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ちはやふる

ちはやふる』これは今、私がはまっているマンガの題名。
身の回りにそんなに若い人がいないので、新作というか、
今時のマンガというものがわからずに過ごしている。
時々買っている物は、昔からの漫画家、つまり大御所の作品。
今活躍している漫画家が生まれる前からマンガを描いている、
私よりも年上の世代の漫画家の作品が殆ど。
ちはやふる六歌仙の1人、在原業平朝臣の歌
「ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」
これが題名。すぐにピンと来る人は凄い。


ちはやふる』なんぞいな、これは? と思う人と、
あれ? これって古典に関係ある、百人一首だよねと
すぐに思い浮かべられる人と少々ギャップがあるのかもしれない。
マンガの題名にしては少々変わっていると興味。
(「マンガ大賞2009」ということは、後で知った)
思った通り、奥深いしみじみした古典の話ではないものの、
競技カルタと青春ものが一緒になった、ウルウル来る話。
ああ、これを娘に読ませてやりたい。
先月の五色百人一首の大会前に読ませてやりたかったなあと、
思わず思ってしまう親馬鹿かーちゃん。


親の口から札の取り方などアドバイスしても、
なかなか素直には聞いてもらえない年齢になっている。
日常生活のあれこれも、小さな幼子のように素直に聞いたりはしない。
親のいう事をそのまま聞く事に反発するのが当たり前だったり、
いったん疑ってみたり、ともだちからの情報と照らし合わせてみたり、
教師の物言いとの違いに、どちらを優先させようかと天秤にかけたり、
要は、素直に親のいう事を聞かない年代に差し掛かっている娘。
こういう『ちはやふる』のようなマンガを通して交流、
話すきっかけにしたいなあと思っているかーちゃん。


読書は決して暇つぶしではなく、成長モデル小説でなくては。
特にこの時期、単なる楽しさを求めて読むのではなく、
主人公に自分を重ね合わせて思い悩み、感じ、喜怒哀楽を辿る、
そういう読書をしてもらいたいと考えている。
もちろん文字で読むのも大切だが、イメージを膨らませるのに、
厳密に文字だけに頼る必要は無い。
特に日本の漫画文化は情緒的なものを描写する事に長けている。
アメリカのコミック文化とは比較にならない。


単純にヒーローものと言われるような漫画、ドラマでさえも、
悪役を片付けてしまえばそれでおしまいという様なものではなく、
自分の立場を踏まえてどう生きて行くか、何のために戦うか、
周囲とどう関わって行けばいいのか、そういう悩みを越えて、
主人公(とその関係者)が成長して行く過程が中心に描かれる。
勧善懲悪が繰り返されるのみの、ありきたりのパターンではなく、
心理描写が無ければ、読者や観客の共感は得られない。

ちはやふる (1) (Be・Loveコミックス)

ちはやふる (1) (Be・Loveコミックス)

ちはやふる (2) (Be・Loveコミックス)

ちはやふる (2) (Be・Loveコミックス)


『アトム』に人間の子供のように成長できない悩みがあるのに、
気が付けばロボットとしての家庭の中で、子供としての役割が与えられている。
そして子供であるというのに、巨大な悪や災難と戦わなければならない。
大人ではないのに、大人以上に頑張らなければならない。
これはどういうことなのか。
ヒーロー達は何も悪い事をしていないのに、悪者の手先によってさらわれたり、
危険な目に合わされたり、改造されたりして、思いもがけない生き方を強いられる。
好き好んで強気をくじき弱きを助ける立場に立っているのではなく、
特殊な能力を行使できる立場に自ら望んで飛び込んでいったわけでもない。


スポ根ものといわれたスポーツを中心とする漫画も、
子供時代には熱中し安いものが多かった。
男の子ものは野球・柔道・空手・ゴルフ・ボクシング・サッカー・バスケなど
女の子ものはバレエ・バレーボール・テニス・アイススケートなど、
色んな作品が頭の中をよぎる。どれほど多くの名場面・名台詞に感動し、
自分を支える座右の銘にして刻み込んできただろう。


カウンセラーなどという言葉を知らなかった時代、
メンタルトレーニングなどという概念を持たなかった時代、
教えてくれる先生やコーチの先にどんなものがあるのか知らなかった。
共に学び、戦う仲間の向こうに何があるか知らなかった。
まして、自分ができるスポーツや知っている知識の向こうに、
どんな世界が広がっているのか、TVやインターネットなど、
今ほどのバラエティに富んだ情報源が広がっていたわけでなし。


作家や漫画家は何処からその創作アイデアを?
今でも不思議。単なるファンタジーや、
思い付きで描ける想像上の世界ではなく、
読者が浸れるリアルな世界をどうやって構築しているのだろう。
アラベスク』に熱狂した小学生は、もはや子も孫もいるような
年齢になって『テレプシコーラ』を読んでいる。
バレエ漫画の大御所、山岸凉子が自分のバレエ経験と様々な取材を元に、
リアルな内容を描いていることは間違いない。

ちはやふる』を読む以前に、競技カルタの漫画を読んだ事があるのは
ただ1回だけ。別冊マーガレット河あきらが描いていたもの。
既にあれから30年。カルタ漫画なんて他にあったっけ?
私の競技カルタの知識はその作品の中で止まっているといってもいいくらい。
百人一首の知識は高校時代の古典の宿題で覚えたまま。
その程度で、後は家庭で楽しむ百人一首坊主めくりがせいぜい。
そんな私が今はまっている『ちはやふる


古典の知識など無くても、「競技」の熱さにほれ込んでいく子供。
スポーツとしての競技カルタにほれ込んで、入れ込んで、
クラブ活動として熱中して行く場面。師弟・先輩後輩・親子。
淡い恋、やるせない思い、周囲との関係。
子供から思春期へ、そして・・・。
進学・特技・家業・介護・さりげなく時代を織り込みながら、
ちはやふる』は進んでいく。今、4巻目。
主人公達は小学生から高校生になっている。


クイーンへの道のりは遠い。でも、こういう熱気溢れる世界に、
私の年齢でも胸が熱くなる。いわゆる「青春もの」だから。
特別な魔法も使わず、武器も無く、自分の力でこつこつと、
競技カルタに打ち込む姿にエネルギーを貰っている自分がいる。
そして、娘が読んだら何て言うかなと・・・。
そう、かーちゃん実は自分だけ読んでいる。
今の所、4巻目まで。
今日で娘は9歳と6ヶ月。春のキャンプに出かけている。
帰って来たら春休みも半分終わり。


進学塾に行かせるよりも、もう少しゆったりと過ごさせたい。
というか、勉強も大切なのは重々わかっているけれど、
娘にも成長する仲間と共に「青春」して欲しいと憧れてしまう。
夢見てしまう、大甘の親馬鹿かーちゃん。
こんな親は子供の将来を駄目にしてしまうのだろうか。
漫画に熱中したりする親は。
そんなこんな思いを抱えながら、19時から21時。
スーパーバイズを受けて、帰宅。
今週は、これにて打ち止め。やっと週末がやってくる。
弥生の春も最後の週末が・・・。

ちはやふる (3) (Be・Loveコミックス)

ちはやふる (3) (Be・Loveコミックス)

ちはやふる (4) (Be・Loveコミックス)

ちはやふる (4) (Be・Loveコミックス)