちに別の方法を。
そんな性急さでもって、強引に今までのやり方を変えようとする。


そういう流れに巻き込まれて、物事を考えるパターンが
曖昧なまま性急に取り留めの無い形で流されていても、
当たり前だと感じるようになってきている自分に気付かされる。
飛ぶ前にかがまなくてはならないのに、飛ぶよりも、
踏み台を持ってきてどっこいしょと一段上がる事を急ぐ。
自分の足でジャンプすることよりも、踏み台を探している。
そんな自分に気付かされる。


飛ぶ前に低くかがめ。誰も何も言わないけれど、
私の耳に囁く者がいる。飛ぶ前に低くかがめ。
頭を垂れて、今一度見上げるものを、当たり前に見上げる。
自分の手を伸ばしてみる。何かを支えに手を伸ばすのではなく、
しっかりと自分の足で、踏みしめて、時には背伸びして、
そして、力をためて自分の足でジャンプして、届くように。


モチベーションの高い時に決めた事が、モチベーションが下がった時にも、
通用するものであるように、自分自身に課すものが、
誰にでも通用するものであるように、
もっと噛み砕き、もっとわかり易く、もっと普遍的で、
もっと共感できる、納得できる、心にすとんと落とし込めるものであるように、
心の中のハードルを常に飛び越えていけるような、
乱暴に蹴倒していくのではない、当たり前の走り方が出来るように、
今ここで、諦めずに走り込みを続けることを。
そして、飛ぶ前に低くかがみ、自分の脚力を信じて、川を渡る。


今ここでぬかるみに足を取られる事を恐れて、
服が汚れることに気を取られて、
自分の立っている場所を把握できずに、
次に進むこと、コマの進め方ばかりに気を取られていては、駄目だ。
自分の膝が痛いことに気を取られて、かがまずに何かを拾おうとする。
台に登り楽に高い所に手が届いたからといって、
それで何かが出来る気持ちになってしまう。


真剣さが足りない。自分の中でうつろになっている部分に、
満ちてくる物が足りない。自分自身がクリアになっていない部分、
見つめ直す気合が足りない。自分の中でこれでいいのだろうかと、
問い直す、練り直す、ぎりぎりまで仕上げてみようという、
気迫が足りない。短い時間で話せること、伝えられること、
出来ることは限られている。なのに欲張りすぎている。
自分がやりたい方法論に、試したい方法論に流されかけている。


それでは、駄目なのだ。だから、まだまだ飛ぶ前にかがまなくては。
私自身が、クリアにならなければ。

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