Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

片付けには程遠い

名残の桜が見納めの土日というのに、この天気のいい土曜日、
娘の春休み中に出来なかった「問題の大掃除」をしている。
「ピーターパン」ではないけれど、春の大掃除には猫の手も借りたい。
年末大掃除よりも、新年度新学期のあれこれの方が捨てるもの、
買い揃えなくてはならないもの、結構もの入り。
先週花見は何とか終えたものの、体が一向に動かなかったので
先延ばしになっていた物置同然の部屋に手を付け始めたのだが、
悪魔の巣窟に分け入ったようなもので、どこから手を付けたらいいのか。


子どもが生まれる前に色んなものに封をして仕舞いこんでしまったが、
あっという間に10年経つと、娘が使えるものも結構あり、
もっと早くに出してやるんだったというものも・・・。
それほど厳しく躾けた訳ではないのに、我が娘は壁や襖に落書きをしたり、
そんじょそこらのものを引っ張り出して、こっそり・・・ということが少ない。
お行儀がいいのは非常に好ましいことだが、好奇心旺盛なのか何なのか、
よくわからない所もある。自分がこの年齢の頃になるまでに、
親の引き出しなんぞは全て開けて中身を見ていたものだが・・・。
それをばれないようにこっそり綺麗に仕舞うのも知恵と技の見せ所で、
娘もそれくらいの事をしてくれていればいいのだが、
余りそういうようにも見えない。
これはこれで、親としては気掛かりなものなのだ。


こんな所にあんなものが、こんなものが、これが欲しい、
これを貰ってもいいの、使いたいんだけれど・・・という言葉を聞かない。
おそらく与えすぎなのだ。本人の欲求が生じる前に一人っ子の娘にあれこれと、
要るだろう、使うだろうと親が気を回しすぎて揃えてしまった余り、
娘は切実な欲求、強い我が侭、地団太を踏んで泣き叫び、
何が何でも自分の要求を通すなどという事をしたりしない。
良くも悪くも誰に似たんだか。
もっとも、鬼のようなかーちゃんに「駄目!」と激変される事を学んでいる今、
駄々を捏ねようにも捏ねられなくなってしまった年齢ではあるが。


この聞き分けのよさが、思春期の後半どんな反発を伴って跳ね返ってくるか、
かーちゃんは内心怯えている。それはともかく、掃除は捨てるのが本文。
なかなか捨てられない性分だから、掃除がはかどらないというか、
整理整頓が行き届かない。あれもこれも惜しくて捨てられない、
後で使うんじゃないか、思い出になるから取っておいた方がいいんじゃないか、
そんな思いで残してあるものが、余りにも多過ぎる。


例えば、廃園になってしまった宝塚ファミリーランドのパンフレット。
年端も行かない娘を連れて親の自己満足も兼ねて行ったようなもの。
物心つくか付かないかの娘を連れて行ったあちらこちらの旅行、
そのときのパンフレット類が山のよう。
小学校に入るまで、娘が年長さんになる秋までは心に憂い少なく、
家族は磐石、未来は広がるものと思って暮らしていたから、
丁寧に何でも大切に仕舞っておいた、とっておいた。


転勤・引っ越し・体調不良が重なって、転がるように傾いた我が家。
おかしくなったのは愛知万博の頃から。
私よりも元気でタフな家人が、疲れて動けないとこぼすようになってから。
だから、愛知万博の年の写真やパンフを見ると苦い気持ちになる。
それから後は、記憶を封じ込めたくなるような毎日が続き、
娘はあっという間に卒園、入学。
保育園最後の年を、しみじみ味わうことも出来ずに
草加公園の桜を見たっきり、夏には大阪に。

家族の思い出をカタチにする写真の本 ~LiFE* with PhotoCinema 2 Plus~

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橋をかける―子供時代の読書の思い出

橋をかける―子供時代の読書の思い出

思い出を切りぬくとき

思い出を切りぬくとき



片付けながら思い出に浸ってしまうのでなかなか片づけが出来ない。
保育園からの御便り。給食のメニュー。保健便り。
なんて娘は大きくなったのだろう。
どうしてこんなに大きくなってしまったのだろう。
娘のために明け渡す部屋の整理をしながら、
どうして物置にしてしまっていたのだろうと不思議な気分。
今まであったものをどこにやればいいのか、途方に暮れる。


着なくなった洋服。昔遊んだおもちゃ。大好きだった絵本。
チョコチョコ手伝ってくれる娘に見せても、鼻先で笑われる。
かわいらしい写真が出てきて喜ぶ母親に冷たい眼差し、
「そんな恥ずかしいの早く仕舞ってよ」何てつれない。
それだけ大人になったっていうことね。それだけ成長したってことね。
わかってはいるけれど、とても寂しい。
空の巣症候群になるにはまだ早いのに、親って本当にどうしようもない。
ちゃんと成長しているってことは、ありがたいことなのに、
自分の都合で喜んだり悲しんだり落ち込んだり。


赤ちゃんだった胸に塗ったポリベビー。何枚も仕舞っておいた涎掛け。
スタイなんて今風の呼び名に、とうとう馴染めずに来てしまった。
こんな小さな足だったとは信じられない小さな小さな靴下。
捨てずにみんな取っておきたい。人にあげてしまったものも沢山あるのに、
どうしてこんなに沢山残っているのだろうと不思議になるくらい、
出て来る出て来る。まるでここほれワンワン、思い出の宝の山。


2,3ヶ月で履けなくなる運動靴。あっという間に穴の開いてしまう靴下。
ちびていく鉛筆、交換したり貰ったりして増えていく文房具。
使わないで仕舞われていたクレヨン。自由帳。チラシの裏のいたずら書き。
みんなみんな懐かしくて取ってあった。字を覚えて読めるようになり、
書けるようになり、上手下手に関わらず嬉しくて手元に留めた紙切れ。
娘の一挙手一投足が、毎日のエネルギーの源だった保育園時代が
あっという間に遠ざかり、もう小学校4年生。


自分の昔を振り返っても、親になんか話をしなくなる年齢。
世界は家の外にある。それが当たり前の頃。
自分の娘がそんなふうに成長しているのだと思うと、
嬉しいような哀しいような、妙な気持ち。
春は脱皮の季節、変化の季節。芽吹いたと思ったら若葉が茂り、
幹や枝を隠してしまう。茂った葉が重なって
木そのものの姿が見えなくなってしまう。


そういう時期に入ったのだと、片付け物をしながらつくづく思う。
娘に一部屋与えるということ、用意するということ。
それは、親にとっても適切な距離を保つために必要なことなのに、
一方的に離れていくのではないかという寂しさばかりが募る。
隣の部屋にいる娘が、とてつもなく遠くに離れるように感じる。
この一体感がある時は娘を守り、この密着感がこれからの成長を阻害する。
わかっていても整理整頓された部屋を想像しにくいように、
自分の心の整理が付かない。


紙くずの山と見るか、思いでの名残と見るか、片付けるに時間の掛かりすぎる、
場所を取り過ぎる様々なものに取り囲まれながら、家人にも娘にも呆れられ、
いつになったら綺麗になるのとなじられ、疲労ばかりが溜まってきて、
少しずつ不機嫌になるかーちゃん。
不機嫌が伝染していくとーちゃん。
顔色を窺いながら疲れていく娘・・・。


今日はあまりに暑いので、とーちゃんとアイスクリームを買いに。
余力があればシネコンに映画でもと思っていたけれど、
かーちゃんはダウン。
3月から見たい見たいと思っていた映画を見ることも出来ず、終わってしまった。
パンフレットだけ買ってあるのが虚しい。
娘もとうとうドラえもんの映画だって観に行かなかったしね。
そんな年齢でもなくなって来たってことか・・・。


嬉しいような、哀しいような。今一つ、力が入らない部屋の整理。
整理整頓が苦手なだけじゃない。
捨てられないもの、執着しているものが多いから、
かーちゃんの性格から、理性で割り切れない思い入れから、
諦めきれない、割り切れない、捨てられないものが多すぎて・・・。
日常生活一時が万事、決着の付かない優先順位を触れないでぶれる。
不惑どころか知命に近付こうというのに、
部屋の掃除一つに心惑う今日一日。
明日に続く筈の一日・・・。

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