Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

井伊直弼の彦根城へ

結構早く目が覚めて二度寝してしまった。
若い頃は博物館が開く前から並んで飛び込んでいくぐらい、
旅行中の時間を惜しんでせっせと歩き回ったものだが、
独身でもなし、体力もなし、体重と疲労と年齢のせいにして、
のんびり起床。ゆっくりモーニング。
ビジネスホテルとは思えないほどリッチな朝食。
昔はせいぜい朝刊がサービスされるぐらいだったのに、
最近のビジネスはネット環境が整っているのが当たり前。
久しぶりに泊まってみれば、安くて使い勝手が良くて嬉しい。

彦根駅は本日東口が出来たとかで、地元の中学校のブラスバンド演奏、
様々なアトラクション、豚汁のお振る舞い、ビンゴなどの催し。
それまではお城側しか人の流れが無かったよう。
東口のロータリーが出来たのは、再開発に伴い大型量販店が出来たせい?
丘の上には最近あちこちで見かけるYデンキがそびえている。
西口は従来の商店街・大通り・お城側への表門といった風情。
新しい観光案内所には、日曜とあってボランティアの案内。


この東口オープンに伴い、近江鉄道の記念館なるものが出来ていた。
一昨年の彦根城築城400年祭のイベント時に
変電所の建物跡に展示したものを、そのまま継続使用している様子。
てっちゃんの家人は興味深げ。私は近江鉄道そのものに乗った事が無い。
私には電車の中に出没している様々なキャラクターが面白い。
ゆるきゃらで一躍有名になった「ひこにゃん」。
本日初めて対面した石田光成由来の「みつにゃん」、
藤堂高虎由来の「とらにゃん」それ以外に「しまさこにゃん」だの、
にゃんにゃん七剣士だの、いろいろキャラクターがあるらしい。


子供向けというか町おこしというか、笑ってしまうのだが
それでもひこにゃんは確かに人気で、大阪でもあちこちで見かける。
私達も去年、家人の実家からの帰り、お正月福袋を買った覚えが。
今回も記念に娘へのお土産ミニ福袋を買ってしまった。2千円也。
ストラップ・バッチ・お箸・弁当箱・ミニバック・ミニタオル。
うーん、福袋の割にちょっとボリュームが少ないかな・・・。
こうやって商魂に乗せられてしまうわけね・・・。


さて、お目当ての彦根城。幸い駐車場にすぐに入れて効率よく観光。
重文の馬屋、二の丸佐和口多門櫓、表門から入ると天守閣は20分待ち。
さて、城というものは攻めにくいように作られているので、
当然上りにくく工夫されている。メタボ予備軍の人間には少々きつい。
城内の植生は篭城に備え食用、武器の材料になるようなものと考えて
植えられているというのだが、そういうものを鑑賞する余裕も無く上る。
小さいお城の割に、上まで上がるのが大変。

 



私にとっては身近なお城は岸和田城大阪城和歌山城
敬愛する「なだいなだ」に会える市民大学講座企画の合宿で訪れた、郡上八幡城。
旅先で訪れた岡山城広島城・熊本城、金沢城
宮城県人2世としては忘れてはならない仙台城青葉城)。
世界遺産として有名な、白鷺城の異名を持つ姫路城。
5月連休土砂降りの中、1歳半のの娘を連れて行った高知城
暑い夏、道後温泉と坊ちゃん列車の思い出のある娘2歳の松山城
それなりに旅の思い出に繋がる城が蘇る。


城はその藩、その地域のシンボル、拠り所だった。
今でも良くも悪くも使われる「一国一城の主」という言葉が残っているが、
見上げるべき存在、守るべき砦、築くべき場所として、
城は様々なメタファーを含む。一朝一夕に城を築くことは出来ない。
明治天皇大隈重信が奏上して取り壊しを免れた云々はともかく、
城を築くということは、当時の建築・土木工学等の技術の総決算、
城主たる藩主の美意識と都市計画の賜物でなくてはならない。
城を含む城か町全体が一体となって、世界を構成する。
その中心となるのが城なのだ。

  


建築されてわずか3年で消え去ってしまった安土城
皇居として残るも、一般人は立ちいることのできない江戸城
全国各地に再建された殆どの城は、地方文化・国力の象徴。
そうそう安易に軽々に建てたり壊したりできる代物ではない。
彦根城はリサイクル城だという記述が案内には書かれていた。
当然これだけの資材を集めてくるというのは至難の業だ。
太い梁を、大きな石を、一体何処からどれだけ調達したのか。

   
 
重文の天秤櫓・太鼓門櫓を過ぎて上って来てみれば、
肝心の天守閣へは30分待ちになっていた。
しかし、ここまで来て入らずに帰る訳には行かない。
ちらほら花が見えるものの、まだまだ堅い蕾の桜を眺め、
雑談しているうちに、やっと順番が。
急な階段に注意と言われたが、なるほどこれは・・・って、
祖父母の昔の農家の二階に上がる、狭くて急な階段と変わらない。
要は、大規模な急勾配の階段が付けられている建築。

    


狭間(さま)と呼ばれる場所からは確かに城に登る道が良く見え、
敵を狙い打ちにし易い角度で小窓が作られていた事がわかる。
国宝彦根城は、平和な江戸時代物置に使われていた、
金塊が積まれていて泥棒に入られたらしいなど、色々話は尽きない。
22年の歳月をかけて完成創建当時、この場所に立ち、
天守閣から遥けき景色を見渡した藩主の気持ちや如何に。


   


さて再び下ってお庭を拝見。欅御殿のある楽々園。
枯山水が美しい。そのまま続いて近江八景を模したという玄宮園
天守閣を借景にした大名庭園は大奥のロケで使われたとか。
この庭を見ながらお茶室、鳳翔台でお茶を一服。
お軸(鳳がこの林に棲んでいるという内容)の前の生け花、
白椿と黄色い山茱萸サンシュユ)が美しい。
庭園は全て赤椿だったのに、ここに生けられているのが白椿というのが心憎い。
お菓子は彦根銘菓「埋もれ木」井伊直弼由来のお菓子。


 


開国記念館・彦根城博物館と観て廻って時間ぎりぎりになってしまった。
展示されている井伊の赤揃えとして有名な武具の事を知って、
初めてひこにゃんの兜が赤い理由がわかった。
14男に生まれ、他家への養子も叶わず部屋住みのまま、
埋もれ木のように一生を趣味人・文化人で終わる筈だった井伊直弼
彼が藩主となったその後10年、桜田門外の変で散るまでに、
昨年の大河ドラマ篤姫』に描かれたように、
日本は激動の幕末を迎えていた。


歴史の表舞台に立つということは、一瞬のスポットライトを浴びるように、
自らの人生を賭けて走り去ってゆかねばならぬのか。
江戸から彦根に向けて書かれた直弼の手紙には、
秘して自らの戒名がしたためられていたそうな。
いつ何時いかなる目にあうかも知れぬという思いを抱きながら、
国の方向を見定めるという激務と向かい合った井伊直弼


人生の半分以上を「埋もれ木」として過ごしながら、
最後は急ぎ燃え尽きるが如く、己の職務を全うした人生。
それぞれの志、考えに相違はあれど、あの幕末、明治維新
彼が開国後の日本を見たら何と思っただろうか。
いや、彼が生きていたらまた歴史も変わっていたのだろうが。
100年に1度の大不況に生きる私は、彼よりも生きてしまった。
何も為さず、何も残せず。
歴史上の有名な人間の人生よりも、長く長く生きてしまった。


先人を仰ぎ見る人生。先人に照らされて生きる人生。
井伊直弼は「一期一会」を尊んだ人だから、
その先人に何かを学ぶ事もあれば、まんざらでもない、
平々凡々に見えて、庶民の生活もそれなりに波乱に富んでいると
笑って許してくれるだろうか。
何かに付けて落ち込み易い私のありようを。
残念ながら埋木舎を訪ねる時間が無かった。


さてこの後、キャンプ帰りの娘を迎えに大阪に向かうに当たり、
交通渋滞を懸念して、車で高速を走った家人とJRで大阪に向かった私。
娘は午前中に高遠を出発していて予定より1時間半も早く、
つまり誰よりも早く帰阪していたというのが、この旅の落ちでした。
さてもさても、何事につけ最後は思いも拠らぬことばかり。
でも家族が再会して、弥生最後の土日、終わり良ければ全てよし。

埋木舎と井伊直弼 (淡海文庫)

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井伊直弼の茶の湯

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