Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

片付けながら

人事異動の年度末なので、片付け物が多い。部屋も人も物も動く。
私個人には何の変化も無いけれど、周りが動くと間接的に影響を受ける。
相方が転勤なので、担当部署での新しい相棒が来るはずだ。
色々回り持ちの役職も一つは譲るので、ある意味ほっとする。
気心が知れた人間に引継ぎをするのは、やはり精神的に楽。
それに引き換え、挨拶をすればいいのかどうか、
慇懃無礼になるだけではないのか、と遠慮してしまう相手も。


むろん自分が年下なので、こちらから礼を尽くすのが当たり前。
棲み分けている社会で接点も少なく、
されど、今生の別れとなるのも判っていながら目礼だけは失礼。
なれど、立ち話をするほどの事は相手にとって疎ましいだけでは・・・。
好き嫌い、好悪の別なく単に距離感の問題なのだが、
礼を尽くすというのも、とってつけたような感じで気詰まりだ。


この時期の対人関係というのは実に微妙で、
お互いの仕事内容が交錯するだけに難しい。
管理職は管理職なりに、下っ端は下っ端なりに気を遣う。
困るのは若年で下っ端なのに、好き勝手休みを取る人間。
何の手配も準備も連絡も無く、したいことしかしない人間。


新しい人のために席や机や物品の準備・整備、
去り行く人へのねぎらいと言葉がけ。
これは思いのほか難しい。この年になっても苦慮する。
機械で判を押したように、マニュアルにのっとって
当たり前の言葉だけ掛ければいい、というものでもあるまい。

現場力復権―現場力を「計画」で終わらせないために

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職場はなぜ壊れるのか―産業医が見た人間関係の病理 (ちくま新書)

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自分が転勤時どうだったかというと、本当に人の言葉は煩わしかった。
気遣いさえも同情や哀れみに感じられて、疎ましかった。
それは思い上がりで傲慢だとわかっていても、どうにもならなかった。
青天の霹靂というわけではなかったが、何故?という思いもあったし、
内示後、心の準備をしても、新天地の様々な障害がわかっているだけに、
4つの娘を抱えて「何故そういう場所へ?」という不安と
誰にも八つ当たりできない苛立ちを隠し通すことさえままならず。
世渡り下手な私は、何をどこから片付けていいのか途方に暮れながら、
この年度末を過ごしたのだった。あれから5年。あっという間の5年。


楽しい思い出などあったのだろうか? 
引越し、家族も自分も入退院を繰り返し、
親の手術、娘の保育園卒園、小学校入学、慌しい日々。
個人的なことを仕事に持ち込まないという鉄則、
そんな建前など吹っ飛んでしまう、介護休暇の日々、病気休暇、書類の山。
見る事叶わなかった、娘の小1の運動会。
参加できなかった家族キャンプ。
どんどん人嫌いになっていった職場での日々。
創っては壊れる人間関係と組織。上がらぬ士気。
申し訳なさと配慮の中で卑屈になる自分。


それでも、明けない夜がないように沈静化していく現場で、
乾いた気持ちを抱え鬱屈しながらも、日々は過ぎてゆく。
さくさくと仕事をこなす。ひたすらこなす。
我侭と言われようと誰もやらなければ、どうしようもないもの。
損な役回りと言われようと、与えられればベストを尽くさなければ、
自尊心が粉々になる。ここでヘタレるような仕事をして、
残ったプライドまで失くしてなるものか・・・の気負いの日々。


春は名のみの春にて、行き交う人の姿は晴れやかさと無残が重なる。
転勤に栄転ばかりがあるわけじゃなし、神のみぞ知るの計らいが、
どこに隠されているかわからない。後から振り返ってみれば、
これがそうだったのかと思える事も多い。
私自身が5年間を振り返るから、そう言える。
苦い日々を重ねてきたから、今耐えるだけの力が付いているのだと。
昔のままであれば、今はぺしゃんこになっていただろうと。


飛ぶ前に低くかがめ。高く飛ぶ事はできなくても、
墜落しないように生きていかなくてはならない。
もう、イカロスの年齢ではない。
工夫をするダイダロス、助言をするダイダロス、堕ちる事は許されない。
太陽に近づき過ぎたことさえも気づかずに、落ちていくイカロスではない。
夢が無いと言われれば、全く無いわけではない。
現実に疲れているのねと言われれば、否定しない。


そんな私の前に、以前の職場の人間が立派に1人前になって挨拶に来た。
というか、育てた人間がこうなるというのを忘れていたのかも。
この春からちょくちょく立ち寄ることになるらしい。
となれば、落ち込み疲れた姿ばかり見せるわけにもいくまい。
忘れがちな化粧も少しは施して、装いも明るくしよう。


去ってゆく者を追う事はできない。静かに心穏やかに去って貰うだけ。
人事権を握る立場に無い者は、何も出来やしない。
気持ちよく送り出してあげることしか。
気持ちよく迎え入れてあげることしか。
自分がされたいように、送り出し迎え入れることしか。
そして新しい出会いが、新しい場所に根を下ろし芽を出し、
思いがけぬ花を開かせ実を付けることを期待しながら、
目に見えない空気を、水が流れる土壌を整えるのだ。


そんな思いで、静かに片付ける。
実は片付けものが苦手な私なのだが・・・。
片付けながら、心に片を付ける。
そんな今日。そんな毎日、年度末。

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