Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

体力気力、心の体力

昭和一桁世代の両親を見ていると、体力・気力、気力・体力
どちらの面からも充実というか、タフというか、めげないというか。
認知症の母にしても、食事だけはしっかり食べているのを見ると、
(食べた事をたまに忘れたりもしているのですが・・・苦笑)
何でもできる何にでも耐えられるめげても折れない強さ、
そういうものを持っているように感じられます。
戦前戦中戦後生き抜いて来たの、でそれが当たり前の姿勢なのでしょうか。


卵巣が萎縮してしまった私は、更年期が少々早く来てしまったのか、
それ以外の事情での精神的な負担のせいか、
たまたま仕事も年齢も色々重なる、こういう「時期」のせいなのか、
以前よりは立ち直り(単にバランスを取る)が早くなったものの、
めげる回数は変わらないような気がする。
経験の度合いでカバーしているのか、鈍感になっているのか、
気にしないように工夫ができるようになったのか、
年の割りに甘えが出て来たのか。


もぐら叩きの毎日に、気力体力か体力気力か、双方削り合い。
仕事ならばAを終えるとBの問題が起こる、みたいな。
例えば私だと、「歯が入った」と喜んでいると、
娘や家人、両親も含め、家族の誰かの体調が優れなくなる。
もしくは、「歯が入った」と喜んでいる矢先、ヘルペス再発。
またか・・・、まあ春先だし、仕事は気を使うし、
半ば逃避行ならぬ撤退気分の3月ではあるし。


こんな感じで、いい事もあれば悪い事もあるさと流せればいいけれど、
どうしていい流れが続かずに、もぐら叩きになるのだろうなと考えると、
ドツボにはまりだすわけです。週の初めだというのにね。
それにしても、体調が良くなると服薬を忘れたり、
時間を守らなくなったりするから、効き目も悪くなって影響、
体調に作らなくてもいい波を持ち込んでいるとも言えましょう。


「心配し過ぎなくていい」というアドバイスも曲者で、
普通であればそうなのか、と単純に受け取れるものを、
「心配してもどうにもなら無いから諦めろ」という助言、
「心配する暇があるならば別の事に目を向けろ」という非難、
「心配するほどでも無い事をあげつらう馬鹿は止せ」という静止、
「心配すれば心身に悪いから気をつけてね」という労わり、
様々な意味に深読みしてしまうので、アドバイスにも疲れる。
気力体力が充実していないと言うのは、こんな風に回りくどく
雁字搦めになって自分から墓穴を掘っているようなものだ。


「病は気から」と言うけれど、体力が落ちれば気力も減退。
家族のダイナミクスの問題と言われれば、そうかもしれない。
そんな感じで、家族は入れ替わりたち代わり病院通い。
家族のうち3人までは春生まれなので、そういう時期なのかも。
ほら、よく言うでしょ。聞きませんか?
自分の生まれ月には注意しろ、なんて事を。
両親と私は春生まれ、3月と4月に分かれる。
この時期、何かと気忙しい年度末と年度始め。
気力体力の充実を必要とする時期に、モグラの落とし穴に落ちる。

抗老期 (講談社+α新書)

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気力100倍一日一訓―大きな困難も小さくなる

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それは偶然、それはジンクス、シンクロしただけ。
そういう風にやり過ごす事ができればいいのだけれど、
「好事魔多し」のうように、うまく行っていれば行っているで気になり、
何かつまづきがあればあったで気になる。
人間ってどうしてこうなんでしょ。なので、訓練や気構え、
普段からの生活習慣という枠組みが無いと支えられない。
支えきれないものが多過ぎる。


今週から新しい仕事に入り、職場のルーティンとはいえ、
今の職場では初めてになる久しぶりの業務、
わくわくというか、こんなものだったかというか、
パソコン作業でさくさく進む部分が増えていて楽になり、
私自身は様々な感慨を持ってこなしているのだが、
新人はこのやり方が最初なので、こんなものかといった感じ。
特に感慨は無いよう。


説明を読まなかったのか聞かなかったのかミスして、
正しいやり方を説明しても、それ以降のみ訂正。
それ以前の打ち込みの修正をしない。やれやれ、さすが新人。
データの入力ミスを誰にさせるんだ?
年度末になってもこれなのかと、呆れてしまう私。
昔は自分もこんな風に先輩諸氏に見られた時代もあったんだろうな。
何事も順送りだと言うけれど。
この新人との年の差。母と私の年の差。


気力。専守防衛では無いけれど、攻めるのではなく
責める前に振り返る余裕があるうちは、まだ大丈夫。
体力。もうこれは若手と比較することは出来ない。
維持する、もしくは余力を残す省エネを常に図らなくては、
いざという時に動くことができない。
フットワークの軽さではなく、判断力の的確さ、
迷いの無さ、軌道修正の素早さ、そういうもので勝負。


パソコンは本当に便利。様々な業務を一気にこなしてくれる。
昔は手作業だった事を、瞬時に行ってくれる。
その手作業の流れが何に置き換えられているか、知っている世代も
残り少なくなってきた今の仕事、職場、職業。
省エネを支えてくれるパソコンの使い方が、どんなものなのか。
「知らない」「わからない」「苦手」を自己主張する雑談や愚痴と、
それを上司に訴えに言って「部署換え」を要求する厚顔無恥なお門違いと、
新人に伝えるのにはどうすればいいのか。


4月から新人ではなくなるんだけれどね・・・。
そこんとこよろしく。
職場で無言で眺めながら、はっとする。
先輩や上司でなくても、親だって思っていただろう。
気力体力の衰えを感じながら、まだらになっていく記憶の底で、
新人ではないんだよ、子供ではないんだよ、
もう親なんだからしっかりしなよ、誰にも頼らないで解決するように、
愚痴ばかりこぼしたり、責任放棄で投げやりになったり、
娘の手本にならない言動をしないように、
しっかししなさいよ。いい加減安心させてよね。
いつまでも心配掛けないでよ。


そんな気持ちでいながら、やっぱり直接何も言わずに
ただ見守り、寄り添い、黙って一緒に食事をして、
家族であり続けていてくれたんだろうなあ。
それが気力体力、家族力の源泉だったんだろうなあ。
そこんところよろしくね、職場のように時間を切った関係、
限られた空間での付き合い、割り切った間柄ではなくて、
切っても切れない親子の縁、水よりも濃い血の繋がりの中で、
沸騰する思いをお互いに抱えながら、
やり切れない思いで「万年新人」の娘を、
親は見つめていたんだろうなあ、育ててきたのだろうなあと、
改めて知る、今日この頃。


気力か体力か、体力か気力か。
日々の生活のリズム、家庭のリズム、食事睡眠服薬、
できれば散歩や運動もあればいいけれど、庭の手入れも親任せ。
実家の春はまばゆいばかり、菜の花・金柑・木瓜の花。
残り梅には香りなく、灯るわずかな花明かり。
丹精込めた庭の木々、どれもこれも親の心意気。
胆力気力、手数を掛けての草木の実り。


新人にも自分の娘にも、北風ではなくて太陽になれるかどうか。
スルーして見逃すのも度量のうちなら、細かくチェックして
厳しく指摘するのも指導のうち。おかーちゃんは、
年だけ食って色々言われるのが面倒になってきたくせに、
上から目線だけは強くなっているみたいだ。
いかんなあ・・・。
気力体力、自分にだけ甘くなっていては、いかんいかん。
親の背中を追いかけて、心の体力気力をおもんぱかる。
ああ、いつまでたっても子供だなあ。

健康長寿のキーワード 生活体力

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