Festina Lente2

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心の余白?

メンテナンス日を意識して年度末に入れている。
焦って仕事をしているわけでは無いけれど、気忙しいこと限りが無い。
勤務評定も応える。別に悪いわけではなく標準以上だけれど、
それで満足できているかどうか、自分自身納得できる状態かというと、
実はそうではなくて、達成感や充実感は失われている感じがする。
失われていると言うのは語弊がある。自分がそう感じている。
満足できていないということ。


世界的な不況の影が世の中を覆う、それ以前から収入はジリ貧。
貧しいわけでは無いけれど、時間外労働とサービス残業が多すぎる。
疲労して行くのは体ではなくて心の方。
だから、意識して職場を離れて頭を空っぽにしなければ持たない。
もしくは、より専門性の高い、またはより自分を必要とされている、
そんな感触の強い所に、自分自身を実感できる所に、
仕事と距離を置けるところに、自分の体をよっこらしょと運ぶ。


TVや本の話はするのに、学校の話はしなくなった娘。
いじめや男子とのいざこざで、うんざり。
学校は面白くないのだと、どうでもいい感の強くなった娘。
マンガや本の世界に入っていくのは悪いことでは無いけれど、
自分の居場所が現実世界から少しずつずれて、
他人から見たら避難、逃避しているのではないかという所まで、
そこまで行く一歩手前で踏み止まって欲しいという気がしないでもない。
本に没頭する楽しさ・良さと同時に、その弊害も身を持って知っているだけに、
少々気になっている今日この頃。


似なくてもいいところばかり似るなあと、ため息。
そして、私自身は避難所の存在を、職場から物理的に距離を取ることで、
つまり流されるのではなく、自分の意思で動く事で実感する。
なんだか幾つになっても反抗することで存在意義を確かめる、
そういう青臭い部分を大切に持っているようで、恥ずかしい。
でも、仕事と家、職場とかーちゃんとの距離さえ開きつつある娘、
自分と老親、私と家人、それぞれとの間の距離を考える時、
眩暈のする思いに囚われる。


いえいえ、更年期障害の眩暈でしょって。もう、そんな。
寒気や頭痛、吐き気や胃の痛み、冷え上せや肩凝り、
こむら返りや早朝覚醒、みんな不定愁訴で終わっちゃう。
というより、これが日常生活なので、ある意味相談にはならない。
こういうのが当たり前で、どこからが当たり前じゃない生活なのか、
そういう事を受け入れていくのが、この年齢、この年代なのかなあ。

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

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はじめてのGTD ストレスフリーの整理術

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仕事をしない時間を作る、断固として作る、心の余白が必要。
いつもいつも「当たり前の仕事」とそれに付随する悩ましい人間関係、
いまだにあれ? と思うことのある段取りや、増えてくる出張、
処理する時間が苛立たしい書類、ルーティンワークの中で自分が見えなくなりそうで、
疲れていることに気付かないまま倒れてしまいそうで、怖い。
そんな「あれもこれもあれもこれも」の毎日に、押し流されてしまわないよう
楔を打つ意味で、断固として休みを死守する。
でも、時々、・・・こうやって家族と過ごす時間、映画や外食、ちょっとしたイベント、
そんな時間も無理やり演出した時間で、不自然なんだろうかと懐疑的になる。


必死で守ろうとしていた分が、実は周囲への押し付けではないかと不安になる。
自分自身の生活の基盤が、フワフワした実態の無いものなのではないか、
老親が生きてくれているという乳母日傘の元に、日々の辛さを凌いで、
理解ある我慢強い家人と、無理やり大人びた子どもに育ててしまった娘に
全部皺寄せが行ってしまっているのではないかと、
そんなふうに考え出すと、陰性感情の嵐になって迷宮的落ち込みから脱出できない。


フォローアップが必要なのは、ガス抜きだ。
しかし、ガスは上手に抜かないと反動が怖い。
自分でわかっているだけに、その揺り返しに、余震に翻弄されながら、
日常生活を綱渡りすることになる。
誰もがそういう綱渡りをしているけれど、危険を意識し過ぎないよう下を見ない、
綱を太くする、バランスを保つ何らかの手段を用意して、
いつの間にか「自分」と「自分を陥れる諸々」の間に橋を架け、
非常口を作り、アラームを用意して、交流可能にしておくのだろう。


絶対そこへ行かない、行き来はしない、絶交・絶縁状態、
そんなふうに負の感情、マイナスのストローク、陰性感情、逆転移
劣等感、焦燥、憤怒、悲嘆、忸怩たる物思いから解放されれば、
どんなにいいかと夢見たりする。儚い夢を。
何も考えずにぼーっとしたり、何も感じずに真っ白になってしまえればと、
そんなふうに思う時が増えるとき、フラッシュバックして、
目の前を覆う時、何もかも投げ出したくなる。


自分に厳しいのではなくて、限りなく自分に甘い。
逃げ道を求めて、迷路の中を走り回るネズミ。
スキナーボックスの中にいる実験動物。
針金だらけだけれどおっぱいの出る偽者ザルに養われ、
何もくれないけれど、温かいぬいぐるみにしがみついている、
そんな子ザルのような気持ちになってしまう時。

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

マインド・タイム 脳と意識の時間

マインド・タイム 脳と意識の時間

今私の頭の中に欲しいのは、空白や余白、ただ真っ白な空白や余白ではなく、
余裕とまではいかないまでも、最後の最後まで開けずに取って置きたい空間。
どうしても、非常事態で使わなければならないというならば、
あの、『ジェネラル・ルージュの凱旋』載らすとシーンのように、
救急救命センターの奥の倉庫に魔法のように備蓄されていた、
いざという時に使うことが出来る、黄色い色のエアストレッチャー。
ああいうものが、自分の心の奥に欲しい。


ストレッチャーが無くなって、患者を運ぶ手段も無く非常事態。
その極限のいざという時、どこに隠してあったのかと不思議になるくらい、
備蓄されていたエアストレッチャーが黙々と運ばれて、
どんどん活躍しているあの映像が蘇ってくる。
自分の心の中にもああいう部屋が欲しい。備蓄が欲しい。いざという時に、
力を発揮できる、あの温かい黄色とオレンジの色彩。
瀕死の患者を治療室に運び込むことが出来るエアストレッチャーを、
私の心の中にも欲しい。


ああ、そういう部屋が欲しかったのか。
その場合、誰が誰を助けるのか、それはともかくとして。
本日のフォローアップはここまで。
今年度最後の職免を使い切る。
残り30分間はボディソニックで仮眠を取った。
左回りに脳が回転しているような気分。
目の前に見えるのが緑の林の映像。これは、
半覚醒状態の夢。荘周の夢の中にいる感じ。


さて、心の隙間は埋まったか?

快眠~美肌

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メディテーション

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