Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

皮革を扱う産業から 

昨日は実は偶然、予定外で人権歴史博物館を訪れたのだが、
思えば今週から来週にかけて様々な勉強会や研修が行われるので、
その延長線上にあったといえば言える。
神様は不思議なことに、忙しい忙しいとあたふたしている私を哀れんで、
一気に片が付けられるよう、短期決戦のように集中して学ぶ機会を与えて下さる。
シンクロする、シンクロニシティ。何かが作用して、一気に流れに乗る、
そんな感じで人に出会ったり、本を読んだり、研修や出張、勉強会があったり。


先週はPTA関連で子供の虐待についての勉強会があったのだが、
食事についての話題に心が奪われていて、文章にはできなかった。
食事についても今思えば、生活を映し出す鏡なので、
歴史や社会情勢、差別や虐待とは無縁ではない。
何かがどこかで切れ切れに繋がって、先週今週来週と、
学ぶ機会が続く私の毎日。


今日は皮の話。生きている動物から剥ぎ取って生の皮。
それが製品として使える皮にするためにはなめさなくてはならない。
なめす作業・工程を経て使う皮が、「革」。
皮革という言葉は明治以降の造語だそうだ。


そして、「韋」細やかな細工を施した革製品。
鎧などがそれに当たるという。そういえば、
昔の武具は皮製品が多かった。弓矢一つとっても、確かに。
堺の鉄砲に施されたとある工夫。あの細長い銃の筒の部分に
ごくごく細い皮を筒に巻いているということも知らなかった。
皮が発砲の際の熱を取り放熱作用と同時に、
鉄がひび割れ暴発しないよう銃身を守っているという。


そんな配慮・工夫を施したのは、鉄砲鍛冶だけだろうか。
技術力もさることながら一体誰の発想だったのだろうか。
その、身の回りにあるものを使って工夫していく、
生きた知識と技術を受け継いできた人々とは。
そこに使われた金属や皮、材料を選び鍛え細工し用いた人々は。

クラフト社 テキスト 革の技法 楽しむための基本集 18-5110

クラフト社 テキスト 革の技法 楽しむための基本集 18-5110

皮革(かわ)の歴史と民俗

皮革(かわ)の歴史と民俗



実はこの話に関しては、以前聞いたことがある。
殆ど同じ内容を娘と豚皮のランプ作りをした時に。
そして、再びこの内容の話を異なる角度で聞くことができて、しみじみ。
思えば、去年ランプ作りを経験した時から、ご縁があったのだろう。
今日この研修を企画・運営してみれば、そう思わざるを得ない。


産業の裏側に隠れているもの、家庭生活の中に潜んでいるもの、
食べ物からもたらされるもの、食べ物を如何に手に入れるか。
調理する現場を経ずしてもたらされる食物を、
人の手を経てできたはずの食べ物を、意識することなく口に運ぶ。
考えることなく食するその恐ろしさ、その衝撃。
身の回りにある身近な品々の背景に、どんな歴史や産業が、
どんな政策が、搾取が、差別が、迫害があったか。
全く無視することはできない。
知らずに済ませることはできない。
誰も教えてくれなかったと、うそぶく年齢ではなくなった。


心の傷は、見たくないものに蓋をしようとする。
無かったことにしようとする。
外在化することで自分には関係ないことだと放り出す。
どんな問題でも、他人事にしてしまえば楽チンだ。
今の時代に昔の歴史や出来事なんて?
差別は、関係ない。
親子の問題も、今更。
虐待や貧困、縁がない。
本当にそう? 


発達障害を扱う医師は言う。誰もが発達障害を持っている。
生活に支障があるかないかの違いで、多かれ少なかれ持っている。
完璧な発達などないと。
同様に完全な親も子供も、家庭もありはしない。
支援教育を語る先生が言う。障害はなだらかな坂道のようなもの。
低い位置に立っているか、高い坂の上に立っているか。
正常と異常と言われる差は、実はそのように繋がっているのだと。


全てのものに理想はあっても、あくまで理想であって、
私たちは現実の綻びを繕いながら生きている。
心の問題は意識の問題なので、単なる個人的な問題、
社会現象や歴史、制度や政治と無関係だと思っている人もいる。
でも、自分が社会に影響されずに生きているはずがない。
何かによって生かされていないはずがない。


だから、少しでも普段の仕事から直接かかわることのできない、
しかし知っておかなければならない内容を、
いま少し、自分の生活を視野を広げる様々なことを、
学校で、街で、職場で、近所で、何かの機会に学ぶことが必要。
知るきっかけが必要。そのきっかけを作ることも。


学ぶ機会を、誰かとともに学ぶ機会を企画できて、
ほんの少しでも動くことができて良かったと、
久しぶりに感じることができた今日。
アットホームな勉強会だったことに、安堵している自分。
とてもとても忙しくて疲れてしまったこの秋だったけれど、
それは今日、ほんの少し報われた気もして・・・。


色んな形で学びたい。そして知ってもらいたい。
一緒に学びたい。ともに語り合いたい。
そんな時間を少しでも持ちたい。
そう思って、何とか努力してみた形を目にできると、
少し、ほっとする。
明日はフィールドワーク。

教育研修ファシリテーター

教育研修ファシリテーター

学びから始まる私たちの人権―多様な場面における人権教育・啓発の推進に向けて

学びから始まる私たちの人権―多様な場面における人権教育・啓発の推進に向けて