Festina Lente2

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屠殺場を見学して

フィールドワークをしてみると、普段知らないことが見えてくる。
歩いたり見たり聞いたり、その連続の中で街の歴史がそこかしこ。
それは戦争、福祉、保育所、銭湯、空き地、寺院、路地、
花壇、墓場、集会所、二宮金次郎の石碑、屠殺場、獣魂碑、
牛をどんな風に扱うか、保健所からどんな人が来るか、
検印、処理の仕方、注意事項、頭の中が一杯。
牛のアキレス腱で作られた煮凝り。

  

  


いまだに再開発という新しい街づくりを阻む、従来からの差別意識
地主の思惑と行政の政策の乖離。
心理的にも物理的にも山積する問題。
地元の悩みは見学だけしている部外者にどこまで届くのか。
しかし、足を運ばなくてはそこで話を聞かなくては、
何も知らないまま一生終わってしまう。
学んだことのある人、知っている人、その人が次に伝える、
それは・・・「現実」を良くしていくための行動のはず。

  


何も知らないで歳を取って来たんだなあとビックリ。
地元に密着しているわけでもない、よそから見学に来て、
初めて見聞きする事柄は、小学生のように何も知らないことばかり。
教科書に出てこない、普段の話題でも聞かない、
それは一体どこで語り伝えられて、偏見を伴って広まり、
今に至って、熱いかさぶたとなって世間を覆っているのだろう。


  

  


食肉、皮と皮革と、焼き肉ブームの影でホルモンだの、
ミノやセンマイだのと飽食日本の背景にある、
その隠された屠殺の現場はどうなのか。
その仕事に携わること、流通経路、業者、
生産なのか、処理なのか、一体「食べる」ために、
実際どんなことがあるのか、必要なのか。 

 

 


そして、戦争の傷跡が大きな都市ばかりではなく、
小さな町や村にもあったことを、焦げ後の残る屋根、
星の印の付いた先の尖った墓石、沢山供えられた花々、
介護やデイケアの看板、啓発・啓蒙のポスター。
高齢化社会が他の地域にもまして厳しい状況。
そんな説明を受けて、毎日接している世界と繋がっているはずの、
同じ国の中の出来事、現状にただただ驚かされている。
それが、今日のフィールドワークの実際。

  


何もかも知ることなどできない。分かることも理解することも、
後手後手、後からそうだったのか、そんなことがあったのかと、
知らされることばかり。衣食住の基本が脅かされていたり、
進学や就職の背景にあるもの、様々な政策や法律の、
社会の中で積み上げられてきたものが、
何を意味し、何をもたらし、結局どうなったのか、
普段意識することもなく、敢えて調べることもない。

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

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牛を屠る (シリーズ向う岸からの世界史)

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そんな風にして年だけを重ねてきた今、
社会の中を取り残された物理的な現実と心理的な行き違いを、
どんな風に受け取ればいいのだろう。
ただ、今日は今日見たことを心の中に収めて、
今でもどんなことがあるのか、どんなことがあったのか、
記憶に留めておくこと。
まず、そこからしかできないけれど。


フィールドワークで知った現実は苦い。
でも、その只中にある人や地域の現実を、そのまま知ったわけではない。
単に垣間見ただけに過ぎない。
本や写真で見るよりほんの少し距離は短かったかもしれないけれど。
でも、何も知らないで過ごすことよりは良かったのだ、
意味のあることだったのだと、改めて思う。

フィールドワークへの挑戦―“実践”人類学入門

フィールドワークへの挑戦―“実践”人類学入門


知ってしまえば何も知らなかった昔には戻れない。
そうやって、現実を変化させ、教育や政治の世界に還元して、
人の意識を変えていかなくては、何も始まらない。
そのことを確かめるために、今日、フィールドワーク。


ちなみに、今日見せていただいた屠殺場は現代の流通経路では
採算が取れないために、近々閉じられるらしい。
民間に唯一残る貴重な場所ということだが。
ますます人の目から見えなくなる食肉の現場、
そういうことなのだろう。
別の問題も、ますます見えにくくなってしまう?
そうならないためにも、フィールドワーク。

被差別の食卓 (新潮新書)

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世界屠畜紀行

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