Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

改悪の余波

娘をキャンプに送り出して、森之宮から大阪城を眺めながらぐるりと歩き、
難波宮址を通って、見たくは無かったけれど府庁の前を通り過ぎ、
天満橋まで歩いて行った。何故か地下鉄に乗りたくなくて。
大阪城は馬酔木やシャガが咲いていて、桜はまだだが
いかにも春の佇まいを見せていた。
そんな朝、本日は丸1日お勉強。


自腹研修。まあ自分への投資だと思えはいいけれど、
久しぶりに来てみれば、何とまあ様変わり。それもこれも
ろくでもない府政改悪のあおりを受けて、専門書店が無くなっていたから。
そしてこの年度末、時期も悪ければ予算も出ない。
人も集まらない。物好きで果敢なメンバーしか。
という訳で、今日一日はワークショップも兼ねたお勉強。
何が嬉しいって、自分ひとりの頭で考えたり悩んだりするのではなく、
周囲の反応・意見・コメントを聞きながら色々刺激を受けること。
あっという間に時間が過ぎてゆき、集中している時ってこんなものと実感。
毎日こういう仕事だったら、燃え尽きて灰になってしまいそうだけれど、
充実感が助けてくれて、、灰から蘇る不死鳥になれるかも。


しかし、よくもまあここまで予算も人員も削減された炊かれたものだ。
いつの間にか立ち消えになった国会での夫婦別姓の法案のように、
スタンドプレイやごね得・ワンマンで、政治を牛耳る人間に
抵抗を覚えず面白がるだけの人間が参政権を握る。
国は滅びかかっているというのに、教育に力を入れず、
骨抜きにしたうえで参政権を18歳以上に与えるなどという世迷言。
機会均等の意味を履き違えて、学ぶ資格や能力の無い者にも平等をと叫ぶ。
本来の意味で援助・支援が必要な人間を突き放し「自助努力」と言い放つ。


こんな不平不満の中、やるせない思いを抱えつつ、本日の研修。
カナダのPSA(公共広告)を元に、
メディア・リテラシーの理論と分析方法を学ぶ。
素材に日常生活で生徒達が触れる機会の多いアニメーション。
メディアに主体的に関わり読み解く力をつける。
何故か、男性の参加は少ない。
ジェンダーの視点に嫌悪感があるのか、引け目を感じるのか、
批判と非難をごちゃ混ぜにしてしまうのか、
クリティカルな手法をすぐに「皮肉」「中傷」「揶揄」と受け取るのは、
上から目線に慣れていて、上目遣いになる自分を意識するからか。

Study Guide メディア・リテラシー 入門編

Study Guide メディア・リテラシー 入門編

オトナのメディア・リテラシー

オトナのメディア・リテラシー


滅多に来ることが出来ないドーンセンター。
利用したくても、休暇を取らないと出張ではなかなか来られない。
仕事のために必要でも、資料が読みたくても、
時間を作る以前に、なかなか来ることを許されない。
だから自分で意識して出向かなければ、来られない。
学ぶ時間を作り出すのは、それなりに覚悟が入る。


この2月、体調不良は響いた。心身ともに不調だった。
忙しさを、土日の家族の時間で気分的なリフレッシュをしたものの、
澱のように溜まっていく憂さや、慢性疲労をどうしたものか。
学ぶことで解消され、見方を変えることが出来て新しい力になることもあれば、
より深く落ち込むことが増える場合もある。
いったん知ってしまえば、知らなかった昔には戻れない。
しかし、何も知らずにいればよかったとは思わない。
そんな繰り返しの中で、仕事と学びを綾織にして毎日が過ぎる。


情報、リテラシー、PSA、ジェンダーとメディア、
いまだ職員研修を行う担当者に面と向かって平然と、
ジェンダー関係の研修をするならば僕は出席しない」という同僚。
帯に短したすきに長し、一事が万事で威嚇・牽制しに来る輩。
協力して欲しければ・・・と、妥協・遠慮・何もしないことを
無言で要求してくる。圧力。好悪の感情よりも渦を巻く、
上下関係、鬱陶しいまでの縄張り意識。


久しぶりに来てみれば、日本で唯一の書店が潰されている。
この改悪を、この顛末を、日本の社会の前進だとどうして思えよう。
何が行われているか、大きな声で語る事もできない。
公の仕事の人々に対する公共サービスの削られ具合、
薄っぺらになって行く生活の支柱を、公言することが出来ない。
こんな府政の改悪の中で、無駄ばかりではなく節約以上に、
組織を潰したつけを、まだ気づかずに生活しろというのだろうか。


塩分は高血圧には良くない。
しかし、甘塩で漬物を作るとみな腐ってしまう。
塩気が無ければ、血液だって梅干だって、みんな駄目になる。
私達は地の塩。料理の決め手は塩加減。加減はええ加減。
塩はお金が掛かるから、無塩低塩の方が体にいいからと、
塩気の無いものばかり食べさせられることになるだろう、
いや、もうそうなっている生活全般の中で、
「批評的」(クリティカル)であることを訓練する。


その組み立てを学びながら、この技術をどこで、
どんなふうに伝えていけばいいのだろうか。
どんなふうに、組み立て直せばいいか。
久しぶりに来てみれば、せっかく築いてきたものを、
換骨奪胎ではなく、粉砕しようと圧力が掛かっている。
その淵で、「置いてけ堀」の妖怪になってしまいそう。
いやいや、妖怪変化になってでも、
残すべき事は残し、伝えるべきことを伝えよう。


そんな苦い思いで、大手町の夕日を眺めながら帰る。
久しぶりに来てみれば、やり甲斐よりも憤りの中で、
落ち込んでたまるものかと、仲間と帰る道すがら。
新年度はもう目の前。
あと1年。この仕事を引っ張りながら、
自分も変わる、職場を変える、仕事を変える。
自分自身を目の端に捉えながら、コマ撮りをする気分で。
心はコマ送り。

カナダのメディア・リテラシー教育

カナダのメディア・リテラシー教育

軋む社会 教育・仕事・若者の現在

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