Festina Lente2

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身の内の蛍狩り

身の中の まっ暗がりの 蛍狩り        河原枇杷


去年のように思ったほど蛍は見られなかった、残念。
この場所の噂が広まっていたのか、評判か高くなったのか、
思ったよりも人出が多く、ざわざわした雰囲気。
雨上がりの絶好のシチュエーションだったけれど、
静かで情緒ある蛍狩りというわけにはいかなかった。
それほど期待していたわけでもないが、やっぱり残念。


ウシガエルもカジカも去年のように鳴いている。
ただ、蛍の姿だけが見えない。
だからいっそう心の中にある蛍の姿を追ってしまう。
物語の中にある蛍の姿を追ってしまう。
源氏物語の中の一場面。
几帳の内に蛍を放ち、その光で玉鬘の姿を浮かび上がらせる趣向。
おそらくこのようなことは実際に貴族社会ではあったに違いない。


20年以上前のバリ島、水田の上を群れ飛ぶ蛍。
手掴みの楽しさ、がらんとしたコテージの蚊帳の中に放ち、
蛍の明かりを楽しむ、束の間心慰む一人旅の夜。
あれは徳島。美郷の夜の闇を彩る点滅信号、
社宅のベランダに飛んで来た迷い蛍を追って、
用水路沿いに夜の散歩を楽しんだあの頃。
幼い娘を連れて海辺を走り、小雨の中の蛍狩り。


人の思いの凝り固まって生きすだま、あくがれいづる魂かとぞみる。
蛍に思いを寄せるのは人間の方、あれこれと様々な情念の澱を、
よんどころなくやるせない思いを被せて蛍を眺めるのは、人の世の常。
蛍は何も与り知らず、心のままに気の向くままに、
生まれた川を飛び回る。
去年は、もう少し明るい思いで過ごしたのに、
(昨年の記事は こちら→
1年経ってみると、物憂い心の触れ幅に左右される日々。
しっかりしろと言いたくなるけれど、なかなか浮かび上がれない。
肝心の蛍の方はそれほど見られず本当に残念。


蛍は人の心から生まれた魂、自分の内なる明かりをともして顧みる、
亡くなった人の思い、今ある人のへの思い、
あるいは恋い焦がれる思いのたけの塊、
蛍は無垢なる迷い子、行く当ても無いのか彷徨い飛ぶ。
蛍を誘う童謡を歌う者も無く、胸のうちに呟きながら、
去年覚えた勝手知ったる道を歩けば、
覚束なく飛ぶ数少ない蛍を眺めながら、
こんなにも少ない蛍に群がり集う人間の浅ましさばかりが意識され、
何だか悲しくなってしまう。


昨年ここを訪れた時は無邪気に蛍を見て楽しんだのだが、
今年はどうも気持ちが沈んでいて、いけない。
人の迷いも、振り払っても振り払ってもぬぐえない思いも、
蛍は知らずに飛んでいる。人の世の有象無象など知らずに、
蛍は闇に浮かんでいる。ほの明るい希望のように。
だから、今宵も気を取り直して過ごそう。
また蛍を見るために。


うすものの二尺のたもとすべりおちて
        蛍ながるる夜風の青き  (与謝野晶子

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